それはレイトンがルークと出会うずっと前。
まだ彼が大学生で、あらゆるナゾを解く勇姿がロンドンタイムズを賑わせる前のお話。
ある秋の午後。
何時ものように卒業論文のための文献に目を通している時の事だった。
アパートの廊下を早足で踵を鳴らす足音が響き、止まるや否や慌しくドアがノックされた。
レイトンには聞き覚えのある懐かしい音。
「開いているよ、ニック」
「さすがグレッセンヘラーのホームズ。良く判ったな」
にこやかにドアを開けるのはレイトンの幼馴染のニコール・アレキサンドラだった。
「からかうのはやめてくれないか」
「からかってなどいないさ。事実、大学ではそう呼ばれているのだろう?」
「私の耳には、入ってきてはいないけどね」
そう云って微笑むと、レイトンはニコールを部屋へ招いた。
数年ぶりに訪れたレイトンの部屋だったが、化石やレコードが少し増えていたものの、ニコールが以前訪れた時と殆ど変わってはいなかった。
ニコールは中に入らず、部屋を懐かしむように見渡した。
「しかし・・・エリックは相変わらず勉強熱心なようだね」
「ニック、君は何時講義に出るつもりだい?」
「僕は狭い校舎の中よりも、外に出ている方が勉強になる」
「また留年してしまうよ」
「そんな事はどうでも良い事さ。大体、グレッセンヘラーに籍を置いたのも、調査の為の肩書きが欲しかったからだけなのだから」
「実に君らしい」
ニコールはドアの中に入る前にズボンの埃を叩き、帽子をとってソファーに腰掛けた。
「話を聞こうか」
「その前に、是を」
ニコールが差し出した小さな紙袋の中には、アジア風の缶に入った紅茶の葉だった。
「察するに・・・アッサムかい?」
「ああ。今発掘している遺跡の傍で良い茶葉を見つけてね。土産には良いだろう?」
「と、云う事は・・・今は」
「アシュ・ラーの遺跡調査をしている」
缶を開け、ポットに茶葉を入れ、湯を注ぐ。
たちまち部屋はアッサムの芳醇な香りで満たされた。
「素晴しい茶葉だ」
「シーズンだと云うだけじゃない。その茶葉を売っている店は歴史もあれば由緒もある」
「此処までの状態を維持しながら、と云うのは大変だったのでは?」
「美味しいものを届けるのに手間を惜しんでいては、折角の良品も台無しになってしまう。訳無いさ」
カップに注がれたアッサムは鮮やかな色を放ち、少し傾いた日差しを受け見事なまでに輝いていた。
砂糖もミルクもいれず、まずは香りと本来の味を楽しむ。
口に広がるその深い味わいは、英国中を捜し求めても手に入れる事が容易ではないものだと簡単に想像させた。
レイトンは満足そうに余韻を楽しみ、その表情にニコールは目を細め、カップを口に運んだ。
「まさか、是だけの理由で此処に来た訳ではないだろう?」
「うん?」
「君と私との中だ。今までの行動パターンから云っても・・・「違う意味で」何も持たずに来た訳じゃないのだろう?」
「脱帽だよ、エリック。君が何時、僕が来た理由に疑問を持つか内心試していたんだ」
「この紅茶で?」
「そう」
そう云うとニコールは白いハンカチに丁寧に包まれた指輪をレイトンの前に差し出した。
「エリック。君は是をどう見る?」
レイトンはふむ、と顎に手をやると少しの時間考えた。
「・・・アシュ・ラーの時代にはそぐわない指輪だ。この石は・・・アメジストか」
「と、思うだろう?」
「違うのかい?」
ニコールはレイトンの手を取り、指輪の角度を少し傾けた。
すると今まで紫色に輝いていたその石は、虹色を経て緑へと色を変えた。
「是は?」
「ああ。その角度だと緑になり、反対に傾けると紅色になる」
「ただの石ではない、と云う事か。ガラス細工・・・と云う訳でもなさそうだね」
「知り合いの化学者に見てもらったんだが、どうやら放射線で加工したものではないかと」
「放射線?アシュ・ラーの時代に?」
「ああ。しかも・・・石の中を良く見て欲しい」
レイトンはレンズを通して石の中を覗いた。
「是は・・・英国王室の紋章・・・」
「そう」
「しかしこの石を見る限り、誰かが手を加えたようには見えないのだが」
「紋章は石の中に刻まれている。誰かが石を半分にし、その後紋章を彫って元に戻す・・・と云うような細工はされていないんだ」
「この紋章を形成する「何か」を核に結晶化されたもの、と云う訳でもないようだね」
「その通り」
「アシュ・ラーの時代に・・・此処までの技術があったのか」
「そう思いたいだろうが、その指輪とアシュ・ラーから発掘された出土物とは明らかに時代が違う」
「白金はそう簡単に酸化しないだろう」
「白金ではないんだよ」
「え?」
「銀だ。しかも純度はかなり低い」
「細かい傷は微かに確認出来るが、他に目立った傷は見当たらない。後から埋葬したと考えた方が自然ではないかい?」
「確かにその方が説明も容易い。しかし」
「遺跡に人為的な発掘の跡は無い、と云ったところか」
背凭れに身体を預けると、レイトンは瞼を閉じた。
「だから遺跡調査は面白い、と云いたいところだが・・・どうやらアシュ・ラーの遺跡には、私達が思っているものとは違う何かが潜んでいそうだね」
「時にエルシャール」
ニコールはレイトンの方へ向き直し真っ直ぐと見詰めた。
「判っている。君が私を「エルシャール」と呼ぶ時は自分の力だけじゃどうしようもなくなり行き詰った時のみ。直ぐに出掛けるとしよう」
そう云うと、レイトンは身の回りの物を適当にトランクに詰め襟を正した。
「行こう、ニコール。アシュ・ラーへ」