常識の着せ替え | グロのブログ

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こんにちは、グロ@生きてます。

週末の台風は大したことなくて

よかったですね。

まあ、そのぶん猛暑ですが。。

 

さて、本日は

 

「常識の着せ替え」

 

です。

知人に外国人はいないので、日本人しか

わかりませんが一般の日本人は常識と

自身が一体になっています。

 

何を言っているんだ?

だと思いますが、自分が自分であるために

必要な部品にどれだけ社会常識が

含まれてているか?

と言っています。

 

例を言うと

「お世話になったらお返し」をする

は割と、どの集団でも常識ですよね、

でも、それは社会常識であって

自身が自身である部品ではない。

何なら「お返し」を当たり前としない

集団も存在する。

 

誤解を招かないように言います。

「常識を打ち破れ!」みたいな安い

自己啓発セミナーのように常識を

捨てろと言っているのではないです。

どれが常識で、どれが自分なのか?

をハッキリさせる必要があると

言っています。

 

自身を見極めた上で、社会常識を

衣服として身にまとう。

 

グロは不器用なので、随分と自分が自分で

ある部品を特定するのに時間がかかりました。

 

なんでこんなことを言っているか、

これから嵐の本体が来ます。

この嵐で常識は大きく変わります。

その時に、外すべき常識が自分にくっついて

いると、変化にすごい痛みを伴います。

 

なので、痛くないように

必要な服(常識)に着替える準備を

して欲しいと願っています。

 

<おまけ1>

こういうことを書くと昨今のLGBTやら

ポリコレやらに対応するの?

と誤解する人がいると思いますが、

これらは第二次世界大戦が起きる前に

起こった共産主義思想の流行と同じです。

というか、それらを真似た後方攪乱です。

(嫌がらせとも言うw)

 

これが新しい潮流だ!って着替えると、

後から痛い目をみるかと。(^_-)-☆

 

<おまけ2>

纏う衣服(常識)ですが

下着・上着・アクセサリーの

区別をするといいと思う、外しやすさの目安。

「人を殺してはいけない」とかは

悲しいけど、下着(極限では外すことを強要される)