【最後の瞬間を心に思い、毎日を過ごす】
「今、空港に向かって次のフライトをキャッチしたとしても、
セレモニーには間に合いません。。。」
「。。。。。」
沢山の映像が脳裏に移った。
カリフォルニアを経つ数日前、
リビエラで彼女といつもと変わらぬお昼を過ごしたばかりだったのに。
「大ちゃん、今日はハグはいいから、行ってらっしゃい。」
「帰ってきたらまた続きを話せばいいから。。」
通常、彼女と別れる時は、いつもハグをした。
ハグをする際、彼女はいつも耳元で「頑張ってらっしゃい」とつぶやいてくれた。
でも、
今回はなぜかハグをせず、そのもまま気軽に別れを告げた。
帰り際、少々ぎこちない感覚があったのを覚えているけれど、
あの時が彼女との最後のお別れになるとはどうしても創造できなかった。
人生、全ての事柄は点と点で繋がっているという。
ただし、
行動している時はそれが重要な点になるということがわからず、
未来に起こり得ることが確実に点になることもわからない。
「点」が「点」と繋がり人生という「線」になるのは、
過去を振り返った時始めて明白になるものであり、
それが「人生」の面白いところだと思う。
今、振り返ってみると彼女が言っていた言葉全てが点となって繋がっている。
彼女はいつも僕の先回りをして、一言で教えを表現したり、
時には大きな課題を与えてくれることもあった。
あの時、ハグをしなかったのは
僕に心配させたくなかったからだと思う。
病と闘いながら一生懸命体調を維持されておられたのだろう。
「行ってらっしゃい。」
いつもの決まりセリフで大きな笑顔。
彼女はそう言うと体全体を使って僕を送り出してくれた。
今、僕にできること。
今僕にできることは彼女の事を考えることだと思う。
彼女が残してくれたこと。
彼女がしたかったこと。
彼女が信じていたこと。
彼女が伝えたかったこと。。
人はこの世を離れた数日間、
暗闇の中をさまよいどこへ向かって歩いて良いのかわからないという。
そんな時、残された人々が思う心が
彼・彼女の周りに光を指すという。
だから、今僕にできることは彼女のことを思うことだと思うんだぁ。
さとこさんはとても小柄な方だった。
そんな小柄な体系とは正反対に堂々たる自信が溢れた彼女の姿は
一度会うと忘れることができないほどの存在感があった。
アメリカ西海岸ビバリヒルズ・ハリウッドを含める全てのリーダー核が集まるプライベートクラブ、「リビエラ・カントリークラブ(RCC)」を現地で仕切る総責任者が彼女であり、誇らしい日本人でもあった。
「ここに居るといろいろな人に会うことができてねぇ、
お話を聞いているとこっちもエネルギーがでてくるのよ。。」
彼女はいつも笑顔を欠かせない女性だった。
僕が彼女と会ったのは独立して間もない中、
RCC内のホテルに飾るポストカードのデザインをしたことがきっかけだった。
数少ない日本人ということもあり初日から会話も進んだけど、
当時はお互い英語で話していたのを覚えている。
変に日本かぶれしているのでもなく、世界標準で価値感を共有できた数少ない人。
彼女も世界中を旅して周り、カリフォルニアで人生の後編を過ごす1人だった。
以後、RCCの全体計画・マスタープランに携わりクラブそのものの歴史、政治的チャレンジ、アメリカ全土が誇る伝統など様々な方向から理解できることができたのも彼女のインサイトがベースであり、逆にそのことで彼女の事を深く知ることができるきっかけとなった。
「大輔さん、リビエラはね、プロジェクトではなく、人生なのよ。」
「アメリカの伝統の一つになるわけなんだから、
他人から見るアプローチではなく、内部の神髄から理解して経験しなくっちゃねぇ。」
「そんな渋さを理解しておられる方が社長であり、
あなたは社長が抱くビジョンのお手伝いをするためにここにいるのよ。。」
常にはっきりと一言、一言を発音する彼女のスピーチは
周りを説得する何か魔法みたいなものがあった。
「大ちゃん、建築家は建築だけじゃだめなのよ。」
「もっと、自由に遊びなさい。」
「そうすれば、もっと建築ができるようになるから。」
「真剣な顔をすると、簡単なことも難しく見えてしまうわよ。。。笑」
ゴルフを始めたのもそんな彼女の言葉がきっかけだった。
金銭的成功の裏腹に全く時間が無かった当時の自分のライフスタイルを考えると
「ゴルフ」という時間が掛かるアクティビティーなど創造もできなかったけど、
取りあえず始めることとなったのも、彼女のエネルギッシュな言葉からだった。
以後、仕事をサボってでもゴルフに夢中になったり、
