【Dear Tatsuya】~たつやが教えてくれたこと
「だいすけ兄ちゃんのように僕もなりたいんだぁ」
歳が12以上も違う自分にとって
従兄弟の達也は今でも小さな幼児のような印象がある。
生まれてから小学校時代までだろうか。。
母親が共稼ぎをしていたので幼児の僕と弟の世話を手伝うために
母親の妹(叔母)が常時家に来てくれていた。
物心がついた時から一緒だった叔母は、僕たち兄弟の頭の中では“姉”であり
「あさこ姉ちゃん」と呼んでいた。
実は小学生になってから、あさこ姉ちゃんは真の姉ではなかったと気がつくぐらい
兄弟にとってはとても近い関係だった。
高校へ進学した時はあさこ姉ちゃんも結婚し、二人のかわいい子供ができた。
兄、達也、そして妹の里美ちゃん。
高校時代は我ながら忙しく、
武道・スポーツやバンド活動に明け暮れていた自分にとって、
たまに朝子姉ちゃんの家に遊びにいっては、ピアノを借りて練習したくらい。
隣の部屋から兄妹の顔をちょこんと出して、自分の行動を観察しては、
マネをしたり。
遊んでもらいたいから、いろいろな方法を使ってこちらにアプローチしてきたっけなぁ。
時間が経つにつれ、手をつないでは、離さなくなったり。
近くの林に行っては、一緒に隠れんぼをした振りをして、
こちらは木の上で昼寝をしていたり。。
小さくていつもニコニコ笑う妹をいつも大切に守っていた兄。 達也。
数年後、自分はアメリカに渡り
全く違った生活をしている中、
母親から「達ちゃんもあなたと同じように剣道をがんばっているのよ」
なんていう手紙を読んでは、なんだか自分の事のように嬉しい気がした。
「彼もあなたと同じように一番になりたいんだって。。」
社会人になり、久しぶりに帰った日本。
ある日、あさこ姉ちゃんの家を訪ねた。
幼児だったはずの達也は、声変わりをしていて。
喉ぼとけがあるじゃないかぁ。。
なんだか弟に似ているような、
ちょっとした素振りが自分に似ているような。。
「やっぱり従兄弟なんだなぁ。。」
「だいすけ兄ちゃんみたいに、僕もアメリカにいきたいなぁ。」
「スゲー。僕も英語がしゃべれるようになりたいなぁ。」
「そんなの簡単だよ。 達也も将来大学にいって就職するのだから
その前に一度アメリカに来てみるといいよ。」
「ラッキー!うん。きっとアメリカに行くよ。。。」
「お母さん、お母さん、アメリカに行かせて~!」
そんなカジュアルな会話をかわしていたっけ。
年月が過ぎ、僕は独立しビジネスを順調に延ばしていた。
達也は大学3年生だといっていた。
「時間が経つのは早いものですねぇ。。」と敬語まじりな言葉を
ニヤニヤしながら話す達也はヒゲまじりに背まで高くなっていた。
「R204恒例のリトリート(社員旅行)のスケジュールと重なってるなぁ。。」
「それなら、達也も一緒に来ればいい。」
「でも日本語をしゃべる人は一人もいないからな。」
「はい! 僕もだいすけ兄ちゃんみたいに、実践・実験体験でがんばりマス!」
こうやって達也は就職前に初めてのアメリカ実験体験を経験する。
初日、ロスの空港でカリフォルニアの日差しに眩しそうな表情をする達也を迎え、
車の中でBegin with the End in Mindの話をした。
D
「僕も同じぐらいの歳にアメリカに来たんだ。 だから達也もこれから何だってできる」
「今回の旅は一生忘れないぐらい楽しい旅にしよう!」
「まずは旅の終わりに達也が感じたい感情を今決める事にしようよ。」
T
「旅の終わりを今、決めてしまうってこと? それってつまんないなぁ。。」
D
「ははは。旅の終わりに僕たちがここに帰ってくるでしょう?」
「そのとき、達也はどんな感情に包まれたいかなぁ?」
「その感情を今創造してみることが、今日からの時間を楽しむ“コツ”なんだよ。」
T
「。。。。はい。 とにかく。楽しくて楽しくて帰りたくない気持ち。。」
「それから。。英語がなんとなく話せるような気がする感覚。。。」
「。。。う~ん。それから、ちょっと自分にも自信がついた気分かなぁ。。」
D
「なるほど。。。 それは面白いねぇ。。”自信”かぁ。。」
「どうしたら”自信”がつくのかねぇ。。。。」
もう一つ彼と約束した。
D
「家までつくまで日本語。それからは緊急事態が起こらない限り英語で話すこと」
T
「いやぁ~!。だいすけ兄さん。。それはちょっと辛いっすよ。。。汗」
D
「達也。 本当にやりたいのなら、中途半端じゃだめだよ。」
「大丈夫。なんとかなるから。。。」
こうやって彼のアメリカ実験体験が始まった。
次の朝からは全て英語。
“おはよう”からトイレットペーパーまで、全て通じない。。
彼は当時の僕より確実に頭が良かったが、やはり最初は自分の留学経験と同じ。
“ただ、ひたすら。。。に・や・わ・ら・い・だ・け。。” 笑
日本から持ってきた観光案内を取り上げて、
英語版のトラベルガイドを与えた。
英和辞書を取り上げて
英語版の類似辞典を与えた。
自分とはやはり年代の違いも考え、会話にズレが生じないように
会社に連れて行っては同じ年代に近いスタッフとまぜあわせるようにした。
結果、“アルバイト”としていろいろな手伝いをしてもらった。笑
(アメリカに来たのに仕事?。。。汗)
