小倉城へと到着し
説明文を読みながら お城の中へ

お城好きと言いながら
小倉城を訪れたのは 初めてで
知らない事がいっぱい
ウキウキしました🎵

小倉城も ですが
そもそも この『 小倉 』という土地が
古くから 陸上交通の要衝😉
江戸時代に入ってからは
本州方面に対する
九州の玄関口であったという事実も
改めて知りました


ついつい
大陸方面や
海外に目を向けがちで
博多港(那の津)や
長崎港の開港を 重視しがちですが
江戸時代、鎖国の真っ只中にあって
日本国内の九州の玄関口は
🗾 小倉藩 🗾だった

九州の道は小倉に通じる

これは凄いな
“ すべての道はローマに通ず ”  の
国内版ですね🤗
地理的な要衝としても
幕府が九州諸藩を監視する意味でも
重要だった街、小倉

その
要衝を押さえる小倉城
始まりは1260年代?!
諸説ありで
その真偽は
定かではありませんが
史実の裏付けが取れているのは
16世紀に入ってから🧾🖊
毛利氏、大友氏、高橋氏、豊臣氏・・
なかなか 唆るラインナップ🎵
そして 天下分け目の関が原で
細川家の登場❗
いよいよ
小倉城にも、登城〜🤗

 🐅🐯 とらっちゃ 🐅🐯

おでこの家紋は

小笠原家の三階菱の紋ですね


お城の1階は
子供が江戸時代を体験できる
体験型の展示が色々ありました

大太鼓は叩けませんが
天秤棒を担いだり
馬に乗って流鏑馬をしたり
重臣連中と合議したり
姫君の籠を担いだり・・
他にも色々〜
1人で行って出来たのは
天秤棒担ぎと 兜を被るのと
合議に立ち会う、だけです🤭

小倉城の築城
城下を掘る 石垣を掘る、など
興味深い展示がたくさん🥰
細川家の時代に
城郭が整えられ
城下町も整備された
小倉城は輪郭式平城(海城)
連結式層塔型 4重5層の天守は現存せず
1959年に復元される

あら 九曜紋〜😇
熊本城にもある お馴染みのやつ
初代藩主 細川 忠興公の

黒糸縅横矧二枚胴具足

黒い甲冑、縞の小倉織
渋くてカッコ良いな🎵

カッコ良い、と言えば
この画ですよ❗

迎え虎

その対となる

送り虎

天守閣の焼亡は
慶応2年 寅年
それに因んで 八方睨みの 迎え虎で

千客万来

その対の 送り虎で

麗虎招福

2つの意味合いを持つ

虎は勇猛果敢の象徴だから
お城に相応しいですね


細川家の次に小倉城主となったのは
譜代大名 小笠原家の忠真公
大阪夏の陣図屏風のレプリカがあり
細部まで眺めてました
よく見ていくと面白いんですよね💕
小倉城 天守閣の模型展示もあり
【 唐造り 】の解説に見入る
4階と5階の間に庇がなく
5階が4階より大きい、なるほどね
城をぐるりと囲む切堀は
いざという時 水攻めを行う構造

一通り城について学んだ後は
小倉を形成する文化面
カエルの香炉のユーモラスな・・
ともすればグロテスクな造形
明時代の制作、秀逸です

1階の展示は
細川家の忠興とガラシャの話
キリシタン関連の島原の乱の話

小笠原家の文化的な話
小笠原流 弓馬術について
幕末の藩船
小倉藩の飛龍丸 (木製汽船)


数奇な運命を辿るこの船は
後に 咸臨丸を捕獲する作戦に
参加する事になる⚓
咸臨丸と言えば
長崎と深い関係のある軍艦⛵
う~ん🤗
ホント知らない事が
ザクザク出て来る〜🎵
バリ楽しか❗です

時間が押していたので
2階へと移動します
途中にある全国の天守閣 背比べ
小倉城は5番目
熊本城は3番目〜💕
この 狭間と思しき空間
1.5畳程のスペースが
妙に気に入る🤭
広い所は落ち着かない性分ですんで
この空間
2・3階の四方にありました
隙間から見える シャチホコ?
こんな感じ、かわゆ🤭

・・あ、
また貼れなくなった😅
お城に熱中しすぎなんですよね〜
次回③で終わります🥳