スピリチュアルの勉強をしてると、繁華街のような場所は波動が重い人が多いから近づかない方が良いという話をよく聞く。

 

確かにそうだと思う。自己肯定感が低くて執着の強い人が集まっている印象がある。

 

東京育ちの私は中高の頃、母に「新宿へ行ったら靖国通りを超えちゃ絶対にダメ。できれば東口の方へは行かないように」と言われていた。

 

一般的に中学生や高校生が行くような場所ではないけど、歌舞伎町は禁足地だと思っていた。

 

大学に入り、新宿のカフェでバイトを始めた。

 

新宿のあちこちに店舗があり、南口の店舗ならスーツを着た会社員、西口なら都庁へ向かう中国人観光客、東口なら若者が多かった。

 

二丁目の店舗はLGBTの客も多かったし、歌舞伎町に近い店舗は、朝5時に出勤すると開店前の店前でカップル(ホストと客かも?)が痴話げんかをしていたこともあった。

 

店員も多様性があって、正社員は裏稼業や風俗業から足を洗って「これから表の世界で頑張ります」という人が多かった。

 

バイトは私のような普通の大学生も多かったが、外国人留学生も多く、中にはビザ切れの不法滞在で母国へ強制送還された中国人もいた。

 

正社員の給料を聞いたら、週6日勤務、朝8時から夜11時まで働いて月収が額面で17万。

 

世間知らずの大学生だった私は、その給料が高いのか低いのかよく分からなかったけど、今から振り返ると30-40代でその給料は凄い世界だったと思う。

 

それだけ忙しければ新宿の近くに住まなければならないが、額面17万でどうやって新宿の近くに住むんだろう?

 

オーナーは絵に描いたような強欲な資本家だった。

 

大学でマルクス経済学の授業を受けていたので、「これが資本家による労働者搾取か!」と社会科見学をしている気分だった。

 

当時既に「懐かしの名曲」だったたが、歌舞伎町を歩きながら椎名林檎の「歌舞伎町の女王」をよく聞いていた。

 

新宿で働いて歌舞伎町がとても身近になったが、なぜかとても癒された気分だった。

 

私はホストではなく、歌舞伎町と直接の関係があるわけではない大学生だったけど、バイト後に夜の歌舞伎町を散歩するだけで開放的な気分になった。

 

歌舞伎町は波動が下がる場所のはずなのに、なんで開放的な気分だったんだろう?

 

20代の頃はずっと疑問だったけど、30代になって理由が分かった。

 

10代の頃の自分は自己肯定感が物凄く低かった。

 

エイブラハムの感情の22段階でいうと、恐れ・憂鬱・絶望に近い波動だったと思う。

 

満足・希望・楽観、ましてや感謝なんて高い波動は持っていなかった。

 

歌舞伎町の放つ波動が「怒り・疑い・欲求不満・ストレス」だとすると、当時の私にとっては自分自身の波動よりも歌舞伎町の波動の方がまだ高かったのだ。

 

大阪の西成のドヤ街で激安の居酒屋へ入って、おじさん達と会話をするのも楽しかった。

 

自分の波動が低すぎたので、高い波動の場所へ行くと逆に自己否定が強くなる。

 

例えば、オーガニック食材のレストランとか、自然豊かな場所へ行くと、「立派な人間であれ」と説教をされている感じで、ダメな自分自身に対する自己否定感が強くなり、逆に波動が下がる感じがした。

 

少なくとも歌舞伎町からは、どんなクズな人間でも受け入れてくれそうな度量を感じた。

 

新宿には本当に色んな人がいるけど、「こんな自分でも生きていていいんだ」と無条件の愛に一歩近づく感覚があった。

 

大阪の西成区などのドヤ街や、小岩・尼崎・蒲田なども同じ。

 

鬱病になるような人は、サラリーマンだらけの東急線や阪急線沿線に住むより、朝からパチンコ屋に行列ができてたり、ドトールで競馬新聞を読んでる人が大勢いるような足立区や寝屋川市などに住んだ方が精神安定するらしい。

 

最近、久しぶりに歌舞伎町へ行ったら、物凄く重い波動を感じて疲れてしまった。

 

自分自身の波動が満足・希望・楽観くらいまで上がってきたので、相対的に歌舞伎町の波動を低く感じるようになったのだ。

 

昔は絶対に行かなかったような恵比寿や中目黒、広尾、関西なら神戸の元町や三ノ宮の山側、京都の先斗町あたりのオシャレなカフェやバーで過ごす時間を幸せだと感じるようになった。

 

以前はそういう場所へ行っても世界が違いすぎて気持ち悪くなったのだ。

 

年齢を経て、確実に自分の波動が変わってきているのを感じる。

 

でも、10代や20代の自分には歌舞伎町や西成が必要だったから、感謝している。

 

風紀の悪い場所を排除すれば綺麗になるわけではなく、そういう場所を必要としている人達も確実にいるのだ。