ゴルフに行くために仕事を終わらせることがあるぐらいになった。
ゴルフばかりではなく、友達との時間、大好きな旅行、
ジェットスキーや最近ではスカイダイビングまで楽しむようになり、
仕事とホビーの両立は成立できる喜びも彼女から学んだ。
彼女の言葉を借りるならば、
「仕事とは人生であり、愛するものを言う」
愛することをする時、どんな作業をしていても
心輝き、同じ場所にいる必要はない。
愛にもメリハリがあり、
愛を育てるためには、時おり違った角度から愛を見る必要がある。
つまり、愛することをすることが仕事であり、
仕事のために働いている限り愛することはできないということだ。
「もし、大ちゃんが一週間後に死ぬとする。」
「そんな時、あなたは何をするのかしら?。。。」
「それがあなたが生まれてきた使命であり、愛することなのよ。。。」
リーマン・ショックから全てが危機に面した時も
彼女は笑顔で人生という大きな枠から物事を判断する大切さを教えてくれた。
彼女は、
旅経つ前日までRCCに常務し、彼女が愛する仕事を全うした。
彼女は、
娘・エマと社長へきちんと遺言を残していたという。
彼女は、
自分のお墓も既に準備され
彼女の突然の旅立ちに残された人々が動揺しないように
重要なことは既に済まされ、混乱や人に迷惑を一切掛けず、
静かに旅立った。
Begin with the End in Mind
最後の瞬間を心に思い、毎日を過ごす
こんなにカッコいい人生の過ごしかたがあるだろうか。
彼女は僕の人生の恩師であり、親友であり、クライアントでもだった。
彼女の旅立ちを知ってから数日間、
何をして良いのかわからなくなった。
どこか、自信を失った自分が居た。
心に大きな穴が開いたような気がした。
「将来、わからない事が起きたら誰に相談するべきなのか。。」
日常は普段と変わらぬ振りをしているつもりでも、
忘れ物をしてしまったり、ちょっとしたことでイライラしてしまったり。
自分らしくない自分がいた。。
彼女の言葉がとても懐かしく思う。
「大ちゃん、人生短いんだからあなたが信じたことをすればいいのよ。。」
夜中、突然起きて涙が沢山流れてきた。
とても熱い涙だった。
もし、こんなショボンとした僕を見たら、彼女はとても悲しく思うだろう。
もし、彼女の旅立ちを認めず「死」の原因を追求したり、
他を憎むことがあれば、彼女はどんなに深く惜しむことだろう。
頭でわかっていたけれど、どうしても体がついてきてくれなかった。
ちょっとした瞬間を見つけては、弱い自分が現れ目頭が熱くなり、
仕舞には熱にうなされダウンしてしまった。
彼女に手紙を書いた。
書きながら、また涙が流れてきた。
結局、最後まで手紙は書けなかった。
まだ、どこかにいるような気がして。
なんだか、
悪い夢を見ているような気がして
何度も何度も彼女から受け取ったメールを読み返した。
最後のメール交換は3月15日、震災の件で日本側安否確認のメールだった。
「大ちゃん、安心してお仕事をこなしてください。」
彼女の旅立ちを聞いてから5日後、アメリカに戻る決心をした。
夢ではない現実を、さとこさんがいないあの場所へ勇気を持って戻ろうと思った。
そう考えた瞬間、
今彼女が仮にいないとしても彼女がどんな表情でどんな言葉を話してくれるのかがわかるようになった。
彼女の存在を感じることができるようになった。
僕たちは彼女の思い出と一緒に、もっと人生を楽しまなくっちゃいけないって。
喜びを体で表現し、
世界へ広めることが彼女が本当に求めた最大のギフトだっていうことを。
彼女と話した建築とは「先生」と振る舞い作品づくりを気取るものではなく、
楽しく、安心できて、気持ちのよい、人が経験できる環境であるということを。
建築は建物だけではなく、スピリチャルな要素をかなえていることを。。。
これから、そんな建築を創造していこうと思う決心がついた。
「スピリチャル・アーキテクチャー」をこの人生でマスターしたいと思うようになった。
【死とう概念】
十代後半、自分も「死」という事実に触れることができた。
その後も、何度か死んでもおかしくないようなイベントに巻き込まれたりしたけれど、ちょっとしたタイミングから生死が分けられた。
今も自分はこうしてみんなと話しをすることができるのは、
何かの意味があると思うし、
こうやって「死」について考えることができるのは、
「死」という事実を正面から受け入れようという無条件の力を感じるからだと思う。
