1571年、織田信長は比叡山の寺の破壊と僧侶、一揆に加担した人々を家臣明智光秀に殺害させました。
この比叡山焼き討ちの際とき、火縄銃が使用されていた模様、そのため、その鉛弾が今でも比叡山では発見されるようです。
そこで、金属探知機を使ってこの鉛の弾を探しに出かけてみました。場所は大津市の坂本から山手に上がり、崇福寺跡のわきにある山道です。
案の定、火縄銃で使用されたと思われる鉛の弾を発見しました。丸いほうは、山道から少し駆け上がった崖面の平らな部分で、壊れたほうは小川の岸付近で探知機に反応、深さは約8㎝から10cm程度の深さで発見しました。
丸いほうが重量6.23g、砕けたほうが、6.72gあります。
使用した金属探知機は米国Teknetics社のGamma6000金属探知機
これが火縄銃の弾かどうかわかりませんでしたが、ネットで検索すると、同じものが検索されていましたので、やはり本物かと思います。
https://www.city.shinshiro.lg.jp/mokuteki/shisetu/shiryokan/shitaragabara/teppodama.html
また時間のある時に、探索を続けてみたいと思っています。