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ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 先日発表のあった「ジェンダーギャップ指数」なるものがどれだけその国の男女格差の実態を反映しているのかはよくわからないが、日本は世界148カ国中118位、先進7か国のうちでは最下位という順位については、まあそんなところだろうという感想を持つ。女性の国会議員や閣僚、管理職などが少ないからもっと増やす努力を、という議論がよくなされるが、そんな小手先の人数合わせでは日本に根づく男女格差は是正されないだろう。もっと根っこのところから日本の性差別社会に向き合うべきだと私は思う。はっきり言うと、刑法に堕胎罪が存在する国にジェンダーギャップ指数も何もないだろうと思うわけである。「0」=完全不平等と「1」=完全平等の間で、日本のスコアは0.666なのだが、堕胎罪のある国としては高すぎるのではいか、「0」でいいのではないかと思う。0.666なる数値は、堕胎罪という現実を前にしては何の意味もなさない。経済・政治・健康・教育の各分野で指数を算出する以前の問題が日本には存在するのである。

 

妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、1年以下の拘禁刑に処する

 

 刑法212条の条文である。1907年から現在に至るまで、日本の刑法にはこの堕胎罪が存在し続ける。この現実に真剣に向き合うべきだと私は言いたいのである。すなわち、日本では人工妊娠中絶は刑事罰の対象であるが、特定の条件下では中絶を行える。その条件を定めたのが旧優生保護法であるが、1996年に、その条件の一つであった優生条項(障害者への強制不妊手術を認める条項)を削除して母体保護法に改正された。しかしながら、その母体保護法によれば、配偶者(男性)が認めない限り中絶はできないことになっている。この法律は現在も運用され続けている。

 

 つまり、男性が同意すれば母体保護法によって中絶は処罰されないが、女性一人の意思で堕胎すれば刑法で罰せられる、ということである。これほどの男女不平等があるだろうか。だからジェンダーギャップ指数は「0」でいいのではないかと先ほど書いたわけである。

 

 優生保護法は「産む自由」を奪ったが、母体保護法は「産まない自由」を制限した。この地続きの構造を見落としてはならない。女性の健康・権利という観点から見て、母体保護法は優生保護法からの「改正」でも「前進」でもないのだ。優生保護法から優生条項を削除して成立した母体保護法の本質は、女性の身体や権利の保護ではなく、「産むことの強制」という点にある。まさに「産めよ殖やせよ」を趣旨とする母体保護法は、「リプロダクティブ・ヘルス/ライト(性と生殖に関する健康と権利)」を決定的に侵害する。だから母体保護法14条の「配偶者同意要件」は直ちに撤廃すべきだし、刑法堕胎罪は即刻廃止すべきなのである。

 

 実は堕胎罪や中絶について、前にも以上のような趣旨のことを何度か書いたことがあるのだが、今日改めて書いたのは、その堕胎罪や母体保護法をテーマにしたアート作品をネット上で見たからである。本当にアートはリアルよりリアルだと思った。現実を穿つ力がある。これらの作品が出品されたのは「「元始女性は太陽だった」のか?」という展覧会で、実際に見に行ったわけではないのだが、写真をチラ見しただけでも刺激的で、日本の性差別社会を根源的に告発する美しい迫力を感じた。実物を見て感じたかったが、一昨日終了し、私はちょっと遠くて行けなかった。

 

  

  

 

 私たちはあまりにも歴史を知らなすぎる。世界を知らなすぎる。だから今、私たちが立っている現在地がわからない。私たちは、女性には健康な子を産み育ててこそ価値があると見なし、女性の健康と権利を侵害する腐った社会に生きていることに気づかない。アートは、堕胎罪という私たちの歴史的現在地を照らし出す…