【サボテン砂漠からのメッセージ】
信号を最後に見たのは何日前だっただろう? 曜日や時間の感覚まで忘れてさり、そんなものなんて必要のない世界。 日が昇り、日が沈む。こんなシンプルな世界はここに来なくてもある。
飛行機で飛べばすぐに着く場所も
車では何日もかかる。。
昔、カウボーイは馬と一緒に。。
もっと前は歩いて。。
「わぁ。。。 気が遠くなるなぁ。 この距離。」
人の気配が全くない。もう4時間以上車も運転しているのに通り過ぎる車すらない。。こんな所でガソリンが無くなったら本当に死んでしまう。。。
昔の旅人は何を考えながら変わりない風景を見ていたのだろう?
人が歩ける距離なんてたかが知れてる。
自分が持参できるだけの食料と水。
水を全て飲み終えてしまう前にオアシスを見つけなくっちゃ。。
でも、オアシスが見つからなかったらどうしよう?
「いや。絶対に見つかる。。。」
そのような事を考えて景色を見てみると
突然見えなかったものが見えてくる。。
一本のサボテンの芯が育つのに最低100年。腕がはえてまた100年、200年だって。。
どのような位置に植物が集まって生えているのかとか。。
この地域は嵐がくると荒水となり通り抜けているのだろうとか。。
あの雲の位置は気圧が高いから風の流れがどうだとか。。
このような葉っぱの形だからこそ、水分を吸収し易くなっているのか。。
この足跡はまだ新しい。 どこかで狩りをしているのか?
それとも狩りをされているのか??。。 汗
熱い日差しから避けることができなかった時代、
始めて旅した冒険家はどのようにして
このような広大な場所を渡ったのだろう?
周りからは無謀だとか自殺行為だとか言われたのかなぁ。
失敗しても当たり前のようなことを
なぜ人は試みるのだろう?
なぜ命に関わるようなことをわかっていても
人は旅にでるのだろう?
それは人として生まれてきた本能がそうさせているのだと思う。
「理由」を越えた本能というもの。
生きるために必要な本能って
物理的に生き延びるための能力だけではないって思うんだ。
人として生きるために必要な本能とは
心が生きるための環境も重要な役割だと思う。
もし、人として一つだけ与えられた事を全うするとしたら。。
それは人としての可能性を試すことなのかもしれない。
人として可能性を試すってことは
一番になることじゃない。。
また、一生どれだけ多くのものを集めることができるのか?
ということでもなかったんだよ。。
人として可能性を試すということは
「自分が信じている事を全うすることだと思う。」
成功とか、
パフォーマンスとか、
アチーブメントとか。。
世の中ではこの3つの事柄を
あたかも人生のゴールのように語られているけれど、
実はそのような事柄からもっと上に、いや、もっと違った次元に
重要なことがあるんだって感じるようになったんだ。。
このブログを通して「成功・パフォーマンス・アチーブメント」といった内容を沢山書いてきた。
今でもその内容を否定していないし、とっても大切なことだと思うよ。
自分もこれまでに沢山の事柄を達成できたり
とっても厳しい環境で他にないパフォーマンスを発揮したり
成功という表面的なラベルを貼られヒヤヒヤされたり
ウキウキしたこともあった。。
でもねぇ。
人として生きるための本能だろうか?
あの時の成功やパフォーマンスは
達成すれば達成するほど、何かが無くなってゆく。。
当時は時間だった。。
頑張れば頑張るほど時間を全て失われていった。。
っというより、自分でそのような世界を造り上げたという表現が正しいと思う。
成功すればするほど失われてゆく大切な時間。
有名になればなるど、ポジションが上がれば上がるほど
自分という大切な心を失っていったあの時。
それは、
目先だけの成功や社会が常識として語られている理想的なゴールや頂点を
分けも解らず登っていたかなんだよねぇ。。
でもねぇ、
やっぱり僕たちには本能があるんだよ。
失いかけていた心に光を指してくれたもう一つの本能。
物理的な自由な時間を取り戻しても、
物理的に自由な移動力を手にできても
心のどこかで足りなかったもう1人の自分。
そんなもう1人の自分にやっと会えることができたんだ。
彼は僕がどんなに頑張っても話すことができない場所に住んでいた。
だからずっと会えなかったのかも知れない。
全てをオフにして
風の音、砂の音、体の中で流れる血液の音が聞こえた時、
やっと彼の存在が解るようになったんだぁ。
彼が住んでいる世界では僕がずっと長い間
忘れかけていた力をもう一度思い出させてくれた。
それは成功とか達成とかいった思想の分野を越えた
もっと高くて深い位置にある力だった。
人とし生まれ持った最強の力。
それが、
信念という力であり
精神というずっと探していた本能が持つ
「良心」だったんだ!
昔はこの場所からカウボーイを見下ろしていたんだって。。
昔から旅人は良心の元、
信念の力をたより旅をした。
何千年も前にもこの場所で誰かがこの景色を見たのだろう。
多くの人々はあっちへ行っても何もないだろうって言っただろう。
それどころか死んでしまうって。。
でも信念に満ちた旅人は
「いや、僕はあっちに必ずオアシスがあると思う」って言ったのだと思う。
なぜなら風が流れているいるから。。
それから、何人もの旅人が迷い命を失ったのだろう。。
でも彼らは道に迷ったのではなく心に迷いができたのだろう。。
結果、最初に1人がオアシスであるカリフォルニアに辿り着く。
その旅人の目の中には何が映っていたのだろう?
16年前僕は日本に住む従兄弟とこのルートを走った。あの時の自分は過去や将来のことなどあまり興味がなく、もっともっと子供で無邪気であった。 でも昔に戻りたいという感情は全くなく、今の自分のあり方にもっと感謝できるばかりか、あの時のエネルギー(信念)をもう一度注入することで残りの人生を全うする最高の時期だと思った。 自分という可能性とはこのような経験や教えていただいた知恵、視野をこれから羽ばたくみんなに届けることなのだと思う。僕の信念は心耕というライフタイムを問う事でありシェアすることだったんだ。。。
See ya,
:D
Arizona, USA
飛行機で飛べばすぐに着く場所も
車では何日もかかる。。
昔、カウボーイは馬と一緒に。。
もっと前は歩いて。。
「わぁ。。。 気が遠くなるなぁ。 この距離。」
人の気配が全くない。もう4時間以上車も運転しているのに通り過ぎる車すらない。。こんな所でガソリンが無くなったら本当に死んでしまう。。。
昔の旅人は何を考えながら変わりない風景を見ていたのだろう?
人が歩ける距離なんてたかが知れてる。
自分が持参できるだけの食料と水。
水を全て飲み終えてしまう前にオアシスを見つけなくっちゃ。。
でも、オアシスが見つからなかったらどうしよう?
「いや。絶対に見つかる。。。」
そのような事を考えて景色を見てみると
突然見えなかったものが見えてくる。。

