人の成功を手放しで喜べないは何でだ。

 

それは、きっと自分にもできたと思ってしまうからか。

 

自分にもその人生を掴む権利があったと思い込めるからか。

 

権利や可能性があるからと言って、その才能があるとは限らないにも関わらず、

 

僕はその権利の中に才能が内包されていると信じ、自分の小さなプライドを守り続ける。

 

本気を出せばまだ間に合うと思っているうちは、もう既に間に合わない場合が多い。

 

本気を出して、自分の身の丈を知るのが怖いと思っているうちは、大した身の丈でない場合が多い。

 

それでも、僕はあるかどうか分からない才能を後生大事に守っている。

 

誰にも傷付けられないように。

 

守っているうちに、あるかもしれないその才能は次第に枯れていく。

 

才能が枯れることよりも、才能がないと気付くことの方が怖い。

 

死ぬ間際まで、才能があったかもしれないと思える方が自分を慰められる。

 

やらない限り失敗はないという真理になぜ気が付かない。

 

何もしなければ、全ての可能性があるのは確かだ

 

そのため、赤ん坊は無限の可能性がある

 

しかし、僕らは大人になっても無限の可能性を信じている

 

赤ん坊よりも傲慢な夢を見る

 

やらない限りやれない

 

やらなければないのと同じ

 

そう、行動や言動に表さない限り、それはないのと同じだ。

 

始めるのが早ければ早いほど、もちろん成功の可能性はその分高くなる

 

その当然のことに気がつけるかどうかによって、人生の羅針盤の精度は変わってくる。

 

やらない理由なんていくらでも見つけ出せるなら、やる理由だって同じだ。

 

身の丈を知ったら、身の丈を伸ばす努力をすればいい

 

誰かと自分を比べて辛いなら、その誰かに近づく努力をすればいい

 

それができないなら、出来ない自分を誇れる努力をすればいい

 

僕らはどこへでもいけるし、何をやってもいい

 

完結できていない人生の終わりをいちいち考える暇があるなら

 

今日一日を精一杯生きればいい