自分にとってあの出来事は「死」という事実を一番身近に感じた経験で、
そのような経験はこれから何十年以上も体験したくないもの。
年齢はともあれ、経験者として思うこと。
それは、
「死」とは人が創造する概念ということ。
この世の中に死にたいと思う人なんて1人もいない。
天国に行くことを願っている人だって
そこに辿り着くために死ぬなんてイヤだって思うもの。
でもね、
「死」は生まれてきた全ての人びとに与えられた終着点であり、
誰も逃れることができない事実でもある。。。
だってそうだよねぇ。
「死」は生まれた時に与えられた使命であって
もしかすると、生命が造り出した最大の発明なのかも知れないと思う。
死は生命をクリーニングする浄化剤みたいなもので、
従来あるものを取り除き、新たな役割を造り出す。
死はこれまでに出来なかった常識を覆し、
情熱というきっかけを作る活性剤みたいなものでもある。
時間という軸がある限り、死は何れ訪れる。
今は若いと言って沢山の時間があると思いがちだけど、
徐々に歳をとり残りの時間を数える時がくる。
結果、何れ僕たちも死という概念を体験し
この人生に終着点を打つことになる。
新たな人生への旅立ち。
残された人への思いや希望。
とってもドラマチックで否定的なニュアンスに聞こえるかもしれないけれど、
事実には良し悪しはない。
人生の時間には限りがある。
だから、
彼女の言うように生きようと思う。
「もっと自由に好きなことやればいいのよ。。。。」
「人の目なんて気にすることなく、
会社の大小や組織なんかに溺れることなく、
あなたが心に感じることを、真っ直ぐ、素直にやり通せばいいのよ。」
「他人の野望や社会が作った間違いのためにあなたの人生を費やすのではなく、
自分の人生を命いっぱい生きればいいのよ。」
Satoko Stachowicz 1948-2011
2011年春、クラブハウス前の顔「チャンピオンズ・サークル」が完成し本当に嬉しそうだった彼女。 彼女との思いでを大切に、これからも命いっぱい人生を楽しんでみよう。
自分勝手ではなく、自分らしく。
さとこさん、
本当に、本当に、喜びを伝えてくれたありがとう。
谷垣 大輔
2011年4月
上海
関連記事:
→http://ameblo.jp/e-volution/entry-10808471111.html
セレモニーには間に合いません。。。」
「。。。。。」
沢山の映像が脳裏に移った。
カリフォルニアを経つ数日前、
リビエラで彼女といつもと変わらぬお昼を過ごしたばかりだったのに。
「大ちゃん、今日はハグはいいから、行ってらっしゃい。」
「帰ってきたらまた続きを話せばいいから。。」
通常、彼女と別れる時は、いつもハグをした。
ハグをする際、彼女はいつも耳元で「頑張ってらっしゃい」とつぶやいてくれた。
でも、
今回はなぜかハグをせず、そのもまま気軽に別れを告げた。
帰り際、少々ぎこちない感覚があったのを覚えているけれど、
あの時が彼女との最後のお別れになるとはどうしても創造できなかった。
人生、全ての事柄は点と点で繋がっているという。
ただし、
行動している時はそれが重要な点になるということがわからず、
未来に起こり得ることが確実に点になることもわからない。
「点」が「点」と繋がり人生という「線」になるのは、
過去を振り返った時始めて明白になるものであり、
それが「人生」の面白いところだと思う。
今、振り返ってみると彼女が言っていた言葉全てが点となって繋がっている。
彼女はいつも僕の先回りをして、一言で教えを表現したり、
時には大きな課題を与えてくれることもあった。
あの時、ハグをしなかったのは
僕に心配させたくなかったからだと思う。
病と闘いながら一生懸命体調を維持されておられたのだろう。
「行ってらっしゃい。」
いつもの決まりセリフで大きな笑顔。
彼女はそう言うと体全体を使って僕を送り出してくれた。
今、僕にできること。
今僕にできることは彼女の事を考えることだと思う。
彼女が残してくれたこと。
彼女がしたかったこと。
彼女が信じていたこと。
彼女が伝えたかったこと。。
人はこの世を離れた数日間、
暗闇の中をさまよいどこへ向かって歩いて良いのかわからないという。
そんな時、残された人々が思う心が
彼・彼女の周りに光を指すという。
だから、今僕にできることは彼女のことを思うことだと思うんだぁ。
さとこさんはとても小柄な方だった。
そんな小柄な体系とは正反対に堂々たる自信が溢れた彼女の姿は
一度会うと忘れることができないほどの存在感があった。
