私の手が語る
著:本田宗一郎
発行所:株式会社講談社
※文庫/昭和60年2月15日第1刷発行
プログラミングバカ一代
この書籍の一文の中に、
清水亮さんが感銘を受けたと
記述されていたため、
久しぶりの「本田宗一郎」本を手に。
概略
⚫︎失敗が憎かった。ミスをおかした者に対しては、どんなにいいわけがあろうと猛烈に腹が立った。ミスをした人間を憎いと思った。本気で怒鳴りつけ、口より先に手が出ることさえあった。だが、すこし落ちつくと、もう自己嫌悪。
⚫︎他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩まない人は、他人を動かすことができない。
⚫︎格好よくなりたいと思うことも必要である。他人によく思われ、よくいわれたいことは薄っぺらなようだが、これはひとつの真理である。だからこうしてやろうという意志が大切。これは案外薄っぺらなことではない。
⚫︎私は開き直ることにした。自分は、たぶん、他のどんな人よりも自分に忠実に生きてきたという自信である。
⚫︎あくまで妥協を排し、そういう自分をいつわらずに、素直に表現することこそが新しいデザインにつながるのではないか。
⚫︎私は真似が大嫌いだから、うちはうちの作り方でやろうと苦労をした。最初から苦しむ方向をとったから、あとは楽になった。真似をすると、永久に真似をしてゆくのである。
⚫︎歴史が動くのは、あくまでも経済の力であるということもできるが、歴史を動かすテコに手をかけている人はいつの時代にもいるような気がする。そういう人の得意な分野、不得意な分野もまた、歴史の上に影響してゆく。
⚫︎すべての社会的現象がスピードアップして、万物流転、有為転変の様相もたいへんすばやいものになってきた。そんな時代でも根本的に変わらないものがひとつある。人の心というやつだ。しっかりとした思想と哲学をもたぬ企業はこれから先もつぶれてゆくだろう。
⚫︎ほんとうの勇気は、強いからとか、勇ましいからではなく、どんな不利な結果になろうとも、自分が真実であり、妥当であると考えることを認め、それに賛成することこそが勇気である。
⚫︎自動車の修理は単に自動車を直すだけでなく、そこに心理的要素がなければならない。車が壊れ、苦労し、憤慨し、動揺して、お客の心もこわれている。
⚫︎人は所詮、自己弁護のなかで生きている。このことは、非難されることでも、責められることでもない。
⚫︎何が高級で何が低級であるかというのは人それぞれ、時と場合によって違う。高級であるかそうでないかよりも、目的にかなっているか、便利で使いやすいか、品質のよしあしである。
⚫︎日本には資源がないから、かえって産業が発達した。自国に資源があればいい品位のものでなくても使わなければならない。ところが、全く資源がなければ、世界中でもっとも良質の原材料を選択して使うことができる。
⚫︎戦争は生命を賭した行為であるから、そこには常に最高水準の技術と情報が集められる。
⚫︎おまえは、ほんとうに知っているか。絵をかくようになって以来、私は何ごとにつけてもそう思うようになった。それなら知っているということが多いが、松を描こうとした際に描けなかったのがきっかけ。
⚫︎たとえ小さなひとつの行為でも自分の考えに対して忠実に行動することがどんなに必要なことか。大きな理想に向かって結束した仕事を推進してゆくうえで欠くことのできない条件のひとつ。ゴルフをしなかったことも、その想いから。
⚫︎酒に飲まれちゃうようなお酒の飲みは嫌いだし、軽蔑する。
⚫︎遊びに行くのはモテに行くことだと私は信じている。
⚫︎遊びのへたな人間は人にも好かれないし、商売もできない。
⚫︎人間にとって、自分にないもの、自分にできないことというやつを自覚するのは大切。
本田宗一郎。深すぎる!一言がとても重い。その境地までたどり着いていないので、分からない真理もあっあのが正直な意見。でも、理解できなくても、大切だと思った!
名経営者の言葉に耳を傾ける!!