秋田 光彦さんのFBより転記します。
終活に関する事が書かれています。長いので2回に分けて載せます。
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「『家族に迷惑をかけたくない』、と高齢者が言うのは何故でしょうか」
満場のフロアから質問があった。昨日大蓮寺で開催したエンディングセミナーでのこと。この日のゲストのひとりである、終活カウンセラー協会の武藤頼胡さんも、これが現代の高齢者のキーワードのようになっている、と紹介していた。
じつはもうひとつ、キーワードがる。「最期まで自分らしく」だ。葬式は家族だけで、墓は樹木葬がいい…そういう選択も「自分らしさ」だという。私は10年以上前からエンディングセミナーをやっているが、その頃からこの二つの言葉は一対として用いられ、今や定着したかのように思える。
皆違和感を感じるだろう。「家族に迷惑かけたくないが、最期まで自分らしく」は、矛盾していないか。
「迷惑をかけたくない」背景には、家族間の関係の軋みが窺える。直葬だってそうだ。あれは冷静に言えば、手の込んだ遺体処理に過ぎないが、それをして「畏れ」を感じない感覚がそろそろと根付きはじめている。むろん「迷惑かけたっていいのよ」という家族もいるが(そういう家族がこの手のセミナーに来るのだが)、「手をかけさせるな」と思っている家族もいる。親の年金欲しさに、遺体をタンスに隠していた事件が何年か前にあったが、親を金づるとしか思っていない家族もいる。
昔であれば、家督があった。親を鑑としながら、家業を継いだ。代々の看板もあったろうし、受け継がれてきた遺産もあったかもしれない。「迷惑をかけてしかるべき」恩恵があったのだ。
いや恩恵だけではない。迷惑かもしれないがだが、家族であればそれを引き受けざるを得ないような感覚が、ならわしとか因習として定着していたのだろう。それは個人の選り好みではない。古くさい言い方をすれば共同体の掟のようなものであり。それが一定の秩序や規範を形成してきたのだ。先祖仏教がそこに果たした役割は小さくない。
その2に続きます。
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