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猫の後ろ姿 147 『米井力也の本棚 Ⅰ』


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 大学の時の友人、米井力也君が病気で亡くなったが、葬儀にも追悼の会にも都合で出席できなかった。

 葬儀または追悼会の時に、故人を祈念して近親者が配る本を「饅頭本」という。米井君の奥様から送っていただいたこの本もそのひとつといえるだろう。しかしながら通常の「饅頭本」とは少し趣が違う。大学の研究室と自宅の書斎の本棚に収められた彼が集めた本の集積を一冊ずつ目で追ってゆくことができる。


 彼とは国文学科で一緒で、彼は国文の大学院へ進学。ぼくは美学美術史学科へ再入学した。以来あまり交友もなかったが時折、論文の抜き刷りなどを送ってもらった。



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 左は研究室の本棚のごく一部。右は彼の研究室の窓からの風景。懐かしい思い出ばかりだ。合掌。


猫の後ろ姿 146 植民地近代性のこと 映画「ゼロの焦点」


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 新聞を整理していてこんな記事を見つけた(朝日新聞2009年12月2日夕刊)。「もう一つの百年を前に 映画『ゼロの焦点』 支えた韓国」という文章で、女優の黒田福美さんが書いたもの。

 この映画を作るにあたって、「雪深い昭和の金沢」のシーンは日本国内では撮影できず、日本植民地時代のソウル(当時日本人は京城と呼んだ)が再現されている韓国のオープンセット「富川(プチョン)ファンタスティックスタジオ」が使われたという。

 日本による植民地時代、韓国・台湾・満洲において日本国家は急速にその「近代化」を強行し、日本本国においてよりもむしろ交通・生産面において「近代化」がすすんでいたところもある。

 日本は植民地化したけれど、良いこともしたのだと一部のひとびとが言いつのるのも、この「植民地化」に伴う「近代化」、つまり「植民地近代性」(Colonial Modernity)を根拠とするものだ。

 しかし、この強制された近代化が日本の植民地となった国の人々の幸福にどれほど寄与したのか。帝国主義本国の身勝手な思いこみすぎないのではないかと僕は思う。

 ところで、朝鮮の地で進められた「植民地近代性」の残滓がこんな形で、日本の映画製作に役立つということはいささかこだわりを持ちつつも、なおこれが両国の文化的交流を深め、相互に理解が深められることを僕は願う。 

猫の後ろ姿 145 市川團十郎 『團十郎の歌舞伎案内』


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 ソウル行きの成田空港の待合室で読み始めて、機内でも読んだ。面白かった。意外な、などというと失礼になるか。学究肌のところがあって、そんな性格が團十郎のちょっと不器用な固い感じの所作とせりふ回しにあらわれているのだろう。

 「遊び・・・この考え方が日本の演劇のいちばんの源であると思います。」 それはそうだろうけれど、真面目な顔でこんなこといわれても聞く方はちょっと困ります。

 歌舞伎役者は舞台や花道で足踏みをする。「ドドドン、ドドドン、ドドドドドドドン」というリズムは「日本独特のリズム」だと團十郎は言う。

 俳句の久保田万太郎も同じようなことを言っていた。俳句のリズムは、「どどどんどん どどどどんのどどどんどん」、なんだそうだ。

 どちらも基本は五音と七音で、日本の芸能の一番奥にはこのリズムが響いている。

 (ちなみに、團十郎は「団」ではなく「團」を使ってくれと言っていますので、今後は気をつけます。)