ここのところ、
神社仏閣に出かける機会が続いて、
二匹の龍を目にした。
1つは、普賢寺の龍。
角やところどころが欠けている。
目が怖い雰囲気を出しているけど、
なんか、全然怖くない。
ユーモラスな風に感じるくらい。
もう1つは、椿大神社の龍。
実は、写真を撮るのも、
ましてや、記事にするのも憚られたのだけど、
それは、
龍の姿が、痛々し過ぎて、
見てはいけないものを見てしまった、
そんな気がしたものだったから。
椿大神社には、何度も行っているのに、
今回、初めて気がついた。
それまでは、どうだったのか、わからない。
申し訳ない、と思った。
普賢寺で、預かっている方が、
『仏像が盗まれることを、聞くようになって、
開放的にしているのも、心配かな、
とは思うけど、
来てくださる方に、間近で見てもらいたいから。』
と、言われていたことを思い出した。
普賢寺では、普賢菩薩さまに囲いもなく、
後ろに回って、背中まで見ることができた。
大きな仏像だから、
持っていくなんて、容易なことではないだろう、
とは、思うけど、
プロは、違うのかもしれないし、
お寺の方の考え一つなのかもしれない。
盗む人がいるから、こんな風に守らなければいけなくなるのだ、
というだけではなくて、
龍を、こんな姿にしてしまっている、
世の中を作ってしまっている、
責任の一端が、自分にもある、
ということを感じるから、
本当に、申し訳ないと思う。
龍を雁字搦めにしてしまって、
私たちの中にある龍は、立てるのだろうか。
霊性が立つ時代だと、
耳にすることが多くなった。
痛々しい龍の姿を見せてもらったのは、
私自身を、今一度、何度も何度も振り返れ、
と、言われているように思った。
お読みいただき、ありがとうございます。
ステキな1日を、お楽しみください💕