神さまといっしょ♪

神さまといっしょ♪

ある日突然神様に選ばれた男と神様が繰り広げる日常のブログです。

Amebaでブログを始めよう!

ものすごく久しぶりの更新です。

楽しみにされておられた方本当にすいませんでした。





このお仕事を始めて八年目になりました。
いろいろな方の支えもあってあっという間だったと思います。

ありがとうございます。




さて、今回の「背中を見せる」

この八年で日本はさまざまな変化があったように感じます。

良くも悪くもさまざまな変化です。





しかし思うのですが、よい方の変化は少なかったように思いますし、
特に心の面では、変化というより退化が進んだと感じます。



欧米と肩を並べるために

過去の日本人はたくさん欧米の真似をし日本的にそれを変化させ

日本人に合った形で取り入れることをしてきました。

それは日本の文化の素晴らしさを知っている大人たちが

日本の良さを消さないようにきちんとした判断のもとで

その変化をさせてきたように感じます。




でも今の変化は違うように感じます。
知識や知恵を持ちそれをきちんとした形で使える大人たちが

減ったと思います。




知識を持った人は学力の向上により
世界的に名が知れるほどに増えましたが
知識ばかりに凝り固まった人ばかりになり
結果、知恵を用いることをしない
浅い生き方が蔓延していったように思います。



知恵を使うということは面倒なことや制約も多く

ともすれば敬遠されることのほうが多いような気がします。

しかし、知恵を使うということは

人間関係や社会の仕組みが円滑に回るために

大変大きな役割を担っていることが多いのです。




たとえば、スマホや携帯電話一つをとっても
素晴らしい知識を凝縮して作られたものではありますが
今になってマナーの問題が噴出しています。

作った人たちの知識は相当だったかもしれないですが

ひとたび知恵のほうに目をやってみると

マナーやモラルの低下を危惧した造りになっていないのは

そこに作った人たちの知恵が働かなかったからではないかと思います。




さらにいえば、その制作過程に「大人」がいなかったことが
このような事態を招く最大要因になったのではないかと思います。



簡単に言えば、背中を見せている大人がいなくなったのです。




昔のおとなとは「我慢」や「モラル」の見本だったのですが

今、そのような見本になれる人は少なくなりました。

大人といわれる年代の人たちが率先して遊び

若さという最も幼稚な表現を好み

自由という名のもとに人に迷惑をかけている

それが今の大人の現状ではないでしょうか?




先ほどのスマホなどもそうですが

大人たちが便利な機器を使用することを肯定するために

子供たちに無用のものを与えてしまう。

その結果、子供たちの世界が壊れ始めました。




子供の夜更かし、言葉遣い、態度、集中力、

これらは大人がしっかり子供たちにその姿を見せていれば

勝手に身につくものだと思います。

しかしそれが今の子供たちに身についていないのであれば

それは大人の責任であり子供たちは病気でも異常でもないと思います。




子供達の生きる環境を

大人たちの自由のために壊してしまっているのです。




年長者は年少者のために多くを学び、伝え、体現する。

それを見た年少者がさらに下の年代に人たちに同様にふるまう。

その繰り返しが伝統であり歴史ではないかと思います。



せっかくつないできた日本独特の世界で類を見ない知恵が

この時代に潰えようとしていることはすごく残念です。

少しでもいいので残せるように

自分なりに背中を見せて生きていこうと思います。





年長者として、

年少者の未来ある人たちが

未来を憂うことなく前に進めるように

苦しい顔すら見えない背中だけを

見せられるように生きていこうと思います。


















本気の久しぶり更新で申し訳ございません。



最近いろいろな話題や事件が世間をにぎわせていますね。


どれもこれもそうなんですが

日本、そして日本人のの品格が落ちてきていることに

悲しいなと思っているこの頃です。


古臭いと思われると思いますが

今の日本人は過去の日本人の良さについてもっと学ぶべきだと思います。


過去の日本にあった本当の意味での深みのある感情の動きや造詣など

大半の人がそれらを失いそして嫌ってしまうことによって

日本の良さがなくなってしまったと思います。


泥臭く、実直に


日本人の良さはそんなところにあるのではないかと思います。

詳しい話はまたの機会にさせてもらいます。




では、本題に・・・



仕事上、結婚や恋愛のことを男女問わず相談を受けます。

皆さんそれぞれすごく真剣に先々のことを考えておられます。


では、うまくいかないと悩まれておられる方が多いのはどうしてでしょうか?


今は男性も女性もそれぞれきちんとお仕事もありそれなりに収入もあり

二人で遊んだり生活にするには困らないはずです。

普通に考えれば条件は全然悪くないはずのことが多いはずです。


ではなぜ恋愛がうまくいかないのか?

それは相手に対する「敬意」と「感謝」だと思います。


そしてその二つの気持ちが持てない原因が「過剰な自我」なんだと思います。

過剰な自我が抑えられないと恋愛はうまくならないと思います。


過剰な自我があることで

相手を愛することより自分を認めてほしい


という気持ちが生まれてきます。


自分はこんな人間で、こんな生き方をしてきて、こんな性格で・・・

そんなこんなたくさんのことを相手にぶつけ

その全てを受け入れてくれる人が自分に合った人。


そう思っておられる方は多いのではないのでしょうか?


すべて間違っているわけではないのですが

それではいいお相手には巡り会えませんし

もしそんな人がいたとしても絶対に長続きはしません。


本当に愛してくれる人は

あなたのいいところは認め

悪いところはきちんと叱ってくれる

そんな人だと思ってください。


そして、全てを認めてもらおうと思う時点で

あなたは相手の方のことを愛していないと思ってください。



単にあなたのことを認めてくれる人を見つけただけです。



だからうまく先に進めないのです。



昨今、草食系や肉食系などいろいろと揶揄されていますが

その言葉のどこに人の感情があるか首をかしげたくなります。

そしてその言葉にあぐらをかいている男性の弱さにも辟易してしまいます。


男として生まれた以上

自分の最愛の人や家族を守ることに何の躊躇があるのでしょうか?

