英国を離れてから数日が経っていた。
しかし遙かアシュ・ラーの遺跡のある印度まではまだ半分も来ていない。
然程長旅をした事の無いレイトンだったが、論文に目を通しながら穏やかに揺れる船旅を楽しんでいた。
「随分熱心に読んでいるな」
「ああ、以前シュレーダー先生が学会で発表したアシュ・ラーの論文さ。何も知らないまま遺跡に入るのは、些か失礼な気がしてね」
「頭が下がるよ、エリック」
「当然さ」
アシュ・ラー。
其処は、古くはヒンドゥー文明の流れを受けて繁栄していた王国で、今の印度に程近い場所に存在していた。
国王は代々「神の子」として、ブラーフマナによって「神から選ばれた印」を施された子供が王位につき国を治めていて、争いや災い、そして犯罪ですら起こらぬ平和な国だった。
他国から侵略されそうになっても国王の慈悲と神から受けた恩恵を分け与える事によって争いを避け、侵略しようとした国とも友好関係を築き、王国は益々繁栄していった。
しかし、そんな平和な王国も永くは続かなかった。
ブラーフマナの神からの啓示に疑問を持ったものが、「自らが神であり、今まで「神の子」と呼ばれた者は全て偽りである」と立ち上がった。
「我はブラフマーである」
悪に唆された男の雄弁にすっかり魅了された国民は国王を暗殺、その家族までをも滅ぼした。
それを知ったシヴァ神は自らをブラフマーと叫んだ男を「その男は神を愚弄し神の子を殺した反逆者であり、神への謀反を行った者である」と怒りの雷で永遠の劫火の奈落へ堕とし、惑わされたアシュ・ラーの国民達は疫病に苦しんだ末、輪廻も許されぬまま死滅。王国は滅亡した。
アシュ・ラーの遺跡は今も神聖な場所、歴代の王が眠る場所として訪れる人が後を絶たない。
「単なる神話や昔話から生まれた墓、と云うだけではなく、実在した王国の跡と云うのが多くの人を惹き付けて止まない理由なんだろうね」
「出土品も面白いものが多い。元のヒンドゥー教とも他の宗教のものとも違う独自の形状をしていてね」
「ならあの指輪が出土してもおかしくはないようだが?」
「確かに、ただの紫色の石が付いたシルバーリング、と云うのなら別に珍しくも何とも無いさ。だけど覚えているだろう?放射線で加工された得体の知れない石、そしてその中にどうやって施されたか判らない王室の紋章。いくら印度と英国に国交があるとは云え、繋げるのには些か無理があるとは思わないかい?」
「ふむ」
「おいおいエリック・・・」
「ああ、判ってはいるんだ。しかし、どうしてもその遺跡に他者が介入したような気がしてならないんだ」
「もし仮にそうであったとしたら、発掘調査の時に土の異変で判るさ」
「確かに。其処に気付かないような程、勉強を疎かにしているとは思っていないよ」
レイトンは静かに目を閉じた。
何とか時代の符合点を見出せないものかと思考を巡らせてはみたものの、その答えは欠片すら出てこなかった。
何かが胸に引っ掛かる。
その「何か」が判れば・・・このナゾの糸はするりと一本の答えとなる筈なのだが・・・まだ、ナゾを解く鍵が足りない。
「急いては事を仕損じる、と云う言葉を知らない訳じゃないだろう?エリック」
「ああ、そうだな」
「気晴らしに紅茶でも飲まないか?」
「ふむ。まだ日はあるし、船の上で何も見ずに思考を巡らせても煮詰まる一方のようだしね」
「そうさ。まだエリックには見せていないものも沢山あるし、残してきた仲間が何か新しい物を見つけているかもしれない」
「それは楽しみだな」
「英国紳士たるもの、一つの物から答えを一方的に見付けるのは得策ではないとは思わないかい?」
「コースディナーを楽しむように味わうと云うのも悪くはないね」
レイトンが視線を海に向けると、太陽が徐々に海へと還っていく途中。
そのオレンジ色の光を受けた雲の群れと海のコントラストはとても美しかった。