アメリカ西海岸ビバリヒルズ・ハリウッドを含める全てのリーダー核が集まるプライベートクラブ、「リビエラ・カントリークラブ(RCC)」を現地で仕切る総責任者が彼女であり、誇らしい日本人でもあった。
「ここに居るといろいろな人に会うことができてねぇ、
お話を聞いているとこっちもエネルギーがでてくるのよ。。」
彼女はいつも笑顔を欠かせない女性だった。
僕が彼女と会ったのは独立して間もない中、
RCC内のホテルに飾るポストカードのデザインをしたことがきっかけだった。
数少ない日本人ということもあり初日から会話も進んだけど、
当時はお互い英語で話していたのを覚えている。
変に日本かぶれしているのでもなく、世界標準で価値感を共有できた数少ない人。
彼女も世界中を旅して周り、カリフォルニアで人生の後編を過ごす1人だった。
以後、RCCの全体計画・マスタープランに携わりクラブそのものの歴史、政治的チャレンジ、アメリカ全土が誇る伝統など様々な方向から理解できることができたのも彼女のインサイトがベースであり、逆にそのことで彼女の事を深く知ることができるきっかけとなった。
「大輔さん、リビエラはね、プロジェクトではなく、人生なのよ。」
「アメリカの伝統の一つになるわけなんだから、
他人から見るアプローチではなく、内部の神髄から理解して経験しなくっちゃねぇ。」
「そんな渋さを理解しておられる方が社長であり、
あなたは社長が抱くビジョンのお手伝いをするためにここにいるのよ。。」
常にはっきりと一言、一言を発音する彼女のスピーチは
周りを説得する何か魔法みたいなものがあった。
「大ちゃん、建築家は建築だけじゃだめなのよ。」
「もっと、自由に遊びなさい。」
「そうすれば、もっと建築ができるようになるから。」
「真剣な顔をすると、簡単なことも難しく見えてしまうわよ。。。笑」
ゴルフを始めたのもそんな彼女の言葉がきっかけだった。
金銭的成功の裏腹に全く時間が無かった当時の自分のライフスタイルを考えると
「ゴルフ」という時間が掛かるアクティビティーなど創造もできなかったけど、
取りあえず始めることとなったのも、彼女のエネルギッシュな言葉からだった。
以後、仕事をサボってでもゴルフに夢中になったり、
ゴルフに行くために仕事を終わらせることがあるぐらいになった。
ゴルフばかりではなく、友達との時間、大好きな旅行、
ジェットスキーや最近ではスカイダイビングまで楽しむようになり、
仕事とホビーの両立は成立できる喜びも彼女から学んだ。
彼女の言葉を借りるならば、
「仕事とは人生であり、愛するものを言う」
愛することをする時、どんな作業をしていても
心輝き、同じ場所にいる必要はない。
愛にもメリハリがあり、
愛を育てるためには、時おり違った角度から愛を見る必要がある。
つまり、愛することをすることが仕事であり、
仕事のために働いている限り愛することはできないということだ。
「もし、大ちゃんが一週間後に死ぬとする。」
「そんな時、あなたは何をするのかしら?。。。」
「それがあなたが生まれてきた使命であり、愛することなのよ。。。」
リーマン・ショックから全てが危機に面した時も
彼女は笑顔で人生という大きな枠から物事を判断する大切さを教えてくれた。
彼女は、
旅経つ前日までRCCに常務し、彼女が愛する仕事を全うした。
彼女は、
娘・エマと社長へきちんと遺言を残していたという。
彼女は、
自分のお墓も既に準備され
彼女の突然の旅立ちに残された人々が動揺しないように
重要なことは既に済まされ、混乱や人に迷惑を一切掛けず、
静かに旅立った。
Begin with the End in Mind
最後の瞬間を心に思い、毎日を過ごす
こんなにカッコいい人生の過ごしかたがあるだろうか。
彼女は僕の人生の恩師であり、親友であり、クライアントでもだった。
彼女の旅立ちを知ってから数日間、
何をして良いのかわからなくなった。
どこか、自信を失った自分が居た。
心に大きな穴が開いたような気がした。
「将来、わからない事が起きたら誰に相談するべきなのか。。」
日常は普段と変わらぬ振りをしているつもりでも、
忘れ物をしてしまったり、ちょっとしたことでイライラしてしまったり。
自分らしくない自分がいた。。
彼女の言葉がとても懐かしく思う。
「大ちゃん、人生短いんだからあなたが信じたことをすればいいのよ。。」
夜中、突然起きて涙が沢山流れてきた。
とても熱い涙だった。
もし、こんなショボンとした僕を見たら、彼女はとても悲しく思うだろう。
