昨日

大学生の甥の課題研究に付き合って

長崎県の南部に位置する

島原半島の 南島原方面へ

フィールドワークに行きました

長崎市から車で2時間の道のり
なにしろ
田舎の長崎の 更に田舎なので
交通網が
路線バスと
日本一高いと言われる
島原鉄道(島鉄)しかなくて
車で動かないと一日仕事になる💦

あ😇
そんなローカル線には
良い所もあります🥧☕🌊
こういうイベントの時は
長閑な環境に癒やされます☘️
今は
ウクライナへのエールも🇺🇦

🇺🇦🕊☘️ 🇺🇦🕊☘️ 🇺🇦🕊️☘️ 🇺🇦🕊☘️


さて今回は

日本最古のローマ字金石文         吉利支丹墓碑

のある 西有家町への旅です

島原の乱の舞台となった島原半島には
数多くの
隠れキリシタン関連の遺跡が
残されています
海を挟んで
熊本の宇土半島には
天草四郎時貞の お墓もあります🪦

その中でも
今回 目指す墓碑は
島原半島の先端にありました
道を挟んですぐに、海🌊
所在地の住所が示す通り
共同墓地の中で
電信柱には指示の矢印➡
目印の白い十字架が見えて ✞
近づいて行くと・・
白い小屋があって
その覆屋の中にあるのが
目指す 吉利支丹墓碑 です

唯一の国指定史跡である
この吉利支丹墓碑は
ポルトガル式綴り字法のローマ字で
1610年に生まれ
83歳で亡くなった
フィリ作右衛門ディオゴさんについて
記されています
実際、現場で見ると
とても綺麗な
整った文字で刻まれており
大切に作られたのだな、と
当時としては稀に見る長寿の
83歳で亡くなられたであろう
お爺さんを想像して
ほっこりと
温かい気持ちになりました😇
しかし
1610年生まれとなると
関ケ原の合戦から10年
江戸幕府が開かれてからすぐの事
それ以降 83年の間は
宗教弾圧が
徐々に強くなっていく期間です
初期の
デウス号事件が起こった年に
生を受けた作右衛門さんが
83歳で亡くなるまでの間
どんな人生を送ったのか
記録は残っていません
本名と クリスチャンネーム
生まれた年と
亡くなった年が分かるのみ
その『83』の文字も
今は消えてしまって 見えない
どんな人で
どんな人生だったのか?
思いを馳せるのみです

昭和の時代になって
地中から掘り出された墓碑が
他の墓碑と同様に
大切に隠されていたのか?
忘れ去られて土中にあったのか?
その辺りも不明です
ただ
宗教弾圧から逃れた
隠れキリシタンの人々が
半島部や離島に潜伏し
信仰を守り抜いた事を考えれば
先祖の遺跡も 信仰の一つとして
大切に守ったのだろうと思います✞

これまで大瀬戸・外海方面には
行った事がありましたが
島原には
目を向けていなかったので
もう一度ゆっくりと
時間を作って行ってみたい
もう少し
南部の隠れキリシタンに対しての
知識を深めてから、ですね✍️📚

そうそう
色々見てたら
古墳(古墳跡を含む)も見つけたし🤭
この地域は
長崎市内と違って
古墳も遺跡も 豊富にあります
時間を見つけて
計画練って、行こうかな🎵