トヨタ自動車の車輌安全性問題が大きな話題をよんでいる。
日本の家族によると、日本では「沖縄基地問題の”仕返し”でアメリカが大騒ぎしだした」という報道がされているようである。

あまりの低レベルな報道のされように言葉も出なかった。

故障部品の存在を知りながら、一般への公表を遅らせ、そのため、人の命が犠牲になった、という事実はどこにいってしまったのだろうか?

トヨタに限らずここ数年、”消費者の安全性”に対する日本企業側の”責任”のあり方が大きなである。

先日WSJ紙で、日本企業文化への問題点があげられていた。
まず、日本において”危機管理”のシステムが、致命的と言っていいほど開発されていないこと。
技術・品質を重んじる日本文化において、故障した商品がでたという”恥・困惑”から、企業が事実公表、それに伴う責任を負うことを遅らせる傾向にあること。
また、市民の安全を守る役割のはずの政府、消費者の安全を保障するはずの企業、一般に事実を知らせる義務のある報道機関において、全てを通して組織的欠陥があること。
要するに、check and balanceのシステムが全く存在していない。

例えば、オリンピアンの服装で大騒ぎしたマスコミが、トヨタに関しては”ピックリ”するほど、問題提議がなされていなかったようだ。逆に、アメリカが”騒ぎだした”ことに関して、”沖縄基地の復習”という報道が行われている。

日本市民に対する政府の”責任”はどこにいってしまったのだろう...
日本企業の”誇り”は空虚なものから創り出されただけだったのだろうか...
マスコミどこまで腐ってしまったのだろう...