さて・・・どう書いていいのやら・・・
産まれて一ヶ月たち,ようやく日記を書こうと決心しました。。。
この一ヶ月,本とにいろいろなことがありました・・・
書こうか書かないか,悩みましたが,
コレを見てくれる人は本との友達だと思っているので
書こうと思います。
6月11日・・・前日運動会で動きすぎたせいか,前日の夜から少ししんどくなり
朝から規則的に子宮収縮が来る
産婦人科に連絡しようか悩み,少し寝てから考えようと寝て起きたら・・・
あ~陣痛ってこんな感じだったな~と三時ごろ寝ぼけたかんじで目覚める・・・
ん??これって陣痛じゃない???どうしよう,ジジババも子供連れて遠出してるし!!!
と泊まりあけのダンナを連れて病院へ・・・
七時,分娩室に降り,膜も薄くなってるということで破水をさせて陣痛を促す・・・
子供たちも分娩室の外で(中は怖いといわれた・・)母の声だけ聞いて過ごす・・・
八時,産まれる。。。子供たちも分娩室に入ってくる。
ゆら「かえるみたいな鳴き声だ・・」
みんな「あはは」
しかし,いつまでたってもおなかの上に赤ちゃんを置いてくれない。
ダンナのほうをちらりと見ると,うつむいている。
??と思って先生を見ると・・・
∑(・△・;)エッ!!!心臓マッサージをしている!!!
そして・・・赤ちゃんは大急ぎでどっかに連れて行かれる・・・
何分かたった。
赤ちゃんの呼吸は戻ったが,呼吸をしなかったことで
後遺症が残るかもしれないということを告げられる・・・
3分くらい息をしないことはあっても,7分も息をしなかったとのこと。。。
念のためにNICUに入れられることに・・・
おなかの上で写真を2枚ほど撮ると,特に顔も見れないままNICUへ・・・
それからが本とに地獄だった・・・
私は産婦人科に残り,赤ちゃんは大きな病院へ・・・
この地獄を体験するのはミウのときに続いて2回目だ・・・
赤ちゃんがいないのによその赤ちゃんの声が聞こえる・・・
何でうちの子ばかりこうなるんだ・・・だんなも相当凹んでいた
二日目には,こんなに楽天的な私も,自殺したいほどまで落ち込む・・・
しかし,この地獄はまだ助長にすぎなかった・・・
それから約一ヶ月もの間NICUに入ることになる・・・
一回も抱っこが出来ないまま保育器に入れられ・・
初めて抱っこができたのは
約二週間後だった・・・
やっと保育器から出れたと思ったら原因不明のぶつぶつが出て・・また保育器へ・・
私が出産したのは夢だったんじゃないかと思うほど赤ちゃんにも会えない。
酸素が少しずつ下がっていくのをみるため,毎日まるで職場のようにNICUに通う。
もう駐車場のおっちゃんともNICUの看護婦さんとも顔なじみになり,
そこにずっといても空気のような存在になるほど搾乳した母乳を持って通い詰めた。
三週間がたち,やっと退院準備が始まった・・・
耳の聞こえの検査,MRIなどがとられた。
そして・・・
「両親そろって結果を聞きに来てください」といわれた。
両親そろって・・・その言葉に悪い結果を予感させた・・・
どうやら・・・
私とだんなの遺伝子で劣性遺伝子が重なると,
小脳が小さかったり小脳虫部が欠損したりする確立が4分の1あって,
その四分の一に引っかかってしまったようだった・・・
赤ちゃんの小脳虫部が今のところ見えず,
障害児になるかもしれないとのこと。。。
みうと同じ障害,ジュベール症候群だった。。。
人類の10万人に一人の確立の病気が,一家に2人もいるとは・・・
でも,そこでは思ったより落ち込まなかった・・・
この病気に関してはミウのときに調べつくしてあり
今回は絶対うまくいくし,大丈夫,という根拠のない自信がある。
赤ちゃんの退院も決まり,うっきうきだった。
そして今日,赤ちゃんはとても元気です。
逆に発達が早いんじゃないかと思わせるくらい,うつぶせにするとたまに頭を上げたり
頭をずりずりして少し前に進むほど。
きっと最後の子育てになるだろうから
思いっきり楽しもうと思います!!!
名前はユーゴです。
3340グラムで産まれました!!
よろしくお願いします★★★