終活WEBソナエより引用抜粋
http://sonae.sankei.co.jp/ending/article/140515/e_sogi0001-n1.html

このイベントに参加した人たちの高揚感を目の当たりにして、「仏教が人々から求められる時代が来たんだ。仏教が葬式仏教からの脱却を始めたのだ」と感じたのも事実です。

 そして東京ボーズコレクションから7年。これを契機にして、全国のお寺で行われるイベントは飛躍的に増えていきました。これまで檀家(だんか)とだけしか関わりのなかったお寺が、開かれたお寺となって、地域の人々と積極的にコミュニケーションを取り始めたのです。
 しかし、7年たって感じることは、「誰もが参加できるイベントが増え、確かに檀家以外の人が気楽に行けるようなお寺が増えた。だが、そこに来た人のほとんどは、また次の刺激的なイベントを求めて、別のところに行ってしまっているのではないか」ということです。イベントでお寺を訪れる人にとって、お寺は消費の対象に過ぎないのではないかということです。

 そして、仏教は、相変わらず葬式仏教であり続けています。しかも問題なのは、お寺が葬式仏教を脱却しようともがいているのに、一般の人がお寺に求めるのは、相変わらず葬式だということです。

 私の頭の中では、この葬式仏教の強さは何なのだろう、という疑問がどんどん大きくなっていきました。教えや文化としての仏教はマスコミにも取り上げられやすいのですが、ほとんどが一時的な関わりで継続的なものとなっていません。しかし、葬式仏教は、どちらかというと批判の対象になりながらも、日本人が絶対に忘れない存在であり続けています。

 仏教は、お釈迦さまが説いた教えです。そして葬式仏教は、お釈迦さまが説いた教えから外れた鬼っ子です。しかし、現実に求められているのは、この鬼っ子のほうなのです。日本人の大多数が信仰しているのは、お釈迦さまの教えでもなく、親鸞の教えでもなく、道元の教えでもなく、葬式仏教なのです。
=====引用終了=====

お寺の住職様には、刺激的な記事を持ってきてしまいました。
だた、ここに書かれている事は、現状をよく示していると思いましたので、引用させて頂きました。

私達がお寺に求めているのは、葬儀の時に、死体から離れた魂の供養ではないでしょうか?昔は、霊魂の供養をやらないと離れた霊魂が何か悪いことをしそう・・・と恐れられていました。
一般の人達には、この作法が全く知らされてなく、この方法を唯一知っているのはお寺の住職だけでした。だからお葬式にお寺の住職が必要で、その仕事に対しての費用が、お布施(戒名とお経)になっていました。このような経緯により葬式仏教と言われてしまう状況になったと思います・・・

葬式仏教と言われないために、素晴らしい活動をされている方もいらっしゃいますが、今までのイメージが悪いので・・・

どうしたら葬式仏教と言われないのか?皆がしっかりと考える時代になってきていると思います。

エンディングノートを活用した、小学生でもわかる面談で
あなたらしい人生のフィナーレを提案する、
想いの届け人 鈴木 優治 

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「お金の遺言状」と「いのちの遺言状」
http://apital.asahi.com/article/nagao/2014051200008.html
朝日新聞アピタルから以下抜粋して引用します。

「リビングウイル」の日本語訳はなんでしょうか?
人生の最終段階、つまり不治かつ末期になった時に、
延命治療を断る一方、緩和医療をお願いする書面が
「リビングウイル」です。
いわゆる「遺言状」と違うのは、まずこの2点。
・遺言状は亡くなった後のこと
・お金や財産に関すること
一方、「リビングウイル」は、
・死ぬ前、生きているが意思表示できない場合のこと
・いのちに関わる医療処置のこと

私たちは、前者は「遺言状」と
後者を「いのちの遺言状」と、呼んでみました。
「お金の遺言状」と「いのちの遺言状」

「前者は法律で認められているのに、後者は
 どうして法律で認められていないのか?
 日本はいったいどうなっているんだ!」

しかし現場の医師は、「いのちの遺言状」に対して無力です。
時に家族が本人の意思と真反対の希望を言い出すからです。
家族や子供の間で意見が分かれることが、もはや日常です。