そして幸せにするに値する人を自分の力で手に入れるために

なりふりにかまわず努力をしないのでしょうか?


今の情勢で結婚をしても家計は大変なのはわかります。

でも生活ができない収入ではないはずです。


「贅沢はできないけど、僕についてきてほしい」


そう言って自分のことを切り詰めてでも家族のために生きることはできないのでしょうか?


この気持ちの弱さが日本の婚姻率が下がる要因の一つだと思います。


そして婚姻率が下がる理由はもう一つあります。

それは「女性性」を失った女性の増加にあると思います。

女性性とは「女性らしさ」と言うほうがいいかもしれません。


僕は古い考えの人間ですが「男の影を踏まず三歩後ろ」までは思いませんが、

最近の女性の女らしさの欠如には目を覆いたくなります。


これも古い考えかもしれないですが

家事が苦手な女性が増えたことは悲しいことだと思います。

これには理由があります。

子供を産み、育てる能力は女性にしか備わっていないからです。

男性はできても子育ての協力までです。

おなかの中で子を育み、お乳をあげることは男性にはできません。

そういう子育てや家族を思いやる人を包む優しさは

女性にしか備わっていないものなのです。


どれだけ一流のお店で男性がシェフがおいしい料理を作っても

おふくろの味に勝てないのはその優しさを料理に込める能力を

生まれながらにして女性は持っているからなのです。


その優しさを込める能力は料理だけでなくお裁縫やお掃除など

家事全般にわたるのです。

そしてその優しさのこもったものに家族が触れることで

お互いを思いやる気持ちが生まれるのだと思います。


そして家事をきちんとできる女性から出る雰囲気は

どこか男性を安心させる雰囲気でもあります。

その雰囲気こそが女性らしさであって

見た目をきれいにする生活をすることが女性らしさではないと思います。




僕はよくお客さんにこうお伝えします。


「好きな人ができた時のために、今のうちに好きなことをしておいてください」


これには意味があります。


本当に大事な人ができた時に

その人のためにできる限りのことがしてあげたいと思えるようになるためです。


本当に大事に思える人に喜んでもらえるならば

自分の時間を割いてでも、多少の我慢をしてでも頑張ることができる

それが本当の「愛情」なんだと僕は思います。


今の恋愛に悩んでいる大半の男女は

そこの部分の感情が欠けているのではないかと思います。


自分の都合や感情で相手の思いに沿うことができないのなら

それは大事でも愛している人でもなく

単に自分を認めてくれる人なんだと思います。



恋愛は時間をかけてするものだと思うのですが

最初の準備をしっかりしない限りうまくはいきません。


その準備とは「男らしさ」「女らしさ」という空気を身にまとうことではないのでしょうか?

男性と女性がこの気持ちをお互い持ち合わせていれば

見た目などでは左右されずに気持ちよく恋愛ができるような気がします。



神さんもよく言わはります。


自分にとって本当に「大事」を見つける方法は


大事を自分が愛するのではく


大事に愛されるような自分になる努力をすることや


愛される人になることには努力が必要です。


古臭いですが

今の日本人に必要なのは「和」ではないでしょうか。


侍のような覚悟とやまとなでしこのたおやかさ


けっこう神さんはそういう人が好きだったりします。



今回はすごく古臭い考えの話で

気分を害された方もおられるかもしれません。


そうなられた方は申し訳ございません。


このことを書くことは前のブログを書いた後から悩んでいました。

だからブログが更新できなかったんです。

という言い訳がましいのですが・・・。


でも、本当に今の日本は間違った方向に進んでいるように思えてなりません。


いいことは良い、悪いことは悪いとか

それは間違っているんじゃないかということを有耶無耶にすることによって

日本は幼稚化し弱体化しているような気がします。


だからあえて書きました。


今回のブログを書いたことで

なお一層自分の生き方にも緊張感を持とうと思っています。





新年あけましておめでとうございます。



本年一発目のブログ更新でございます。



今回は、今年にキーワードになるのではと思う



「個」



について少し書こうと思います。




昨年末にあったマヤ歴の更新により新しい時代が明けました。

この新しい年は今まであった概念が崩れていき

新しい概念が構築される時代になると思います。


これから迎えるであろう新しい時代は

「自分の力=個」が試される時代になります。


今までは「大義」であれば

決断することや責任を持つことをしなくてよかったのですが

それが通用しないということです。


自分の意志で決め、自分の責任で動く


それが問われる時代になってきます。




それにあわせて神さんたちの

人に対するスタンスも少し変わってくるように思います。


前にも書いたようにその人の覚悟や行動を見て

その先にある苦難や辛苦を減らすようにしてくれるのは変わらないですが

今までなら少し見逃してくれた「依存」ということに関しては

これからは少し厳しく見ていかれるような気がします。


なので、パワースポットめぐりなどでは完全に力はもらえなくなります。


神社などにお願いに行く際は今まで以上に



・自分がどうなりたいか


・自分がどうするか


・自分の覚悟



をしっかり伝えてください。


そして、自分がなりたい形になるまで必死に頑張ってみてください。

その必死さの度合いで神さんは動いてくれると思います。


ただ注意してほしいのは

これはお願い事をする時のお参りの心持ちであって

普段の気軽なお礼のお参りは楽な気持で行ってあげてください。


そう書いておかないと



「お前の書き方は厳しいからみんな神社にこうへんなる」



と焦っておられる心優しい神さんもおられるので

書き足させてもらいます(笑)