「夕陽も、気を急う必要は無いと云っているみたいじゃないかい?」
「ああ。私らしくなかったね、ニック」
フッと溜め息を吐いた。
「気持ちは判るさ。しかし、何で僕が態々船で印度へ向かっているのか・・・其処を察して欲しかったな」
「・・・そうか」
「エリック、君は頭の回転が速いから直ぐに遺跡で何が起きたのか判ってしまうだろう。だけど、何でも速く解決する事が良い事だとは限らない。違うかい?」
「確かに。早く解決するに越した事は無いが・・・それでは今まで必死に考え抜いて答えに辿り着かなかった先人に対して、失礼に値するかもしれないね」
「それに」
「うん?」
「最近君は、アパートから一歩も外に出ていなかったと聞いているが?」
「誰からそんな事を」
「将来有望なエルシャール・レイトンの話は、どんなに遠く離れていても耳に届くのさ」
「まさか、其れを気遣っての作り話と云う訳ではないのだろうね」
「おいおい、僕だってそんなに暇ではないさ」
「そうだな。君の話も聞いていない訳じゃないからね」
「悪い話じゃなければ良いのだが」
「聞かれては拙いような事でもしでかしたのかい?」
「とんでもない。確かに講義にも出ず、とても優秀とは云えない学生だとしても、人様に顔向け出来ないような事をする人間だと思っているのかい?」
「まさか。私の古くからの友人だ。ニックの事は、誰よりも判っているつもりさ」
「光栄だね」
ニコールはそんな風に云ってくれるレイトンを誇りに思った。
幼少の時代から一緒に育ってきたレイトンとニコール。
昔から不思議な事が大好きだった二人は、自ずと進む道も同じになった。
ただ違う事は、ニコールは学術や単位などには全く興味を持たず、たまたま目にした文献が面白ければ誰に何を告げるとも無く飛び出し、
レイトンは歴史的背景や他者の意見も聞き入れながら熟考していき、答えを導き出したり、歴史的産物の調査をしたりしていた。
本来ならニコールもレイトン同様卒業論文を提出しなければならない時期ではあるのだが、如何せん講義にも出席していなければ、自分が調査した遺跡のレポートを提出するでもなかった。
学年が上がるにつれ、段々顔を合わす事もお互いの家に行く事も無くなっていた二人だったが、友情と云うものはそう簡単に無くなるようなものではない。
ニコールは改めてその事に気付いた。
きっとこの先、何があろうともレイトンとの友情は無くならないだろう、とも。
「そう云えば」
「うん?」
「君は私の所に来た時に、私を「グレッセンヘラーのホームズ」と云ってくれたね」
「どんな情報でも記憶しているんだな。さすがだ」
「うん。今君と話をしていて思ったんだが、もし私がホームズなら、君は優秀なワトソン、と云ったところになるのだろうか」
「ふむ、悪くは無いね。如何に優秀な探偵も、優秀な助手の見付けたヒントを理解出来なければ事件は全て迷宮入りだ」
「その通りだ。そして間違った方向へ向かうのをすんでで止めて正しい道へと戻してくれる」
「友人の精神状態の変化や行き詰った様子を見逃すような事は、僕と君に関して云えば有り得ない事さ」
「優秀な友人でもある訳だね、君は」
ニコールはレイトンの手を取り、椅子から立ち上がらせた。
「少し早いが、ディナーにしよう」
「オンとオフはきっちり区切れ。君は何時もそう云っていたね」
「実際、僕もエリックも・・・出来た例が無いんだけどね」
「熱中し過ぎてしまっては必要な情報も見逃してしまう恐れがある」
「つまり、根を詰めてはいけない、余裕を持たなくてはいけない・・・と云う事さ」
「まだまだ修行が足りないと云った所かな」
「風も冷たくなってきた。身体を壊してはアシュ・ラーに申し訳が無い」
二人は上着の襟を立てて船内に入り、閑話休題、とする事にした。
レイトンは未だ見ぬアシュ・ラーに思いを馳せ、ゆっくりとディナーを味わった。