第四章(終) 一年前
ある日、やたらとリアルな夢を見た。
家に帰ったら、台所にばあがいる。まだ元気だったころのように、慣れた手つきでお勝手仕事をしているのだ。驚く貞夫に向かって、
「長いこと留守にしとって悪かったなあ。」
とばあが貞夫に言う。
「これからいっしょに暮らせるんか。」
と貞夫が言ったところで夢が終わった。
これが現実だったらどれだけよかっただろう。長いこと留守にしていた理由なぞ聞かずに、昔と同じ生活ができる喜びを噛みしめていただろう。しかし、残念ながらばあが生きて帰宅することはなかった。
暑さが少しだけ和らいできた九月の中頃。深夜に施設から電話が入った。ばあ危篤の知らせだった。
急いで施設に駆けつけると、ばあは集中治療室に移されていた。バイタルサインは著しく弱い。しかし、手に触れるとまだ温かい。命のぬくもりだ。貞夫がばあの顔をのぞくと、ばあは奇跡的に目を開けた。そして次の瞬間、
「あんばようしてくれて、ありがとな。」
弱々しい声だったが、たしかにそう言った。そして、貞夫に向かって最後の力をふり絞って微笑みかけ、息を引き取った。
そう。ばあは最後の最後に貞夫のことを思い出してくれたのだ。認知症を患ってからはずっと敬語だったのに、このときは違ったのが、それを証明している。
ばあは死んでからもしばらくは温かかった。三十分くらいして、少しずつ冷たくなってきたのを確認してから、貞夫は葬儀の手配のために集中治療室をあとにした。
ばあ 享年九十七歳
ばあは三年半ぶりに無言の帰宅を果たし、一日だけ家に安置してから、葬儀場に引き取られていった。死化粧への立ち会いをした。ばあが化粧なんてするのは、もう何十年ぶりのことだろう。葬儀場のスタッフが二人がかりで死装束に着替えさせるとき、ばあの体を横転させようとすると、これがなかなかどうしてうまくいかない。ばあは、貞夫の方向に顔と体を向けたまま、横転するのを拒んでいるかのように見えた。葬儀場のスタッフが、
「ずっとお孫さんの顔を見ていたいんだねぇ。」
などというから、貞夫は感極まりそうになるのをこらえるのが大変だった。
六曜の都合で、さらに一日おいて、無事に葬儀が執り行われた。親族だけの小さな葬儀だ。当然、貞夫が喪主を務める。というか、ばあの二親等以内には貞夫しかいない。四年前の嬶の葬儀でも喪主を務めたので、もう慣れっこだ。そして、これが貞夫にとって最後の喪主となることは間違いない。こうして、秋の訪れとともに、ばあは荼毘に伏された。
ばあが死んだとき、不思議と涙は出なかった。それどころか、「仕事に穴をあけてだいじょうぶかしら」とか「生命保険の受取人、誰にしようかしら」とか、現実的なことばかりが頭をよぎる。嬶が死んだときもそうだったが、極度の緊張状態にあると、泣くのも忘れてしまうのだろう。
それから数か月経ったとき、「おばあちゃん」を題材にした映画を観る機会があった。図らずも、ばあのことが思い起こされる。しかも、この手の映画は大げさに感動路線の演出をしてくる。まばらとはいえ、周りに人がいる映画館の暗がりの中で、貞夫は声を殺して泣いた。泣いても泣いても涙が止まらない。これがYouTubeだったら確実に再生を止めて、号泣に徹していただろう。ハンカチをもう一枚持っていくべきだった。このタイミングでこんな映画を観た貞夫が馬鹿だった。
映画館を出たあと、ばあがいるであろう夜空に向かって、貞夫はつぶやいた。
「ばあ、九十七年間、お疲れさん。」
