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神さまといっしょ♪

ある日突然神様に選ばれた男と神様が繰り広げる日常のブログです。



本当に久しぶりのブログです。

楽しみにしておられる方は本当にすいません。



ここ数日というか、ここ数か月というか、ここ1年くらい

体の調子がいい!っていう日が本当に数えるほどしかなく

(まあ、太り過ぎというのもあるのですが・・・)

常にだるさが残るこの体はどうしたものかと考えておりました。


そのだるさは仕事柄のもので

どうしようもなく取れないものだから仕方ないと思っていた(思い込もうとしていた)のですが

神さんはどうしてもそこには納得されておられませんでした。



「心の強さと体の強さは比例する、バランスのとり方次第です」



いつもこのように言われていました。

実際のところ、今のお仕事を始めてから風邪をひいて寝込んだのは5年目で合計3,4日くらいで

ぎっくり腰をしようが膝を怪我しようがお仕事はできているわけで

そういう点では体は頑丈にできています。

丈夫に産んでいただいた親に感謝です。



しかし、どうしてもだるさだけは取れなかったんですが

あることをしたら簡単にだるさを取ることができました。


「呼吸をゆっくり小さく深くする」


やったことはこれだけです。

ただ、ゆっくり小さく深く呼吸をするだけなんですが

最初は全身に酸素が行きわたらないのですごく苦しいです。

しかし少しずつ酸素が少ない状態に慣れてくると

体のだるかった部分や疲れが抜けなかった部分から汗が噴き出してきます。

そうしたら目がしゃっきりして頭もはっきりしてこんな時間にブログ更新です(笑)

酸素が体に入ってくる量が減ったことで

体が危機を感じ酸素が少ない量でも

全身に行きわたらせるように動いたのではないかと思います。


その一連の呼吸が終わって体が楽になったとき

神さんに一言こう言われました。



「それが自活ということです」



いつの間にか自分は仕事や生活が安定していく中で

それが当たり前と考えしまっていたことで

苦しいことやしんどいことを意図的に避けていたのかもしれません。

そうしている間に、呼吸が浅くなってしまっていることに気づかず

全身に酸素を行きわたらせることができなかったので

だるさや疲れが体から抜けなかったんだと思います。



仕事があることが当然で

ご飯が食べれることが当然で

家に住めることが当然で

息を吸えるのが当然で

etc・・・



いろんな当然を自分の中で重ねてしまうことで

口では感謝の言葉を紡いでいながらも

どこか心の底では本当の感謝ができていないことが

生きるという最低限の営みまで当然と感じ

大雑把な生き方をしてしまっていたことで

いつの間にか自分の体を自分で悪くしていたんだと思います。

ここは本当に反省です。



苦しいことやしんどいことや痛いことは嫌なことなので避けたいのが人の性です。

ましてや恵まれた環境下に置かれることで人はさらに苦痛を避けようとします。

しかし、その苦痛が人の感覚を鋭敏にし自らを活かしてくれるのではないのでしょうか?


満たされた現代に病気が多いのは

人が苦しいことやしんどいことや痛いこと面倒なことを避け

自らを活かす感覚が鈍感になってしまったからではないかと思います。



生きることが楽しくなかったり

体の疲れがとれなかったり

意味も分からず嫌なことばっかりおきたりしたら

一度こう振り返ってみてください。


自分は満たされ過ぎているのではないだろうか

そしてその満たされた環境に甘えていないだろうか


そこに答えは必ずあると思います。


自らで自分を活かす

一度じっくり考えて見られてはいかがでしょうか?






ありがとう


ごめんなさい


感謝してます


頑張ります


すいません



言わずもがなですが言葉にはたくさんの種類があり

上にあげた言葉はよく使われる代表だと思います。


ここ数年、時間の流れが急激に早くなり

多くの人がその流れについていくだけで精いっぱいになってしまい

心という大事な部分を忘れてしまった結果

言葉の存在を


「伝える」


から


「使う」


に変えてしまっているような気がします。




なぜそう思うかというと

言葉を伝えるのは「思い」からなので

本当に思って言葉を出したならば

人はその思いをその後の「行動」や「態度」にあらわすのはずなのですが、

多くの人のその行動や態度に変化が見られないからです。



「わかりました」と言いながらまた同じ間違いをする。


「頑張ります」と言いながら結果がついてこない


「ありがとう」と言いながらそのあとに迷惑をかける


「ごめんなさい」と言いながら同じ行動をして人を怒らせる


「できる」と言いながらできずに言い訳を言う。



など、数えればきりがありません。



神さんにとって「言葉」とは「言動」のことであり

「言う」という行為をしたならば

「行動」がついていないと意味を成しません。

言葉として出した以上は

その言葉と対を成す行動をし続けない限り


「言っただけ」


「本気で思っていない」


と神さんは判断をしてしまいます。

上にあげた言葉で簡単に解釈をすると



「わかりました」と言ったならば、聞いた通りの行動をする


「頑張ります」と言ったならば、できるまでそのことに集中をする


「ありがとう」と言ったならば、感謝の気持ちを持ち続け行動する


「ごめんなさい」と言ったならば、迷惑をかけないように自身の行動を見つめなおし変える


「できる」と言ったならば、できるようにとことん考えて動く



といったところでしょうか。



神さんにお願いをするということは

言葉で伝えているだけとお思いの方が多いのですが

そうではなく「言葉と行動」併せて神さんに伝えなくてはいけません。

行動も伴わずに言葉だけで伝えたところで

神さんは何も聞き入れてくれませんし力も貸してくれません。

それは人も同じです。


神さんであれ人であれ

言葉を伝えるということはある種の「約束」をすることになります。

しかし、約束をしたにもかかわらず言葉だけで行動が伴っていないことが続くと

神さんで人であれ信用をしてくれなくなるのは当然です。

でもそういう行いをする人ほど


「でも・・・」


「すぐするつもりだった」


「できるを思っていた」


「私なりにやってみました」


など、言い訳をきれいに並べ

「人(神さん)はいうことを聞いてくれない(厳しい、意地悪をする)」

と簡単に口にするのです。


神さんにとっても人にとってもそうなのですが

言動が一致していない時点でそれは「約束を反故」にしていることと変わりはないのです。



特に神さんは「やる」と言ったら「すぐにやる」ことが基本になります。



「やる」と言いながらやっていない人に信用や信頼ができることはないのです。

やらずに得られる信用などありません。




神さんに言うことを聞いてもらえてない



人生が思うようにうまくいかない



人に信用してもらえない



そう思うことがあるのなら



自分の言動がしっかり一致しているか



一度考えてみてください

意外と近場にヒントはあると思いますよ