今年1月に実母が亡くなり、我が家では「親の介護」は終わりました。

25年前に結婚した時、義父は亡くなっており、義母と実父、実母の3人でした。
15年近く介護とは無縁の生活でした。

実父の肺がんがわかったのが11年前。ステージ3bでした。
その後はほとんど入院で、4か月後に亡くなりました。
その間、実母がほとんど毎日病院に通いつめ、一人で実父の介護を担っていました。
4か月という期間は、実母にとってちょうどよかったのではないかと思いました。
自分のできること、やれることはとことんやりました。
もし、これが2年、3年続いたら実母は力尽きていたと思います。
実母はある程度の達成感が持てて、なおかつ自分の体力を保てたので、ある意味充実した介護だったと思います。

その後ほどなく、義母が寝たきりになりました。
義母には3人の娘(夫の姉)がいます。それも電車で1時間圏内に住んでいます。
介護は3人の義姉が分担しながら行ってくれました。
娘たちの子供のうち、一番近くに住んでいた孫娘も介護にかかわっていました。
嫁の私は出る幕なく、申し訳なく思いながらも、ほっとしていました。

実母は実父が亡くなって3,4年後ぐらいからいろいろな病気で病院にかかるようになり、入退院を繰り返すようになりました。
それでも、自宅にいるときは一人で生活できるので、介護は必要ありませんでした。
介護が必要になったのは、2011年1月。
2か月近く入院した後、自分で立ってあることが困難になりました。
要介護3と認定され、公的なサービスを利用しながら私が介護を行いました。
途中一度入院(3月11日は入院中でした)しましたが、7月の認定では要介護2となり、実母の状態はは若干改善されたと思っていました。
10月ごろには家の中では、少しは歩けるようになり食事はほとんど自分で作っていました。
私は週に3,4回包帯の巻き替えをするぐらいでした。
ディサービスでも友達ができ、精神的にも安定して、このままの状態が3,4年は続くだろうと思った矢先、いきなりおなかが張ってきました。
便がでない、食べることができないという状況になり、かかりつけの病院に入院しました。
最初は、「腸の動きが悪くなっているので、便秘になっているのだと思います。」という見立てでした。
でも3日後には「すい臓がんです。もう、治すための治療はありません。」という宣告。
その時点で、余命1、2週間ということでした。
それでも1か月頑張りました。
最後の2週間は、ずっと離れて暮らしていた弟も、毎日病院に通って介護しました。
入院後一度も病院食を食べることはありませんでしたが、主治医の「食べたいというものは、なんでも食べさせてください。」というアドバイスのもと、本当になんでも食べさせました。
寿司(中トロ、あなご、ホタテ)、年越しそば、きんとん、プリン、桃の缶詰など。
ほんの少ししか食べることはできませんでしたが、実母以上に私と弟が満足しました。
最後の日は個室に移り、弟が病院に泊まりました。
亡くなったのは朝7時ぐらいで、弟が泊まっていなければ誰も立ち会うことができなかったでしょう。(6時の時点で、今日はまだ大丈夫そうだよと、弟から電話がありました。)

これ以上は、弟も私も続けることはできませんでした。
本当にちょうどいい期間でした。
1年はやくすい臓がんとわかっても、実母の年齢では治療はできなかったでしょう。
全く知らないで過ごした1年間は、実母にとっても周囲にとっても幸せだったと思います。
一応介護をしたという気持ちにもなれ、肉体的、金銭的にも大きな負担ではなかったという、幸せな介護でした。

私の周囲で起こっている、介護の話題はこの次の機会にします。