昨日Japan, deconstructed Part I と II のブログ投稿し、”これでおしまい”と思っていましたが...なにせ、待ちに待ったアーチライバルであるUSvsカナダのオリンピックホッケーマッチアップが7時半からあったためどうも浮き足立って、ブログのコンンクルージョンをきちんと書かずに尻つぼみで終わらせてしまいました。すみませ~ん!あせる
で、本日Part IIIとしてもう一度挑戦します。
(有難うございます、アメリカ勝ちました!!)チョキ

で...
あまりにも不自然なまでに、公の場から姿を消されてしまった田原俊彦様

ミディオクラな社会で、”皆と一緒”にミディオクラな仕事をして、”とびでない”ミディオクラな生活を送ることに慣れてしまった、多くの日本人にとって、
田原俊彦様のような、いかなるときでも”絶品”であり”プロフェッショナル”であることを目標とし、つねに”真剣勝負”で仕事に挑み、自分に納得できるまで”マジメ”に努力を怠らず、本物の”自分”、田原俊彦を追求していく人というのは、あまりに”眩しすぎ”る。
目をそらさずにはいられなくなってしまったのだろう。

目をそらさざる得なかったし人達...勿論自慢できる行為とは言いがたい。
目をそらしてしまった自分に対する劣等感から、”憧憬”の気持がいつしか”羨望”になり、さらに”嫉妬”へと変っていく。
そういうネガティヴな人達だからこそ、”集団”になってしまうと、さらに一層たちが悪くなる。
ネガティヴ人達が集団となり組織化され、少数の”素直”に、”フェアー”に物事を見つめられる人達を、自分の中にある”恐怖心”を癒すため、あえて、孤立化させ、”異物”扱いし、一生懸命”釘をとびださせない”ことだけにその労力を費やす。

誠に残念だと思うけど、今の日本政府、企業、マスコミにおいて、この極めてたちの悪い”集団”が渦巻いて、”幅”をきかしている様に感じる。

check and balanceがあるからこそ、デモクラティックな社会が築いていけるはずなのだが、日本では、このcheck and balanceが全く存在していない、というより、意図的に、check and balanceを存在させないようにしむけている傾向が見えてしょうがない。

そちらが”組織化”するのであれば、こちらも”組織化”する必要があるのではないだろうか...
”これ以上アンフェアーは許さない!””お前らの型にはめこむな~”という声をloud and clearに発信する時期が迫っているような気がする。


PS: my first step...”田原俊彦様をTVにだせ~”運動からはじめようかなぁと思っています。

私の田原俊彦様熱が再発しだして、およそ2年ほどになる。
それからほとんど毎日ネット上で田原俊彦様の動画を見たり、情報集めにはげんでいる。
おかげで、かなりいろいろ知らなかった情報というのも見れるようになった。

80年代から90年前半、(ジャニーズ事務所時代)芸能界であれだけトップを張って突っ走ってきた人が、独立と同時に“ぱったり”と干されてしまった。
80年代を一番で代表する人が、まるで過去を書換えようとする意図のごとく、”過去映像”でほとんど取り上げられない。

ビッグ発言、芸能事務所からのプレッシャー、性格の問題、歌下手、はげ、etc. 色々と原因が挙げられている。

”ピッグ発言”、完全にマスコミの組織的工作だろう。
事務所からのプレッシャー、あると思う。あれだけ歌って、踊って、演じられる、”輝き”。比較されたらたまったものじゃない。
性格、一般の人が知る由もなく、問題外。
歌下手、もの凄く”努力”されて上手くなった。(スミマセン、生意気な言いかたしてあせる
はげ、馬鹿げすぎて、問題外。

「10人10色」という言い回しの通り、誰もがトシちゃんファンではないのはよくわかるし、”アンチ”も沢山いるこということも理解しているから、別に私の”言い分”を押し付けるつもりは全くない。

それでも、ファンで有る無し別に、一つの”事実”として冷静に考えたうえで、やはりどうーーーーーーしても、納得できない点というのが、常に心の中に渦巻いていた。

不自然すぎる...のである。

それが、先週トシちゃんのグルっぽを通し、お知り合いにさせていただいたうりちゃんさんのブログを読んで大変感銘を受けた、と同時に“ア~これが根本の問題かも”と考えさせられた。(是非クリックして、うりちゃんさんのブログとリンクを張ってくださってるよしけんさんのブログ読んでみてください)

第2次世界大戦後、急速な経済成長を果たし、国民全てが”ミドルクラス”社会になった日本。
"ミディオクラ”がノーマルとして、浸透してしまった日本。
”野心”とか”欲望”とかが、”自分勝手”と差し違えられてしまう日本。
”努力して、勝ち取ってやる!”より、”皆で手をつないで、一緒にゴール”が美徳とされる日本。

”右にならえ””出る釘は打たれる”的日本のカルチャーが、”秀でた人””出た釘”に対し、異常なまでの脅威感を感じるのではないだろうか。

よしけんさんの表現する、”絶品”は日本にとっては、異常な存在であって、“良い”存在とは評価されなくなってしまったのではないか。

”ミディオクラ”を浸透させてしまった、政府、企業、マスコミ...
dare need of deconstruction!

here is a song for you people..
そいつはちょっと ダーメ ダーメ ダーメじゃん
最近だれけてるじゃない マジメにやれよ だきしめてやれ
なんだかちょっと DO-YO DO-YO どーなの
正解が狂ってんるじゃない マジメにやれよ はじき飛ばせ
それでちょっと DO-YO
Makin' Love Again
-DO-YO by 田原俊彦

PLEEEEEEEEEEEEEASE!!!

Let's make a world where he can freely show what he's got!
or...I'll kidnap him to America!!べーっだ!


トヨタ自動車の車輌安全性問題が大きな話題をよんでいる。
日本の家族によると、日本では「沖縄基地問題の”仕返し”でアメリカが大騒ぎしだした」という報道がされているようである。

あまりの低レベルな報道のされように言葉も出なかった。

故障部品の存在を知りながら、一般への公表を遅らせ、そのため、人の命が犠牲になった、という事実はどこにいってしまったのだろうか?

トヨタに限らずここ数年、”消費者の安全性”に対する日本企業側の”責任”のあり方が大きなである。

先日WSJ紙で、日本企業文化への問題点があげられていた。
まず、日本において”危機管理”のシステムが、致命的と言っていいほど開発されていないこと。
技術・品質を重んじる日本文化において、故障した商品がでたという”恥・困惑”から、企業が事実公表、それに伴う責任を負うことを遅らせる傾向にあること。
また、市民の安全を守る役割のはずの政府、消費者の安全を保障するはずの企業、一般に事実を知らせる義務のある報道機関において、全てを通して組織的欠陥があること。
要するに、check and balanceのシステムが全く存在していない。

例えば、オリンピアンの服装で大騒ぎしたマスコミが、トヨタに関しては”ピックリ”するほど、問題提議がなされていなかったようだ。逆に、アメリカが”騒ぎだした”ことに関して、”沖縄基地の復習”という報道が行われている。

日本市民に対する政府の”責任”はどこにいってしまったのだろう...
日本企業の”誇り”は空虚なものから創り出されただけだったのだろうか...
マスコミどこまで腐ってしまったのだろう...