東松島市のとあるおうち。


もうすぐ解体されるそうですが、その前にペタペタペイント。




今やとても有名になってしまったあの場所。


そこにもひまわりが咲いています。


色って大事だよね。



何か大きな災害を受けた事がある人も、

受けた事がない人も、

なにより震災に全然関心のない人や

過去の事だと思っている人たちに読んでもらいたい体験記。

http://ameblo.jp/0721erokoubou/entry-10983940336.html

ただし、かなり具体的ですので

震災当日を思い出したりしてダメージを受ける人にはおすすめできません。

写真があるわけではありません。

文章のみ。
今回はまるっとツイッターログです。
正直テレビより新聞よりネットニュースより、ツイッターの方がリアルタイムで具体的な情報あるよね。

今回はニュースではなく、個人個人の本当の「つぶやき」だけを集めてみた。

・みんな色々な工夫をして商売を再開しています。八百屋さんを経営していた老夫婦は仮設住宅に移動販売に行ってますが 車から商品の出し入れをするのが大変なので スライド出来る陳列箱を作る計画中‼ 日配品の保冷は毎日自宅で氷を作り鮮度を保つ工夫してるよ


・山田町を復興特区に、山田町に日本の未来を作り込もう!上を見つめていても何も落ちてこない。上を見つめていてもだれも何もしてくれはしない。自ら動き出すことが上から物が落ちてくることにつながる。

・履歴書。。震災なんて大嫌いだ!なんもかも仕方ない。それしか言葉にならない。独立し14年。これからという時に震災。そして履歴書。悔しい。かなり悔しい。仕方ない。

・ディズニーランドで、福島ナンバーがガラス割られたり、スプレーで「帰れ」と落書きされたれりしている。お願いします。お願いです。福島を守って下さい。拡散してください。

・博物館とメモリアルパーク、朝のニュースで宮城県の復興計画とかで見たんです。確かに伝えることは大切だと思うのですが、今はそれどころではないし、仙台の中心部にいる人たちにはそれがまだ伝わらないのかなと思いました。

・東松島市の避難所から仮設への引っ越しボランティアに、溜め込んでいて腐らせた食品や物資を廃棄させてた。捨てるほど避難所には物が溢れていたなら、自宅難民と分け合ったら良かったのに、それで何人からお腹を満たす事が出来たはず

・大槌町から三陸まで仕事にいく男性を、地元の方はずっとずっと気にかけていて、欲しいものないの?なんでも言ってねって言えば、「家族」と一言。本当にやりきれないですね。最近連絡取れなくなって、もうだめだ、と思ったらつい先日、現れたそうでとても安心したそうです。

・大槌町から悲痛な声。被災地の情報がメディアなどで少なくなる中、被災地の状況は悪化しています。復興の「ふ」の字も見えない中疲弊しています。皆さまのお力お貸し下さい。

・仮設住宅に味の素の調味料セットを配っていると、在宅被災者の方が来た。「私たちにも頂けませんか」仮設住宅に入居した被災者ばかりで在宅被災者は全く支援が行き届いていないとのこと。僕らが話を聞いていたら泣き出してしまった。

・いろんな人の話を聞くとさ、生きてるって大変だ。と思う。死んだ人はなにも思わなくてすむからさ。

・「ほとんど」とか「ほぼ」とか、この辺りの言葉に、現場が反映されていない事が多く有るのではないかと感じることがあります。(避難所はほぼ無くなった。とか、ほとんどの瓦礫は撤去されたとか)

・震災からの5ヶ月間、最大1300人弱の人数を擁した避難所を、その場でなし崩し的に組織された素人集団が特段大きな事故も無く切り回せたのは、ひとえに皆様方のご支援あってこその事だと思います。本当にありがとうございました。

・本当は言っちゃいけないことだと思いますが、双葉町の住民がさいたまスーパーアリーナへ移るとき、清々とした顔で移る姿を見て、なんだったのかと。確かに川俣町では何もしてあげられませんでしたが、避難所になった川俣町体育館には大量のゴミや、生きた犬などが放置状態。

・我が家ではデカイおにぎり見ると「自衛隊のおにぎりはほんっっっとに大きかったよね!」と、避難所で自衛隊のみなさんがにぎってくれたおにぎりの話を100%します。ありがたかったな。

・避難所だったけど、先日撤去。不要になった生活物資を地元の30才くらいの兄ちゃんと片付けていた。その兄ちゃんの話。「一人二人じゃなく、みんな家族を失って、だから明るく乗り切らなきゃな。俺の親父も流されたけど。会社も流されて無職。でも娘を育てるためにがんばらなきゃな」

・高校野球はベスト4が出そろい最終盤へ。2回戦で敗れた聖光学院には、「避難所の方々と同じ気持ちでいたい」と宿舎のエアコンを切ってすごす選手がいたと後で聞きました。目標は遠かったですが、そんな姿を甲子園はきっと忘れません。



・これだけニュース。これは私がよく言ってることと似てる
 復興「神戸みたいになれるのかな」 宮城の中学生が「阪神」被災地へ



地震…でもないけど、原発…でもないけど、核つながり(?)でこっちのブログ向きかなと。


映像は、全世界でどれだけ核実験がおこなわれていたかというのを
視覚的に表現したものです。

2053回の実験がおこなわれていますが、
2000回とかいわれてもピンとこないはず。

でもこれを見ると、
正直ちょっと恐怖を覚えます。

いや映像がグロとかじゃなくてね、回数がね。

映像の最初の方はゆっくりしすぎててイラッとくる人もいるみたいですが、
途中からガンガン増えるマークに驚きます。

しかも1960年前半までは大気圏内(つまり地上)で核爆発を起こしていたんです。
そりゃもうものすごい量の放射性物質が撒き散らされていたわけです。

1996年に包括的核実験禁止条約が締結され、一応1998年が最後となっています(なんかこれ社会か何かで習った気がするわ~)

ですがもちろん、非公式で実験してるとこは入ってないので、実際にはもっともっと多いはず。





ちなみにこれ、某美術大学の学生さんの卒業制作です。パネェ。


梱包したあとに写真とってなかったことに気づいたので、

ちょっとわかりにくいですがあせ


14日までにあずかっていたものたちは、全て被災地へと発送されました~!


ありがとうございました!


今は次回分用に、自分でちくちくしたり書き書きしたりしてますsei