以前、聞かれた事がある。
真言の効果は、どのくらいあるのかと
正直申し上げる。
三密相応せねば、全く効果はない。
ある者は、けなげに虚空蔵菩薩の真言を唱えていた。
ある者は、毎日、般若心経を唱えている。
だが、不幸から抜け出せないと
あたりまえである。
何度も申すが、三密相応せねば法力など発動しない。
真言やお経を唱えて幸せになれるのであれば、毎日お勤めをする僧侶は、皆 幸せになり、超人になってしまうはずであるが、幸せになっている僧はいると思うが、超人は、ほとんどいない。 不幸な僧侶をたくさん見ている。
現代の僧は、きちんと供養もできず、低級霊に憑依され不幸になっている僧もかなりおる。
様々な世俗的な悩みで、私に相談してくる僧侶もかなりおるのだ。
虚空蔵菩薩真言をただ唱えるだけで、能力開発ができると言う者もおるようだが
まず、ありえない。
集中して、三昧に至れば、集中力は付くかも知れないが、別に他の言葉でも良い。
正しい方法にて行をせねば、法力は発動しない。
口先だけで唱える真言は
せいぜい、子供が母親に「チチンプイプイ」と、痛いところを撫でられて、治った様に
感じるようなものである。
所謂、気のせいでしかない。
ちなみに、テレビなどで自称霊能者が、憑依された者の前で真言を唱え、
憑依した者が、のたうちまわっているのを見た事があるが、あれは演技であり、大嘘である。
葬儀や法事などで、僧侶が真言を唱えて、のたうちまわっている遺族を見た事があるであろうか
未成仏の故人の霊はいくらでもいる。
憑依されている遺族もたくさんおるが、真言唱えたからと言って、のたうちまわる事は、まずないのである。
真言の波長、バイブレーションでその当時の記憶が蘇り、涙をこぼす事はあるであろうが
本当の効果を求めるのであれば、きちんとした正しい修行法を行うべし
前回の記事も書いたが、最低限、光球を出現させられるまで修行をし(意)
そして真言(口)を唱え
印を結ぶ(身)
この三密(身・口・意)が一致しなければ、無意味である。