2000年を超えようとする頃

 

私の友人たちがスピリチュアルの

世界について、見に行ったり

話をするようになっていった。

 

スピリチュアルという世界は

なじみがないわけでもなく

私個人は

仏教徒として生活していたので

 

進学したら仏の世界を学ぼうかと

思っていた程度の知識はあった。

 

死後の世界とか、現世とか

生まれ変わりとか、神様とか

命を大切にすることとかは

 

まあ、意識して生きていたと思う。

 

でも、なんだか仏の世界とは

「スピリチュアル」という言葉で

あらわされている世界は

どうやら違うらしくて

 

チャネリングだのカルマだの

癒しだのヒーリングだのと

聞いたことが無い用語の嵐、、、

 

日本と西洋の用語の違いなのか

それもよくわからなくて

 

スピリチュアルの世界を体験している

友人たちの、未知なる体験話を

お茶をしながら、聞くのが楽しかった。

 

特に、チャネリングと言うのは

「神様の世界とチャンネルを合わせる」

すごく乱暴に簡単にいうと

そういうことらしく

 

普通に見える人間が

神様の世界とチャンネルを合わせて

『その人そのものが、神様の意識を

身体に一時的に宿しおしゃべりする』

 

という、神様に身体をちょっとの間

お貸しすることになっていたらしく

 

その人(神様?)達と普通に

テーブルを囲んでお茶を飲みながら

おしゃべりするという話を聞くのが

大変、面白かった、、、照れラブラブ

 

笑顔でおしゃべりする女性たち

写真提供Pixabay

 

神様といっても

ギリシャ神話とかにあるように

個性あふれる神様たちがやってきて

 

お酒をたしなんだり

大笑いしたり、美女たちに

ちょっかいを出したり

恋のアドバイスをしたりと

 

なんだか、映画やお芝居を

見ているような感覚になりましたっけ

 

だって、神様たちって

凄くチャーミングな姿でワイン片手に

「もっと、キレイにしろ!」とか

「こういう服を着た方がイイ」とか

 

平気でいたいところを突くような

叱咤激励をする方たちから

 

聖母マリア様の雰囲気を

チャネリングしたとたんに

かもしだして愛とは何かを語るんです、、、

 

どれも言葉に愛を感じていたから

楽しかったんだと、今は思うからです。

 

もう20年近くも前の話なので

今は、そうそうチャネリングを

そのまま神様の姿として行うことは

そうそうないと思います、、、あせる

 

今時、そんなことしたら

どんな怪しいヤツだって

後ろ指を指されかねませんしね笑い泣き

 

それでも、そんなチャネリングのことを

思い出して友人たちに話すと

「そんな、クラッシックスタイルあったね~!」

 

などと、古き良き昔のスタイルと

言われるくらい

愛溢れる言葉だらけで響いたから

 

その時のスピリチュアルの言葉が

人の口から語られることに

すごく意味があったのだと思います乙女のトキメキ

 

老婆の話を聞く少年

写真提供Pixabay

 

こんな風に年長者の話を

ありがたく気持ちだったのかな~音譜

 

聞いたことのない世界の話や

見たこともない世界の話が

刺激的に思えるって、どんな心理だ?

 

人は狭い世界にいるだけで

ストレスになる、と思う。

 

実際に行かなくても

知らない世界の

話は刺激になったり

創造力を高めることになる

 

そんな効果が、その時の

楽しさだったのかもしれません

 

 

============

今日も最後までお読みいただいて

ありがとうございます。