ご利益高らかな光明真言で、自分の心を光で満たす | 小角のブログ

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『光明真言』とは真言宗において最も良く唱えられているもので、二十三文字の梵字から成り最後の休止符、「ウン」を加えても二十四文字と非常に短いですが、立派な功徳のあるお経の一つで、漢文にも日本語にも訳されていないお経であり、大日如来の真言の一つです。


これを一心に唱えると、すべての災いを取り除くことができる。効果絶大強力なパワーのある真言である。

 

それゆえ真言宗の中でも重要な真言なのです。

 


遍路に行かれた方や真言在家信者の方なら、勤行次第に出てくるので、常時唱えてはいるだろうと思うが、光明真言は、単に次第に出てくるから唱える、ただ一節の真言という認識だけでは勿体無いくらいの功徳がある。


「光明」とは

仏教用語としての光明は、仏が発する光で、大乗仏典では智慧や慈悲の象徴として、瞑想中の全身から光明を放つ場面が描かれる。

 

転じて「光明を得た」といえば比喩的に覚ったことを表すこともある。

 

『倶舎論』によると自ら光を発するもの(太陽など)を光といい、その光を反射するもの(月など)を明という。


また、国語辞典によれば、こうみょう [光明](1) 明るい光

明るい希望

(2) 仏や菩薩(ぼさつ)の体から放つ光などとされている。


「光明真言の正式名」
正しくは「不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)」と言い、もっとも短い言い方をすれば、「光言(こうごん)」とも言われる。

 

真言は、『不空羂索神変真言経』(菩提流志訳)または『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言』(不空訳)という、密教経典に説かれている。

「光明真言の功徳」
その『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言』によれば、「この真言を聞くこと二、三遍或いは七遍すれば、よく一切の罪障を滅する云々」と説かれている。

 

 

光明真言の功徳が甚大である事は、古来から様々な説話に登場しながらうたわれており、現在も真言宗だけに限らず、天台宗や、四国八十八カ所霊場・西国三十三観音霊場など、様々なお遍路や巡礼場面でも盛んに唱えられている。

 


高野山傳燈大阿闍梨の大栗道榮氏によれば、光明真言はすべての仏様に通用する云わば万能な真言であり、遍路の際にご本尊の真言が分からなかったり、忘れたり、間違ったりしたときは、この「光明真言」を一遍唱えれば、許されてしまうという。

 

更にとても有り難いお経なので、ご先祖さまへ仏壇の前やお墓で唱えると大変な供養になる。

光明真言はその名の示すが如く、光の言霊である。宇宙そのものである大日如来のご真言(マントラ)自体に霊力が備わっている。

 

真言とは総じてそういうもの。唱えているだけで、自分の内側から高次元の愛の光が波動になって溢れ出す。

 

そして自分自身の心が言霊によって満たされる、云わばプラスエネルギーが充満されると、光は自然に溢れ出して外へ向かい出すものである。

そして今度は他人へ良いエネルギーを放出できる。

人の「気」や「エネルギー」は幸も不幸も光も影もみんな同じように伝播してゆく。


弘法大師上人が開かれた真言宗は、教相事相一体。教相で理論を学び、事相でそれを実践する。

どちらに偏ってもだめなのである。

真言も同じで、むしろ意味や構成を理解するよりも、自分の口で声を出して唱え、骨伝導によって自分の声が御仏の声となって、また自分に届くことが大事。

 

以下も参考下さい
 

光明真言秘説

 

そもそも我ら命あるもの全ては生まれながらの仏であり、仏の徳が一つでも欠けてることは無い。
しかし、無知や煩悩に覆われてしまい、元々自分が仏であることを知らない。
自分の外に仏を求めて、永遠にさまようことは非常に浅はかだといえる。

 

 

大日如来という仏は全ての仏の大本であり、全ての命あるものの親であるといえるので、大日如来の慈悲は止むことが無い。

 

この元々仏に備わる知恵とご利益を23字の梵字に封じ込めた。
無知・煩悩の闇を照らし、本来自分が仏であると悟らせようとこれを全ての命あるものに与えた。
これを光明真言という。

 

よって、この真言は仏のご利益そのものであって、自分が仏になる(成仏、悟り)速さでこれにおよぶものは無い。

 

 

初めのオンとは、供養(おもてなし)である。
この一言を唱えるだけで全ての素晴らしい香り、花、灯り、料理・飲物、衣服などが、全ての仏を供養するのに十分な程に現れる。

 

 

次のアボキャベイロシャノウとは、大日如来の物事の本質を明らかにして統合させる絶対なる智慧である。

 


全ての仏のご利益はこの言葉にこもる。

 

次のマカボダラとは悟りを求める心であり、薬師如来の力である。
光明真言を唱えると、業も病も災いも癒し、治すというのは、この言葉があるからである。

 

 

次のマニとは仏の豊かさを現し、宝生如来の力である。
光明真言を唱えると現世と来世の大いなる豊かさが与えられるのはこの言葉があるからである。

 

 

次のハンドマとは阿弥陀如来の力である。
光明真言を唱えると極楽往生出来るというのは、この言葉があるからである。

 

 

次のジンバラハラバリタヤとはお釈迦様の力であり、全ての命あるものを救う行動を表す。

 

 

この五仏を五智如来という。
それぞれの仏の力が、それぞれの言葉にこもっている。

 

 

次のウンとは、悪を滅する力である。
光明真言を唱えると、地獄を破壊し、悪魔の妨害を砕き、怨敵を退治し、災難を滅するなどのご利益があるのはこの言葉があるからである。

 


書物の中で説いている光明真言のご利益を紹介すると、「この光明真言が唱えられているのを聞いたら、考えられる限りのあらゆる悪事を重ねた罪もたちまち消え去り、菩薩になる。

 

まして、もし信心をもって、たった1回でも光明真言を唱えたなら、全てのお経を唱えるのにも勝るご利益がある。

 

 

もし、臨終間際の人のために1回唱えたら、阿弥陀如来が極楽浄土に往生させてくれる。

 


 

光明真言

オン アボキャ ベイロシャノウ マカ ボダラ マニ ハンドマ ジンバラハラバリタヤ ウン (真言)

 

オーム アモーガ バイローチャナ マハー ムドラ マニ パドマジュバラ プラバルタヤ フーン (サンスクリット)