今回はロックドラマー界の神 『ジョン・ボーナム』をご紹介します。
ジョン・ヘンリー・ボーナム( 1948年5月31日 - 1980年9月25日)は、生前はもとより
その死後もなお、現代のロックドラマーたちに多大な影響力を及ぼし続けている名ドラマー。
愛称は「ボンゾ」。その息子にロックドラマーのジェイソン・ボーナムがいる。
彼がドラムを始めたのは5歳の時で、空箱とコーヒー缶で作ったドラムセットを使い、
叩き方を真似ていた。その後、10歳の時にスネアドラムを、15歳の時に本物のドラムセット
(プレミア社製)を手に入れる。
彼は一度もドラム・レッスンを受けたことがなかったが、地元のドラマーたちにはよくアドバイス
を求めていた。建設業を営む父親ジャック・ボーナムの下で見習い大工として働きながら、
地元のいくつかのバンドでドラムを叩いていた。こうして様々なバンドで経験を積むうちに、
ボーナムはドラムを本業にすることを決意する。
この時期に彼はイギリスで最も大きな音を出すドラマーとして評判となり、しばしばドラム
ヘッドを打ち破り、クラブからは演奏を止めるように頼まれた。ボーナムはワンバスのまま、
その経歴を通してラディックのドラムを愛用した。また彼は市販されている中で最も重く長い
スティックを愛用し、彼はそれを「木 "trees"」と呼んでいた。彼は物凄く音楽性豊かだった。
沢山の音色を持ったドラマー。彼の事を、単なるヘヴィに叩き付けるドラマーだと思っている
人が多いが、実は彼は様々なフレーズやフィルを叩いていた。
単なる在り来たりなバックビートを必要とする曲でない限り、単純なビートを 叩いて満足する
ドラマーではなかった。そして彼は、自分の周りで起こっている事を常に意識していた。
常に聴いていた。ライヴでは全員が互いの音を聴き、互いを見つめている。そうする事によって、
全てが凄くタイトになっていく。ツェッペリンは誰でも曲を好きな方向へ持って いくことが出来たし、
みんながそれに付いて来てくれる事も常に解っていた。まるで鳥の群れがいて、一羽の鳥が別の
方向へ飛んでいくと、突然群れ全体が向きを変えるような…、そんな感覚だった。
ボーナムは大変な愛妻家であり、良き父でもあった。あまりにも家庭を愛していたがため、家や
家族から離れて長いツアーを行うことを嫌っていた。彼はホームシックと重度の飛行機恐怖症を
紛らすためにしばしば深酒をしていたが、彼の酒癖はしだいにひどくなっていった。
1980年9月24日、ボーナムは途中で立ち寄ったパブで、シングルで16ショット相当(約473 ml)の
ウォッカを飲み干し、スタジオに到着してからもさらに飲み続けた。
翌日、ツアー・マネージャーがベッドで死んでいるボーナムを発見した。死因は吐瀉物を喉に
詰まらせての窒息死であった(32歳没)。検死の結果、多量の飲酒により肺水腫を引き起こしていたこと、
アルコール以外の薬物反応はないことがわかった。彼の遺体は1980年10月12日に彼の農場近くの
ラショック教区墓地に埋葬された。不慮の出来事で偉大なドラマーを失ったツェッペリンは、
同年12月4日に解散声明を発表することになる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
最後は非常に若すぎる死でしたが、彼が全世界のドラマーやミュージシャンに与えた功績には、
計り知れないものがあります。昨年末に亡くなった、ラウドネスの樋口宗孝もボンゾに影響され、
生涯ワンバスを通したように偉大なドラマーでした。人に影響を与える程、特技を極める姿勢は、
何に対しても大事なことだと私は思います。
【HIKO】