でも彼はコツコツと作業をこなしていた。。
基本的に照れ屋な達也は直ぐ自分の所に来ようとしたが、
自分のスケジュールを理由に彼をアメリカ人の中にどっぷり浸からせた。
かなり苦戦していたが、
社員旅行の週になるころにはパートナーのハービーの弟・ジェフと仲が良くなり、
自分には理解できない遊びやジェスチャーをしては、楽しく遊んでいるようだった。
“Work Smart, Play Hard”のキャッチフレーズを実際に実行するR204にとって
社員旅行は一年のクライマックスだった。
スタッフばかりではなく、スタッフの妻や夫、家族にとっても楽しみなイベントだった。
そんなクライマックスに達也は一人で飛び込んでいった。
その年は長距離を目指すのではなく、近郊で派手に遊ぶ。。コンセプト
カリフォルニア州のカジノ&リゾート、“MORONGO”を目指した。
→Morongo Casino & Resort http://www.morongocasinoresort.com/
初めて体験する派手なギャンブル。。
アメリカ流のパーティー。(Rated R)
何もわからないまま、竜巻のようなエンターテイメントを
達也はなんのこともないようにニコニコ笑いながらこなしていった。
メインのディナーパーティーではR204恒例の「Lucky Birthday」。
当時、メイン・ディナーというと、社員+デート・付き添い。
合計すると軽く5-8千ドルを一晩で使ってしまう。
そんな中、レストランにビジネスを提供する変わりと言ってはなんだか、
ちょっとした“遊び”をしていた。。
ターゲットにした人物を当日誕生日ということにしてしまい、
レストランマネージャーにコッソリ伝えてしまう。
アメリカのレストランでは誕生日ということで特別なケーキや歌などを提供するが、
ターゲットにされた本人にとってはとても恥ずかしい経験となる。。。
というとても“バカバカしい遊び”だ。
(レストランの関係者のみなさん、 ゴメンナサイ。現在はこのような事はいたしません。
又、みなさんも絶対にマネをしないで下さい。)
あの時のメイン・ディナーも同じだった。
当時グラフィック・デザイン・ディレクターのデニスが耳を触り合図をする。
彼らは達也を今夜の“えもの”にしたいらしい。。
自分もニッコリ、サインをして“GO”の承諾をした。
ディナーの後半、みんなもお酒、風陰気に酔い会話に盛り上がっていると
突然、
「♫♪ Happy Birthday to you... ♫♪」
「♫♪ Happy Birthday to you... ♫♪」
お腹いっぱいだから、絶対食べれ切れないはずの大きなケーキが
達也のテーブルの前に置かれた。
彼は何が起きたかわからないような顔をして
「オーマイ・ゴーッド!!」と言っていた。。
長いようで一瞬に流れさった時間。
達也を空港に送る時、
同じ質問をした。
D
「今、どんな気持ちかなぁ?」
T
「Now I know.. だいすけ兄ちゃん」
「一生絶対に忘れない旅だったよ。」
「それから。。僕、なんだか自信がついたよ!」
「カンフィデンスっていうんだよねぇ。。自信って。。。」
コンガリ日焼けした達也はそういって元気な姿で日本へ帰った。
「又来るねぇ。。」って言っては、
あんなに楽しみにしていた飛行機に乗りたくない表情をしていた。
数年後、彼は日本で就職した。
建材関係の会社に入り、一から頑張っていると聞いた。
東京で働く親父の事務所を訪ね、
「これからがんばりマス」と元気な姿をみせていたという。
それから一年。
達也は突然この世を去った。
若干22歳。
体に何も以上は無かったという。
ある日のお昼、いつものラーメンを食べると、
少々気分が悪いので当時勤務していた会社の寮へ戻ったとのこと。
彼はそれっきり畳に寝そべり目を開けることが無かった。
突如、日本へ飛び、空港から直接達也の親族が待つ場所まで向かった。
数年前、アメリカに遊びに来たはずの“達也”が
綺麗な布に包まれた小さな箱に入っていた。
周りには子供の頃お世話になった叔父さん、叔母さん、従兄弟、従姉妹が同じように年を重ねて座っていた。
あさこ姉ちゃんが涙が枯れた表情で僕の手を強くにぎった時、
不思議に涙がこぼれてこなかった。
2週間後、日本を去る前、
もう一度、達也に手を合わせに行った。
ご主人そしてあさこ姉ちゃんは10年歳をとった表情になっていた。
あさこ姉ちゃんは人生の目的を失ってしまったようだった。
「今、達也はこんな落ち込んだお母さんを見てもっと悲しがっていると思うよ。」
「達也のためにもあさこ姉ちゃんが頑張って生きなくっちゃ。」
無責任な言葉だったのかもしれない。
でも、僕にはそんな言葉しか残すことができなかった。
今日 達也が他界して3回忌、2年が経つ。
彼の部屋にはアメリカで知り合ったジェフと二人でとった写真や
いろいろなレストランの名刺やギフトの時計が未だ置いてある。
「又来るねぇ。」
「又来るねぇ。」っていう言葉を思い出すと沢山涙が出てくる。
突然、どこからともなく涙が止まらないぐらい押寄せてくる。
ずっと平気だったのに。
沢山、涙が出てくるんだ。。。
僕はあまり彼の事を知らないのに。。。
達也。 またアメリカに遊びにおいでよ。。。