=====引用終了=====
リビングウイルが日本でも認められるようになるべきですね。
亡くなる方が、自分の最期を自分で決める・・・
当たり前の事が、普通に出来る世の中になっていくべきだと
思います。これからは、自分の最期を自分で決める事になって
いくと思います。どこかで自分にしっかりと向き合わないと
いけないですね・・・

>家族と本人の意思が違うことが日常・・・
これも、嫌な話ですね。
普段から家族間で意志の疎通を図っておくべきですね。

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今回は少し長くなりますが、お付き合い下さい。

朝日新聞apitalのサイトより転記
http://apital.asahi.com/article/nagao/2014042600006.html

“リビングウイル”の日本語訳は定まっていません。
生前の遺言とか、終末期医療に関する意思表示など
いろんなことが言われていますが、しっくりきません。

最近、「いのちの遺言状」という言葉が気に入っています。
「遺言状」といえば、死んだ後に効力が発揮しますが、
「いのちの遺言状」は、死ぬ前までの医療への要望書。

世の中には、2つの遺言状があります。
ひとつは、「お金の遺言状」(通常の遺言状)。
そして、もうひとつは「いのちの遺言状」です。

前者は、死んでから。
後者は、生きているうち。
どちらも「状」であるので、文章として作成されるもの。

人間は、必ず死にますから、2つの遺言状を作成しておいて
悪いことは何もないと思います。
2つの遺言状は、15歳から作成できます。

自己決定できる年齢が15歳以上であるという考えです。
実際10代で「いのちの遺言状」を持っている方もいます。
どういう経緯かは知りませんが私どもはそれを管理しています。

さて「お金の遺言状」と「いのちの遺言状」の決定的な違いは何か。。
「お金の遺言状」は法的に保障されていますが、
「いのちの遺言状」は、法的に保障されていない点です。

だから「遠くの長男」の一言で、もっとも大切な人生の最終段階に
おける医療方針が決定されているというのが、日本の現実です。
もちろんそんな国は、世界中見渡して、日本だけです。

「いのちの遺言状」を法的に「有効」と認めましょうというのが
「終末期の医療における患者の意思を尊重する法律案」です。
超党派の議員さん130人位が議論を始めて9年目に入りました。

しかし肝心の議論の中身は、9年間、まったく停滞したまま。
同じ議論が繰り返されるばかりで、堂々巡りから脱せません。
私自身も一連の議論の中にいる一人ですが、もどかしいです。

ちなみに先進国の中で、「いのちの遺言状」が
法的に「有効」でないなんて国は、日本国だけです。
まず、多くの方にそんな単純な事実から知って欲しいです。

「待つ」ということは、「いのちの遺言状」が
法的に有効であってこそ、可能になります。
遠くの長男の意見より本人の意思が優先するようになるのです。

待ってもらうには、、元気なうちに「いのちの遺言状」を
書いておくことと、それが法的に有効であると国家が認めること。
この2つの条件が揃えば、病院や施設でも「待つ」ことができる。

在宅医療では、こうした手続きがなくても穏やかな最期が可能。
多くは「阿吽の呼吸」というか、強い信頼関係があるからです。
そうした場合はこのような手続きが無くても、全く構いません。

しかし8割の人が病院で最期を迎えている現在、こうした法案は
極論すれば、病院や施設のためのものと言ってもいいでしょう。
「阿吽の看とり」はそのままでいい、とちゃんと書かれています。

たったそれだけの議論なのですが、報道で
大きく歪められた結果が、現状なのです。

来月、国会で再びこうした議論が行われる予定です。
以上のようなことを知った上で、議論を見守ってください。
そろそろ、9年間のこう着状態を抜け出す時だと思います。

「お金の遺言状」と、「いのちの遺言状」。
あなたにとって、どちらが大切ですか?
=====転記終了=====

これからは、いのちに関する遺言状も必要な時代のようですね。
(その理由は、無駄な治療をされることを望まないために・・・)
日本では、法律でいのちに関する遺言状は認められていないこ
を知りました。これではエンディングノートと同じ扱いですね。

自宅での看取りを国はどんどん勧めていますが、一般の人達が
認めだすには、まだまだ時間が掛かると思います。
医療でどんな治療をされたいのか?これを自分で決める時代は、
すぐそこに来ています。

人生のエンディングを安心して迎えたい方に
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