物事には流れがあると思う。

 

ボクは、

自分が持てるキャパシティみたいなものがあるかなと思う。

 

それが非常に小さい。

リュックひとつ分が丁度いいかなと思っている。

 

机の中、

仕事の量、

クローゼットの中、

シューズクローゼットの中。

 

限界がある。

 

捨てれば、どんどん隙間ができる。

空間が広がる。

 

すると、

風通しがどんどん良くなる。

 

すると、また新しく入ってくるものがあるのだと思う。

 

だからどんどん片付けて、

どんどん不要なものを捨てて、

隙間をつくり、

そこに新しい風を吹き込む。

 

財布もパンパンだと、もうお金が入ってきません。

領収書や意味のないカードはどんどん処理する。

ポイントカードは全部捨てる。

 

 

なので、いらないものを放出してスッキリしましょう。

 

 

基本、ひとシーズン使わなかったものは、

捨ててしまいます。

 

 

そして、新しい風を吹き込もうと思います。

 

 

だからどんどん捨ててゆきます!

 

自撮りで怖い顔になってしまった。

 

宣伝会議のセミナーも無観客で、オンライン・・・。

もともと観客じゃないか・・・笑。

 

日本全国の人に届けました。

いつもと違って受講生をいじくれないのでー

通常の3倍も喋って疲れてしまいます。

 

ぐったりです・・・。

 

なんでもいい体験です。

ポジティブに捉えて前進中。

 

広報の研究所

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尾原さんの新刊をいち早く読む機会に恵まれた。

自慢だが、発売前である。(ドヤ顔〜の野呂です)

 

 

 

 

現在予約受付中です。

 

 

こちらの本もボクは予約しました!(キンドル版)

 

 

 

タイトルから頭を殴られた気分である。

すごく共感するタイトルである。

 

「確かにーっと缶コーヒーが飲みたくなる感じである」

 

 

気がつけば僕らは、なにかの数字に追われ、

そして結果的に何者にも数字に疲れてしまっていることが多い。

そんなことが、「はじめに」に綴られていて共感する。

 

 

この本の中から学んだことを箇条書きにする。

詳細は是非とも読んでほしい。

 

  • 役に立つは無効化
  • 他の誰かではなく、あなたに仕事を頼みたいが存在意義
  • 小さくてもありがとうと言われる。(尾原さんのギブメールには感動!)
  • 企業の寿命が個人の寿命よりも短くなった
  • 錯覚資産が誰もが使えるものではない(錯覚資産という言葉を初めて知りました。ゆうこすさんの実例)
  • 人を疑うことこそが無駄なコスト!(信頼し合えば、コストが安くなる)
  • メモをとること=帰納法の訓練になる(前田裕二さんの例)
  • 西野サロンで起きている高速学習(ボクも参加して勉強中です)
  • 肩書がなくなってゆく時代の自分の作り方

 

「プロフェッショナルはプロフェッショナルらしく、

価値と結果を出すこと」

  • みんな同じを再定義する
  • 本は全部読まなくていい!
 
 
この本は、安っぽい言い方だが、
withコロナの時代の生き方の聖書かもしれない。
それとも、論語かもしれない。
いや、人生のグーグルマップかもしれない。
なんだろう、新しい味のガリガリ君よりも面白いものである。
 
 
ある意味の道標である。
 
もしかすると尾原さんのトリセツ(取扱説明書)
なのかもしれない。
っと思う。
 
 
価値が大きく変わってきている今、
ボク自身も大きく変わらねばーっと日々考えている。
 
 
そして今も変わるためにブログを書いている。
そんな連続である。
 
 
数字の先にあるもの。
ボク的には「笑顔」だと思う。
幸せそうな笑顔かなと思う。
 
 
いつも尾原さんはニコニコしている。
幸せそうな笑顔が輝いている。
 
 
それはなぜか?
それは尾原さんが、誰かが決めた価値で生きているのでは無いからだ。
 
 
学校の先生が決めた、5段階評価ではなく、
興味と感覚と勘で生きているからである。
 
 
いつもヒョーヒョーとしている。
それは、数字で管理された「単位」ではなく、
「いっぱい」とか「ワクワク」的な感情で歩いているからだ。
 
 
ボクも、毎日1万歩を歩くのをやめようと思う。
楽しく、ヒョヒョーと歩こうと思う。
 
野呂の本も是非とも!!

 

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ある会見でふと思う。

 

「あ、このオジサンたちは、いらないな・・・」

それは、ボクだけではない。

そこにいる若手のスタッフもみんな思ったと思う。

特に、その場で働いている若者たちは怒っていたと思う。

 

8人ぐらいだろうか?