一本のサボテンの芯が育つのに最低100年。腕がはえてまた100年、200年だって。。
どのような位置に植物が集まって生えているのかとか。。
この地域は嵐がくると荒水となり通り抜けているのだろうとか。。
あの雲の位置は気圧が高いから風の流れがどうだとか。。
このような葉っぱの形だからこそ、水分を吸収し易くなっているのか。。
この足跡はまだ新しい。 どこかで狩りをしているのか?
それとも狩りをされているのか??。。 汗
熱い日差しから避けることができなかった時代、
始めて旅した冒険家はどのようにして
このような広大な場所を渡ったのだろう?

周りからは無謀だとか自殺行為だとか言われたのかなぁ。
失敗しても当たり前のようなことを
なぜ人は試みるのだろう?
なぜ命に関わるようなことをわかっていても
人は旅にでるのだろう?
それは人として生まれてきた本能がそうさせているのだと思う。
「理由」を越えた本能というもの。
生きるために必要な本能って
物理的に生き延びるための能力だけではないって思うんだ。
人として生きるために必要な本能とは
心が生きるための環境も重要な役割だと思う。
もし、人として一つだけ与えられた事を全うするとしたら。。
それは人としての可能性を試すことなのかもしれない。
人として可能性を試すってことは
一番になることじゃない。。
また、一生どれだけ多くのものを集めることができるのか?
ということでもなかったんだよ。。
人として可能性を試すということは
「自分が信じている事を全うすることだと思う。」
成功とか、
パフォーマンスとか、
アチーブメントとか。。
世の中ではこの3つの事柄を
あたかも人生のゴールのように語られているけれど、
実はそのような事柄からもっと上に、いや、もっと違った次元に
重要なことがあるんだって感じるようになったんだ。。
このブログを通して「成功・パフォーマンス・アチーブメント」といった内容を沢山書いてきた。
今でもその内容を否定していないし、とっても大切なことだと思うよ。
自分もこれまでに沢山の事柄を達成できたり
とっても厳しい環境で他にないパフォーマンスを発揮したり
成功という表面的なラベルを貼られヒヤヒヤされたり
ウキウキしたこともあった。。
でもねぇ。
人として生きるための本能だろうか?
あの時の成功やパフォーマンスは
達成すれば達成するほど、何かが無くなってゆく。。
当時は時間だった。。
頑張れば頑張るほど時間を全て失われていった。。
っというより、自分でそのような世界を造り上げたという表現が正しいと思う。
成功すればするほど失われてゆく大切な時間。
有名になればなるど、ポジションが上がれば上がるほど
自分という大切な心を失っていったあの時。
それは、
目先だけの成功や社会が常識として語られている理想的なゴールや頂点を
分けも解らず登っていたかなんだよねぇ。。
でもねぇ、
やっぱり僕たちには本能があるんだよ。
失いかけていた心に光を指してくれたもう一つの本能。
物理的な自由な時間を取り戻しても、
物理的に自由な移動力を手にできても
心のどこかで足りなかったもう1人の自分。
そんなもう1人の自分にやっと会えることができたんだ。
彼は僕がどんなに頑張っても話すことができない場所に住んでいた。
だからずっと会えなかったのかも知れない。
全てをオフにして
風の音、砂の音、体の中で流れる血液の音が聞こえた時、
やっと彼の存在が解るようになったんだぁ。
彼が住んでいる世界では僕がずっと長い間
忘れかけていた力をもう一度思い出させてくれた。
それは成功とか達成とかいった思想の分野を越えた
もっと高くて深い位置にある力だった。
人とし生まれ持った最強の力。
それが、
信念という力であり
精神というずっと探していた本能が持つ
「良心」だったんだ!

昔はこの場所からカウボーイを見下ろしていたんだって。。
昔から旅人は良心の元、
信念の力をたより旅をした。
何千年も前にもこの場所で誰かがこの景色を見たのだろう。
多くの人々はあっちへ行っても何もないだろうって言っただろう。
それどころか死んでしまうって。。
でも信念に満ちた旅人は
「いや、僕はあっちに必ずオアシスがあると思う」って言ったのだと思う。
なぜなら風が流れているいるから。。
それから、何人もの旅人が迷い命を失ったのだろう。。
でも彼らは道に迷ったのではなく心に迷いができたのだろう。。
結果、最初に1人がオアシスであるカリフォルニアに辿り着く。
その旅人の目の中には何が映っていたのだろう?
See ya,
:D
Arizona, USA