今の幸福度が変わると過去に対する見方も変わると実感することがある。

 

私は東京大学を卒業しているのだが、この過去について、栄光になったり黒歴史になったり、記憶の中での位置づけがクルクルと変わる。

 

「過去の解釈が変わる」というレベルではなく、記憶そのものが変わる。

 

18歳で入学した時は正に有頂天で、この世に敵はなく、まさに「我が世の春」だと思っていた。

 

他大学の学生たちのことを「教養がない」と見下していた。

 

20代になって少し成長し、18歳当時のことを振り返ると、あまりの視野の狭さに自己嫌悪し、高校までほぼ勉強しかして来なかった自分を恥じた。

 

20代の頃は、学歴や会社名を鼻にかけて自慢する人に対する嫌悪感が凄まじく、逆に中卒や高卒のヤンキー上がりで頑張っている人達への憧れを持っていた。

 

しかし30代になってまた感覚が変わった。

 

自分はヤンキーではなく、もともと勉強が好きだったし、狭い社会で生きてきた18歳が有頂天になってしまうのは仕方ないと思った。

 

「東大のブランドを鼻にかけて他大学の学生を見下す自分」に対しても、「そういう時期もあるよね」と許せるようになった。

 

ヤンキー上がりでも波動が高い人もいれば低い人もいるし、東大卒でも波動が高い人もいれば低い人もいる。それだけのことだ。

 

20代のころ、なぜ東大卒の肩書を恥じるようになったのかというと、就職氷河期で就活に失敗し、しかもコミュニケーション能力に問題があったため女性からモテず、苦労したからだ。

 

「中高の頃、勉強ばかりせず、もっと友達とのコミュニケーションや女性との関係などを大事にすれば良かった」と後悔していた。

 

本当は別の大学に行きたかった気持ちがあったが、高校の先生から「東大へ合格する実力があるなら東大へ行くべきだ!学歴のメリットは意外と大きい」と説得され、東大へ行くことにした。

 

20代の頃は就活に失敗して中小企業に入ったので「東大卒のメリットなんてなかったし、高校の先生のせいで人生が歪んでしまった」という他責思考の被害者意識すら持っていた。

 

30代になり、やっと自分らしく好きな仕事や趣味ができるようになったら、過去に対する評価がまた変化した。

 

よく思い出してみると、東大受験の動機は高校の先生に言われたからだけではなかった。

 

経験上、100%他人軸の行動をしている時は頑張り切れないし、途中で鬱になってしまう。

 

東大受験の勉強はそれなりに楽しかったから、今から振り返ると自分軸の決断だったのだ。

 

世界史や日本史は趣味みたいなものだったし、英語の読み聞きができるようになったり、古文や漢文で昔の人の文章を読むのも楽しかった。

 

数学だけはどう考えても苦痛だったけど、文系だったので全体に占める割合は少なかった。

 

そして東大へ入学した動機には「他人に勝ちたい」「自慢したい」という他者目線の動機も少しはあったけど、それ以上に「日本一の学生・教授が集まる世界を見てみたい」という好奇心が強かった。

 

東大にいる間は、授業を受けている先生がテレビに出ていて「先生、昨日テレビで話していた○○の件ですけど・・・」と質問や議論をできたりもして、本当に楽しかった。

 

そう考えると、東大へ行ったのはエゴによる動機とは言い切れず、自分自身の魂の望み(好奇心、ワクワク感)に従っていたのだ。

 

20代の頃はまだまだ自己肯定感が低かったので10代の自分を否定的に捉えていたけど、30代になってから仕事が楽しくなり、10代の頃の自分も受け入れられるようになってきた。

 

20代の頃は新卒の就活に失敗して「東大の学歴なんて何の役にも立たないじゃないか」と高校の先生を恨んでいたけど、一流企業や公官庁へ行かなくても学歴が役に立つ機会はたくさんあり、10代の頃の自分自身に守られていると思う機会は多い。

 

20代の頃は、10代を振り返って「勉強ばかりしていて苦しかった」と思っていたけど、30代の今10代を振り返ると「勉強を通じて知らない世界のことをたくさん知れて楽しかった」と思い出す。

 

これは過去の解釈が変わったというより、もはや過去の記憶が変わった、もしくは過去そのものが変わったという気がする。

 

「勉強ばかりしていて苦しかった」というのは、恐らく苦しかった20代の自分が生み出した捏造で、高校生の頃の自分がそんな苦しさを感じていた記憶を全く思い出せない。

 

今はどちらかというと、20代の自分に対して「なんで1人のパートナーにあそこまで執着しちゃったんだろう。もっと早く離婚すれば良かった。まだ若いんだから、もっと遊んどけば良かった」と思っている。

 

しかしそれは今の自分が恋愛コンプレックスを解消しきれていないからだと思う。

 

もし40代になって、もし「女性からモテない」というコンプレックスを克服できたら、「20代の時に1人のパートナーと長期間向き合って良かったな」「結婚して良かったな」と思えるようになるのかも知れない。

 

いや、「多くの女性からモテたい」というより、「心から尊敬する女性から異性として意識してもらえて、ドキドキ感と安心感を両立したパートナーシップを築く」という世界を目指している。

 

20代の結婚生活は見捨てられ不安に駆り立てられた共依存関係で、疲労困憊してしまった。

 

これから自分はまだまだ色んな経験をして、視野を広げて、魂を成長させていくから、将来は20代の自分に対する捉え方も変わると思う。

 

エゴと一体化せず、魂の望みに従って生きていけば悪いことにならないという確信は揺らがない。