仕事をしているスタッフを横目に

単純に腕を組んで社員同士で雑談をしているだけである。

 

「あーこういうのを役に立たないオジサンと言うんだろうな・・・」

という典型的な風景だ。

 

ボクはそんな時思った。

「一人の時給が5万円と計算して、8人なので1時間に40万円は吹っ飛んだなーっと」

 

更に

「あんなふうに偉そうなオジサンにはならないぞ」

と心に誓う。

 

「立ち会い」という名の元、そこで精算を産まないのである。

本当にもったいないというか無駄だ。

 

一方、某日本企業は風景が変わった。

去年の話だが、

会見の隙間時間に登壇している役員がスマホでチャットの対応に追われていた。

日本を代表する古典的な企業である。

 

この会社、10年ほど前までは、いらないオジサンが、結構いたと思う。

 

だが違った。

スキマ時間に立ったままミーティングをし、更にチャットを。

そして、また会見。

 

去年見た風景だが、スマホを完全に使いこなしている。

会社は変化できるんだと実感した。

 

仕事の変化も必要だ。

世の中の変化について行くことも必要だ。

スキマ時間は仕事である。

 

更に自分自身の変化をしてゆこうと思う。

 

このままでは、ボク自身も単なるスーツを着たクソジジーになりそうな感じである。

変化を更にしてゆこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大河ドラマ「麒麟がくる」を見ながら、

やはり人は奢りが禁物だと実感する。

 

今川義元は、海道一の弓取りとして知られ、

2万もの大軍で押し寄せている。

(ボクは、”街道一の弓取り”だと思っていた。笑)

 

しかも今川義元は、信長の15歳以上年上。

戦の経験も多い。

 

だが、戦に輿(こし)という籠のような乗り物で出陣している。

これは足利将軍から特別許可が出たものだけが

乗ってもいいものである。

 

仮説だが、

万が一、馬に乗って出陣していれば、

逃げることもできただろうし、

戦うこともできただろう。

 

「負ける」という考えたが全くなかったのだろう。

 

ある意味「奢り」である。

 

以前、大失敗をしたときの

ボクをちょっと思い出した。

 

天下をとる勢いの時代があった。

その後、非常に痛い目にあった。

 

更に、幾人かの経営者を思い出した。

 

一人は去年の出逢った経営者である。

あるIT企業の経営者で、成功する予感があった。

ほんのちょっとだけ階段を登りかけていた。

 

小さな階段を登り始めたのである。

まだ、成功していないのである。

 

だが、成功した気分を味わっていた。

「大成功間違いなし!」

と高笑いをしていた。

 

そんな矢先に新型コロナが起こった。

その会社は、まだかろうじてあるが、

売上は全くたってないという話を聞いた。

社長は資金繰りに苦戦をしている。

 

「楽勝ですよ!」

「大成功間違いなし!」

と、口走っていた社長の顔が思い浮かぶ。

 

「楽勝」というのは、

この世の中に、無いのだと思う。

 

ボクも失敗する直前まで、

楽勝だと思っていた。

そうしたら、根底からひっくり返った。

 

年商の8割を失ったのだ。

復活する前に4ヶ月を要した。

 

「楽勝というのはない」と思う。

今川義元も、まあ、400年も前の話だから

真意はわからないが、

「楽勝」だと思っていたに違いないと思う。

 

ボクが失敗したのは15年ぐらい前だろうか?

それから「楽勝」という事柄は一度もない。

 

毎日大変である。

楽して勝てることは無い。

今日も大変だった。

 

昨日の大河を見ながらそんなことをふと思う。

 

「奢る」の「奢る」という漢字は、

大きい+者=奢である。

沢山のものを集めて贅沢をすることである。

 

「奢るものは心常に貧し」という言葉がある。

 

贅沢な生活を好む人は、満足することを知らない。

満たされずに不平不満の気持ちを持っていて、

心は貧しいということである。

 

この言葉は、中国の譚子化書に載っている。

唐代末期(7世紀頃)の道教学者の譚峭(たんしょう)

によって書かれた書物である。

 

奢りは命を失うこともあるんだなと、

昨日の大河ドラマを見ていて思った。

そして、あの経営者と自分を思い出した。

 

そして、桶狭間の戦いで勝った織田信長もまた、

22年後に僅かな兵で本能寺へ。

結末は御存知の通り。

 

諸説あるが、

たった150名の兵で

1万3000人の明智軍とやり合うのは無理である。

 

それもある意味、”奢り”だったのかもしれない。

油断なのかもしれない。

 

ちなみにだが、油断は、

中国の4世紀頃に書かれた

涅槃経(ねはんぎょう)に書かれたエピソードである。

 

王が家臣に油の入った鉢をもたせ、

こぼしたら命をとるという話から来ている。

油をこぼしたらそれは死を意味するということだ。

 

「奢り」「油断」は禁物である。

 

奢りや油断は禁物。

昨日の大河を見ながら、

再度そんなことを認識する。

 

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今朝も生きていることに感謝しながら目が覚める。

 

そして、水を飲む。

カーテンを開ける。

家の空気を入れ替える。

 

毎日の日課がある。

仕事場の机周辺の雑巾がけである。

 

 

モニターも動かし雑巾がけをする。

 

 

不思議なのは、

毎日雑巾がけをしても、

更に汚れを見つけられるのだ。

 

きっと雑巾がけは永遠に終わらないのだろう。

毎日磨いても、いくらでも磨けるのだろう。

 

きっとこういうは一種の修行のようなものかなと思った。

 

パソコンも掃除をし、

各所を磨き上げる。

毎日使うものだし。

 

とにかくシンプルにしたいと思う。

シンプルに生きたいのだ。

 

そのために毎日、雑巾がけをする。

すると必然的に机の上はいつもきれいな状態へとなるのだ。

 

非常にシンプルである。

もっともっとシンプルにできるはずである。

 

そのために今日も早起きをする。