ポリテクセンターって知っていましたか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E8%83%BD%E5%8A%9B%E9%96%8B%E7%99%BA%E4%BF%83%E9%80%B2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC#.E9.96.A2.E6.9D.B1.E5.9C.B0.E6.96.B9

 

11月に定年退職した友人と会ったら、「ポリテクセンターで、システムエンジニアコースを受講している。」と言われました。

「え、システムエンジニアコース?!」って、彼女30数年前システムエンジニアの新人研修(それも、1年ぐらい)を受け、かなり長い間SEだったはず。(途中で、制度が変わりSEという資格もなくなったけど。)

もちろん当時の研修に、JAVAもオブジェクト指向もなかったけど、履歴書に勤務していた会社は記載していたでしょうに、合格させた人、勇気があるな。

彼女はどうしても就職したいわけではなく、給付金を受給するための活動実績として応募したようですが、結果として150日の期間が2か月以上伸びることになったようです。(コースを受講している期間は6か月で、その前1か月分は受給していたとのこと。)

内容を聞くととっても面白そう。

9月からのコースもあるけれど、横浜の希望が丘では通うのはとっても無理だし、あきらめるしかなさそうです。

ただね、この内容を身に着けたら就職は間違いなく可能だけど、限りなくブラックな働き方になると思います。それがいいんだか悪いんだか、、、

 

退職して約10か月。

もう仕事はしないつもりだけど、SQLだとかオブジェクト指向だとか聞くと、何となく熱くなってしまいます。

 

 

 

 

気が付かなかった。

児童手当の所得制限って、夫婦の合算でなはく所得の多いほうなんですね。

現在児童手当が数千円というのは、どちらか一人の収入が960万円を超えているってことなんですね。

20数年前、子供を保育園に入れるために奮闘していたとき、優しい区役所の職員の方は、少しでも保育料が安くなるように、児童手当がもらえるようにと調べてくれました。

当時は一定の所得以上では児童手当は支給されず、保育料も最高額でした。

それでも不満はありませんでした。

自分自身が仕事をするときの時給(お客様に請求する単価)を考えたとき、保育園料は驚くほど安かったことを覚えています。

感謝、感謝でした。

なんでこんなに安いんだろうと、内心思ったものです。

私自身は、子供が小学校に入るまでの期間(5~7年)は、自分の給料分はかかってもしょうがないと覚悟していました。

週2,3回お迎えのベビーシッターを頼んだり、それなりの支出がありました。

当然だと思っていました。

960万円以上の収入のある旦那様がいらっしゃるのなら、保育ママさん+ベビーシッター、評判のいい無認可保育園など選択肢はあるはず。

自分だけが得するのではなく、みんなが幸せになることを考えることが大切だと思っています。

 

昨日、50代後半の乳がん患者2人と話しました。

私を含め3人ともに50歳前後に罹患し、治療中も正社員として勤めていました。

手術の時期も、抗がん剤の時期も働いていました。

治療が落ち着てきて、本来ならば定年まで働き続けられる条件ができたのに、56,57歳ぐらいで(お金の手当てが出来たら)退職したくなり、私ともう一人は昨年退職しました。

もう一人は57歳(あと1.2年)でやめたいととのこと。

 

預金、個人年金、公的年金など、ある程見えてくるので老後の生活の予定も立てられます。

ましてや、退職金の割り増しなんて言う話があったら、「もう、いいかな?」って思っちゃうんです。

 

気が付いたのは、通勤。

都内に住んで、郊外に通勤。

ラッシュがなくて楽だろうと思われがちですが、実際は帰宅時の電車本数が少なく、無駄な時間が増えてしまいます。帰宅時間も遅くなりがちです。

 

抗がん剤を終え、ホルモン剤治療中の身体にはボディブローのように効いてきます。

気力が続かなくなるんです。

 

乳がん患者としては恵まれているのだという自覚はあります。

検査の回数も少なくなり、毎日一粒のホルモン剤を飲むだけで、普通に正社員として働いでいて、外から見ると、罹患前と変わらない生活を送っているように見えます。

もう治ったんでしょという、周囲の視線も感じます。

 

だけどそれでもやっぱり、身体が辛くなることがあることもわかってほしい。

一番近い事業所に勤務していたら、定年まで續いていたかも。

ただし、そこには私の得意とする仕事はなかったけどね。