あの日から8年。 | 望む世界で生きる。彩り豊かな世界で生きる。

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えりです。アラフォーです。元、理学療法士。 
最近は野菜作りやハンドメイドをしたりしてのんびり生きています。
2015年10月Happyちゃんのブログに出会う。
自己否定、無価値観、罪悪感が強く、常に他人軸だった。今は「私はわたしで在る」「今ここ」がモットー。

2011年3月11日。
あの日、私は熊本市内にいた。

名古屋に引っ越す事になった友人の見送りをして、昼過ぎに地元に戻り、一緒に見送りをした友人宅にておしゃべりをしていた。

平日だったが、休みをもらっていて、
そんな風に友人との時間を過ごしていた。

人生において、いろんな出来事や思い出やエピソードがあるが、2011年3月11日その日にどこで、誰と、どんな風に過ごしていたかはおそらく一生忘れないし、

こんなにもはっきりとした記憶があるのは、もしかするとあの日だけかもしれない。

直接、震災にあったわけではない。
テレビでしか知らないこと。

だけど、それでも人生の中で最も印象強く、衝撃的で、忘れられない日。

当時、28歳だった自分の考え方や価値観、常識、当たり前だと思っていたこと、様々な概念が崩れ、大きく変わった一日だった。


友人宅で呑気に過ごす私達に友人のお母さんが慌てて帰宅され、「何もしらないの?テレビつけてごらん。大変なことになってるのよ。」と

言われるがままテレビをつけ、
目の前に流れる映像に呆然としたのを覚えている。

「日本で何が起きてるの?」
「これは日本?どこ?」
「これは何?」
何が何なのか、よく分からない。

見たこともない、想像したこともない、
映像が流れている。

「これって、見ていいの?」
「作りもの?映画?リアル?」
「現実に起きてることなの?」
「こんなことが起こるの?」
「なんなんだろう?」
思考が追いつかなかった。

悲しいとかショックとか感情はでない。
言葉が出ない。

ただただ、呆然と見ることしかできず、
理解できないなんて、初めてだった。

胸をえぐられる。
涙が出る。

人生の中で、生きてる中で、こんな映像を見ることがあるなんて、思いもしなかった。

何も考えられないまま、流れてくる映像を見ていた。

何もできない自分の非力さを
自然の前での人間の小ささをただただ感じていた。

テレビの前の私でさえこんな状態だった。


それまでの私は
”老後に苦労しなくていいように”
”老後にお金に困らないように”
”老後に安心暮らせるように”

働いていた。
それが60歳までの生き方で、働き方で、人生で、社会の決まりだと思っていた。

でもあの日、思った。

”老後”なんて、
”未来”なんて、
”将来”なんてものが

当たり前にくると思っていた自分の考えにハッとした。

誰が言ったんだろう?
なんでそう思っていたのだろう?

”老後”とか”将来”なんてものがくるのが当たり前だなんて。

明日はおろか、この次の瞬間でさえ、どうなるか分からないのに。

今よりも将来。
今よりも老後。
今よりも未来。
それが当たり前で、その未来のために生きる。

明日は当たり前にくる。
当たり前の日常、いつもの日常。
そんな日常の今よりも、老後や将来のことを優先に。

本当にくるのか分からない未来のために
今を大切にしないで、
今を粗末にして。

なんて傲慢な生き方してたんだろう。
なんて思い上がりなんだろう。

そんなことを思った。


あの日から何のために生きてるのか、自分の生き方とか、人生とか、その答えを求め始めた。

それまでもなんとなく、ふとした時に「自分の人生ってこれでいいのかな?」なんて、疑問に思ったり、何かもっとあるような気がしていた。

本格的に答えを探し出したのはあの日からだった。


他にも色々なことを思った。

当時、病院勤めで、病気の人とたくさん関わった。

身近な人が病気で亡くなることもあった。

悲しかったし、病気を憎むことさえあった。

でもそれも変わった。

病気で死ぬことさえ、ある意味幸せなのかもしれないと思うようになった。

思うようになったと言うより、そんな視点が自分の中に一つ加わった感じ。

悲しくて、辛くて、決していいとは言わないし、思わない。そうなった方がいいとも思わない。

だけど、心の準備とか、見送ることができること、それまでにしてあげたいことやしたいことをできることすら、実は幸せなんじゃないかって。

賛否とか、誰かの同意を求めるわけじゃない。
ただ、そんな風に思った。


失恋したって、嫌なことあったって、
うまくいかなくたって、

それを感じることも、それすら贅沢なんじゃないかっても思った。

絶望にいるときや日常では忘れてしまうこともあるけど、なんか、今、生きてること、

日常のどんなこともどれだけ恵まれて、奇跡で、ありがたくて、幸せなことなのか、痛感した。


それから、人間の小ささを感じたことについては。

普段生きてると、人間が地球に住んでいて、
我が物顔で森や海を荒らしたり、汚したり、悪影響与えてるように思ってたけど、

自然を前にしたら、人間なんて何の力もなさない。

地球に、自然の中に住まわせてもらってるというか、その中で生かされているということを改めて感じた。

長い地球の歴史の中で、人類なんてどれだけの存在なんだろう。

共に生きる。

生かされている。

なんか、この辺のあたりのことを考えるようになった。

自然の前では何も太刀打ちもできない、ちっぽけな人間の私。

だからこそ、ちっぽけな人間だからこそ、
思いっきり、この大地の上で、選んできた地球で、思いっきり生きたいなぁって思ったんだ。

今、この瞬間、生きてることに、
本当に感謝が湧き上がる。

暮らしている今を大切に過ごしたい。


今日の九州は快晴。青空。

日本各地でたくさんの人がいろんなことを想い、願うでしょう。

私の当時の想いと、今。

「今を生きる」
「今ここを生きる」

ただひたすらに今この瞬間、自分自身を生ききろう。

今、この瞬間に何があっても、
いつ今世が終わっても、
「悔いはない!生ききったー!楽しかったー!」って思える毎日を、瞬間を過ごしていきたい。