もし、彼女の旅立ちを認めず「死」の原因を追求したり、
他を憎むことがあれば、彼女はどんなに深く惜しむことだろう。
頭でわかっていたけれど、どうしても体がついてきてくれなかった。
ちょっとした瞬間を見つけては、弱い自分が現れ目頭が熱くなり、
仕舞には熱にうなされダウンしてしまった。
彼女に手紙を書いた。
書きながら、また涙が流れてきた。
結局、最後まで手紙は書けなかった。
まだ、どこかにいるような気がして。
なんだか、
悪い夢を見ているような気がして
何度も何度も彼女から受け取ったメールを読み返した。
最後のメール交換は3月15日、震災の件で日本側安否確認のメールだった。
「大ちゃん、安心してお仕事をこなしてください。」
彼女の旅立ちを聞いてから5日後、アメリカに戻る決心をした。
夢ではない現実を、さとこさんがいないあの場所へ勇気を持って戻ろうと思った。
そう考えた瞬間、
今彼女が仮にいないとしても彼女がどんな表情でどんな言葉を話してくれるのかがわかるようになった。
彼女の存在を感じることができるようになった。
僕たちは彼女の思い出と一緒に、もっと人生を楽しまなくっちゃいけないって。
喜びを体で表現し、
世界へ広めることが彼女が本当に求めた最大のギフトだっていうことを。
彼女と話した建築とは「先生」と振る舞い作品づくりを気取るものではなく、
楽しく、安心できて、気持ちのよい、人が経験できる環境であるということを。
建築は建物だけではなく、スピリチャルな要素をかなえていることを。。。
これから、そんな建築を創造していこうと思う決心がついた。
「スピリチャル・アーキテクチャー」をこの人生でマスターしたいと思うようになった。
【死とう概念】
十代後半、自分も「死」という事実に触れることができた。
その後も、何度か死んでもおかしくないようなイベントに巻き込まれたりしたけれど、ちょっとしたタイミングから生死が分けられた。
今も自分はこうしてみんなと話しをすることができるのは、
何かの意味があると思うし、
こうやって「死」について考えることができるのは、
「死」という事実を正面から受け入れようという無条件の力を感じるからだと思う。
自分にとってあの出来事は「死」という事実を一番身近に感じた経験で、
そのような経験はこれから何十年以上も体験したくないもの。
年齢はともあれ、経験者として思うこと。
それは、
「死」とは人が創造する概念ということ。
この世の中に死にたいと思う人なんて1人もいない。
天国に行くことを願っている人だって
そこに辿り着くために死ぬなんてイヤだって思うもの。
でもね、
「死」は生まれてきた全ての人びとに与えられた終着点であり、
誰も逃れることができない事実でもある。。。
だってそうだよねぇ。
「死」は生まれた時に与えられた使命であって
もしかすると、生命が造り出した最大の発明なのかも知れないと思う。
死は生命をクリーニングする浄化剤みたいなもので、
従来あるものを取り除き、新たな役割を造り出す。
死はこれまでに出来なかった常識を覆し、
情熱というきっかけを作る活性剤みたいなものでもある。
時間という軸がある限り、死は何れ訪れる。
今は若いと言って沢山の時間があると思いがちだけど、
徐々に歳をとり残りの時間を数える時がくる。
結果、何れ僕たちも死という概念を体験し
この人生に終着点を打つことになる。
新たな人生への旅立ち。
残された人への思いや希望。
とってもドラマチックで否定的なニュアンスに聞こえるかもしれないけれど、
事実には良し悪しはない。
人生の時間には限りがある。
だから、
彼女の言うように生きようと思う。
「もっと自由に好きなことやればいいのよ。。。。」
「人の目なんて気にすることなく、
会社の大小や組織なんかに溺れることなく、
あなたが心に感じることを、真っ直ぐ、素直にやり通せばいいのよ。」
「他人の野望や社会が作った間違いのためにあなたの人生を費やすのではなく、
自分の人生を命いっぱい生きればいいのよ。」
Satoko Stachowicz 1948-2011
2011年春、クラブハウス前の顔「チャンピオンズ・サークル」が完成し本当に嬉しそうだった彼女。 彼女との思いでを大切に、これからも命いっぱい人生を楽しんでみよう。
自分勝手ではなく、自分らしく。
さとこさん、
本当に、本当に、喜びを伝えてくれたありがとう。
谷垣 大輔
2011年4月
上海
関連記事:
→http://ameblo.jp/e-volution/entry-10808471111.html