あの日、私は熊本市内にいた。
名古屋に引っ越す事になった友人の見送りをして、昼過ぎに地元に戻り、一緒に見送りをした友人宅にておしゃべりをしていた。
平日だったが、休みをもらっていて、
そんな風に友人との時間を過ごしていた。
人生において、いろんな出来事や思い出やエピソードがあるが、2011年3月11日その日にどこで、誰と、どんな風に過ごしていたかはおそらく一生忘れないし、
こんなにもはっきりとした記憶があるのは、もしかするとあの日だけかもしれない。
直接、震災にあったわけではない。
テレビでしか知らないこと。
だけど、それでも人生の中で最も印象強く、衝撃的で、忘れられない日。
当時、28歳だった自分の考え方や価値観、常識、当たり前だと思っていたこと、様々な概念が崩れ、大きく変わった一日だった。
友人宅で呑気に過ごす私達に友人のお母さんが慌てて帰宅され、「何もしらないの?テレビつけてごらん。大変なことになってるのよ。」と
言われるがままテレビをつけ、
目の前に流れる映像に呆然としたのを覚えている。
「日本で何が起きてるの?」
「これは日本?どこ?」
「これは何?」
何が何なのか、よく分からない。
見たこともない、想像したこともない、
映像が流れている。
「これって、見ていいの?」
「作りもの?映画?リアル?」
「現実に起きてることなの?」
「こんなことが起こるの?」
「なんなんだろう?」
思考が追いつかなかった。
悲しいとかショックとか感情はでない。
言葉が出ない。
ただただ、呆然と見ることしかできず、
理解できないなんて、初めてだった。
胸をえぐられる。
涙が出る。
人生の中で、生きてる中で、こんな映像を見ることがあるなんて、思いもしなかった。
何も考えられないまま、流れてくる映像を見ていた。
何もできない自分の非力さを
自然の前での人間の小ささをただただ感じていた。
テレビの前の私でさえこんな状態だった。
*
それまでの私は
”老後に苦労しなくていいように”
”老後にお金に困らないように”
”老後に安心暮らせるように”
働いていた。
それが60歳までの生き方で、働き方で、人生で、社会の決まりだと思っていた。
でもあの日、思った。
”老後”なんて、
”未来”なんて、
”将来”なんてものが
当たり前にくると思っていた自分の考えにハッとした。
誰が言ったんだろう?
なんでそう思っていたのだろう?
”老後”とか”将来”なんてものがくるのが当たり前だなんて。
明日はおろか、この次の瞬間でさえ、どうなるか分からないのに。
今よりも将来。
今よりも老後。
今よりも未来。
それが当たり前で、その未来のために生きる。
明日は当たり前にくる。
当たり前の日常、いつもの日常。
そんな日常の今よりも、老後や将来のことを優先に。
本当にくるのか分からない未来のために
今を大切にしないで、
今を粗末にして。
なんて傲慢な生き方してたんだろう。
なんて思い上がりなんだろう。
そんなことを思った。
あの日から何のために生きてるのか、自分の生き方とか、人生とか、その答えを求め始めた。
それまでもなんとなく、ふとした時に「自分の人生ってこれでいいのかな?」なんて、疑問に思ったり、何かもっとあるような気がしていた。
本格的に答えを探し出したのはあの日からだった。
*
他にも色々なことを思った。
当時、病院勤めで、病気の人とたくさん関わった。
身近な人が病気で亡くなることもあった。
悲しかったし、病気を憎むことさえあった。
でもそれも変わった。
病気で死ぬことさえ、ある意味幸せなのかもしれないと思うようになった。
思うようになったと言うより、そんな視点が自分の中に一つ加わった感じ。
悲しくて、辛くて、決していいとは言わないし、思わない。そうなった方がいいとも思わない。
だけど、心の準備とか、見送ることができること、それまでにしてあげたいことやしたいことをできることすら、実は幸せなんじゃないかって。
賛否とか、誰かの同意を求めるわけじゃない。
ただ、そんな風に思った。
*
失恋したって、嫌なことあったって、
うまくいかなくたって、
それを感じることも、それすら贅沢なんじゃないかっても思った。
絶望にいるときや日常では忘れてしまうこともあるけど、なんか、今、生きてること、
日常のどんなこともどれだけ恵まれて、奇跡で、ありがたくて、幸せなことなのか、痛感した。
*
それから、人間の小ささを感じたことについては。
普段生きてると、人間が地球に住んでいて、
我が物顔で森や海を荒らしたり、汚したり、悪影響与えてるように思ってたけど、
自然を前にしたら、人間なんて何の力もなさない。
地球に、自然の中に住まわせてもらってるというか、その中で生かされているということを改めて感じた。
長い地球の歴史の中で、人類なんてどれだけの存在なんだろう。
共に生きる。
生かされている。
なんか、この辺のあたりのことを考えるようになった。
自然の前では何も太刀打ちもできない、ちっぽけな人間の私。
だからこそ、ちっぽけな人間だからこそ、
思いっきり、この大地の上で、選んできた地球で、思いっきり生きたいなぁって思ったんだ。
今、この瞬間、生きてることに、
本当に感謝が湧き上がる。
暮らしている今を大切に過ごしたい。
*
今日の九州は快晴。青空。
日本各地でたくさんの人がいろんなことを想い、願うでしょう。
私の当時の想いと、今。
「今を生きる」
「今ここを生きる」
ただひたすらに今この瞬間、自分自身を生ききろう。
今、この瞬間に何があっても、
いつ今世が終わっても、
「悔いはない!生ききったー!楽しかったー!」って思える毎日を、瞬間を過ごしていきたい。
