幼少時代から絵を描くのが大好きだった。
幼稚園では、自分の絵を先生がいつも褒めてくれ、「あなたの絵を見るのが楽しみ」と言ってくれた。
小学校の美術の授業でも、いつものように、自由な絵を描いていた。
その時は、虫の視点から見た都会の街の風景を描いたのをよく覚えている。
可視光線とか、色彩の知識はあの時なかったけれど、人間と虫では見ている世界が随分違うということは知っていた。
だから僕は、虫が見ているはずの都会のビルの風景や人間の足元や反射し合う光の様子を描いた。
虫に見えている世界がこうであればいいなという願望を込めて、貪るように絵を描いた。
完成したその絵を見て、美術の先生は「調子に乗るな」と言い、僕の頭を叩いた。
衝撃だった。
皆に笑われ、無性に恥ずかしかった。
「奇をてらうなんかいらんねん」と先生は言って笑っていた。
先生にとっては、ただのいじりだったのかもしれないが、僕にとっては、自分の今後の人生が決定付けられるほどの衝撃だった。
それから僕はあんなに好きだった絵を描くことが怖くなった。
たまに描けたとしても、奇をてらってると思われないように、かっこつけていると思われないように、慎重に、わざと平凡な構図を取って、なるべく普通の絵を描いた。
どんだけ、自由に描こうと思っても、その時の先生の言葉が脳裏から離れなくて、「奇をてらう」や「枠からはみ出る」や「自由とは何か」という言葉に支配されて、頭で考えた絵しか描けなくなった。
周りから、「あいつはわざわざ他人と違うことしようとしてる」と思われたくなくて、他人との違いを分かった上で、他人と違うことをすることが怖くなった。
先生のその言葉で「他人との違い」を認識してしまったがために、自由に何かをすることが「他人との違っていいないかどうか」という条件付きの自由になってしまった。
その時期というのは、自分の人間としての本能でさえ、社会規範に合わせて矯正されていく時期で、例えば給食とかで、まだお腹すいていないけれど、効率とかそういうの考えたら、みんな同じ時間に同じ物食べたほうが良いというような。
そうやって自分の感覚と行動がどんどん乖離されていって、それに徐々に慣れてくる。
それで、自分の持ってる感覚をどんどん信じられなくなっていく。
みんなと違うというだけで、間違っているんじゃないか、本当は普通の感覚しか持っていないのに、わざと奇をてらってかっこつけているだけなんじゃないか、とかどんどん自分の感覚を疑って、矯正して、社会のそれに合わせるようになっていく。
誰かの何かがきっかけで、僕が作り上げた同調圧力は、集団においての正しさとなっていく。
そこから外れるためには、皆が納得する分かりやすい成功が求められる。
学校で獲得した同調圧力は、死ぬまで僕につきまとうだろう。
それにも関わらず、芸術に関することだけは、自由に自己判断になんでもやっていいって言われても、それはできなかった。
こんなしょぼい才能ですら潰されるのに、日本では本物の芸術家は生まれないだろうなとひちりごちる。
今思えば、先生も大変だったと思う。
個性を尊重して伸ばせみたいな教育の格言は頭の片隅にはあっただろうけど、決められたカリキュラムと時間制限の中で、多くの生徒を、落ちこぼれをなるべく出さずに、均一に教えていくことでいっぱいいっぱいで、個性になんて気を配られへん。
だから、結局先生の言うことも聞かずに、社会規範も気にしない馬鹿しか、自由な芸術はできへんねやろうなって気付いた。
オレみたいにほどほどに言うこと聞いて、たまに反逆児を気取って枠からはみ出るけど、その出方が皆に周知された決まり切ったパターンのルール違反になってしまってる個性は、「ああ、その奇をてらうパターンね」と解釈されるだけで、何も創り出せない。
僕は自由に泳げない。
でも、小説だけは違った。
小説だけは、僕が息継ぎなしで自由に泳げる場所だった。
小説だけは、面白いかどうかを抜きにしてみれば、本当に自由に書いていいものだった。
奇をてらっても、かっこ悪くても、誰かの物まねでも、すべて平等に受け入れてくれる懐の深さがある。
全てが平等であるからこそ、「他人と違うこと」や「奇をてらうこと」は何の得にもならない。
かっこいいとかかっこ悪いとか、そんなどうでもいい評価の概念もない。
何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
自由でもいいし、不自由でもいいし、単純でもいいし、混沌でもいい。
ここにあるのは面白いか否か、それだけだ。
それだけを求めて、今日も僕は物語を紡ぐ。