「昭和は終わった」というイデオロギー操作 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 6月3日午前からメディアはN氏死去の報道一色で、もううんざりな感じがするのだが、問題はN氏の「神格化」という点にある。その何が問題であるかを、今日は縷々書いていく。

 

 現状、N氏に関して一切批判を許さないムードが作り上げられ、誰もがN氏の熱烈なファンであるかのように国民総動員でN氏の死を悼み、在りし日のN氏の姿を懐かしんでいる。このあまりにも異常な状況を、異常と感じない私たちがいる。私たちは政治には無関心で、見るべき現実からは目を逸らす。その一方で、差しさわりのない、どうもでもいい話題に関心と感情が集中する。ここには、私たちの国民性というか、日本人の思考停止気質がよく表れている。既視感はあるだろう。

 

 こういう状況が権力者による思想統制にとって都合が良いことは言うまでもない。N氏のこと以外に何も見えなくなっている人々は、それがすなわち全体主義的統制であることに気づかない。私が特に問題だと思ったのは、各種メディアやマスコミがN氏を「高度経済成長」や「昭和」を象徴する人物として祀り上げていることだ。そしてN氏の死によって「昭和という時代は終わった」という評価を下す。N氏を昭和の日本を代表するヒーローとして語ることによって、「高度経済成長」の闇も、「昭和」の戦争もなかったことにされる。そこに「昭和100年」という祝賀ムードが重なり、「何はともあれ昭和は良かった」という、無根拠で無責任な言説とムードが共有され浸透する。

 

 本当にN氏の死で「昭和は終わった」と言ってよいだろうか。冒頭でN氏の「神格化」と書いたが、重要なポイントは、そのことによって昭和天皇の戦争責任がさらに遠ざけられ、追及するに値しない問題として片づけられているという点である。N氏を天皇に代替する重要人物と見なし、昭和のヒーローとして描けば描くほど、昭和天皇の戦争責任は忘れられ、問われなくなる。N氏の死によって「昭和は終わった」とする言説は、昭和天皇の戦争責任を隠蔽し回避するための悪質なイデオロギー操作と言わざるを得ない。

 

 昭和天皇の戦争責任を明らかにするまで、昭和は終わらない。昭和天皇の戦争責任は問われ続けなければならないのだ。にもかかわらず、N氏を昭和時代と結びつけて懐かしがり美化することで昭和天皇を免罪しているわけである。N氏が天覧試合でサヨナラホームランを打ったことが伝説として語られるが、まだ天皇や天皇制に対する批判や不信、反感が強かった当時、本来なら天覧試合に反対して欠場する選手が出ても不思議ではなかったし、本当にN氏が戦後庶民のヒーローであるなら、あの試合は辞退して然るべきだった。

 

 恥ずかしい話だが私は現役時代のN氏を中日球場(現ナゴヤ球場)で生で見たことがある。父親に「王と長嶋は一度は見ておいた方がいい」という訳のわからない理屈で見に行かされたのだった。当時は「王と長嶋」は地域を超えて国民的なヒーローだった。そういう時代だった。だが、それから10年以上たった中曽根内閣発足の日、私はテレビでN氏を観た。当時、N氏はすでに巨人の監督を解任されていたが、その日の朝、中曽根首相の自宅を訪れて祝福と激励の言葉をかけていた。その光景を見て、私はN氏も結局はあっち側の人なんだな、と確信した。「あっち側」とは権力側であり、体制側であり、自民党右派であり、「戦後政治の総決算」イデオロギーであり、読売系であり、原発推進派であり、資本側であり、富裕層であり、勝ち組であり、新自由主義陣営である。

 

 個人が発信しているSNS上は分からないが、テレビやネットなどを見る限り、著名な評論家や知識人でN氏を批判的に語っている人は皆無だ。私が今日ここで強く訴えたいのは、N氏の死によって昭和を終わらせてはならないということである。昭和を象徴し代表するのはN氏でも誰でもない、昭和天皇その人だ。その昭和天皇の戦争責任を問うことなしに昭和を終わりにできるはずがない。

 

 沖縄在住の芥川賞作家・目取真俊が「昭和天皇の戦争責任を問い続けること」と題するブログ記事を5日にアップしていた。そこでは、沖縄戦でひめゆり学徒を率いた教師・仲宗根政善さんの日記が引用されている。昭和天皇の「即位50年」記念行事が行われる前日の日記である。

 

 かくもむごたらしく死んで行った真実をいやでも、直視しなければならない一人として死をえらんだものはなく、すべてが死においつめられて行ったのである。のがれようとしてものがれることの出来ない死魔が生徒たちを追い立てたのである。

 「勝利の日まで」を歌い、自らを鼓舞したことは事実である。一体誰が、あの幻想を抱かせたのだ。教育者をはじめ、国民のすべてが、彼らの死のまえにざんげしなければならない。兵隊は上官の命に従ったばかりだという。上官は天皇の命に奉じたのだという。陛下の命令によって動いた日本の軍隊の責任はだれがとるというのだ。一体誰か。無責任体制の責任ではないのか。もとより、直接引率した教師の責任も重い。しかし、もっと責任の重いのは一体、誰なのか。これを明らかにすることなく、再び、時代は、新たに過去のわだちの上へとはしりつづけようとしている

(『ひめゆりと生きて 仲宗根政善日記』琉球新報社p.186~p.187より)

 

 

 沖縄戦と戦後の米軍による沖縄統治を振り返るならば、昭和天皇の責任を問わないわけにはいかない。1945年2月、近衛文麿が終戦を具申した「近衛上奏」を天皇が拒否したことが沖縄戦の犠牲を生んだ。沖縄戦は「本土決戦」準備のための時間稼ぎとして「玉砕」=全滅を前提に戦われ、沖縄は「捨て石」にされたのである。国体護持=天皇制固守のために沖縄の住民は日米両軍によって殺されたのだ。そして1947年9月、米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた「天皇メッセージ」は、27年間にわたる苛酷な米軍統治と基地負担を沖縄に強いた。

 

 戦中と戦後の二度にわたって沖縄に対して重い責任を負っている天皇は、敗戦後、米国の思惑によって日本国の「象徴」と位置づけられ、64年間もその地位にあり続けた。そして先日は、その子孫が戦後80年の戦没者慰霊のためとして沖縄を訪れた。昭和天皇の戦争責任を不問に付したまま、どの面下げて沖縄戦の戦死者を慰霊するというのか。現天皇による沖縄「慰霊の旅」というのも、N氏の神格化=疑似天皇化と同様に、昭和天皇の戦争責任を隠蔽するイデオロギー操作の一環と言えよう。

 

 

生徒たちは、最後まで生きたかったのである。巌にかじりついても生きようともがいたのである。一人として、しようとして国家に殉ずることを心からよろこび死んでいったものはいなかった。親を呼び、兄弟をよび、友をよびつづけながら、死んで行ったのである。戦争のむごたらしさをむき出しにして死んだのである。

(同書より)

 

 ひめゆりの生徒たちは、「天皇陛下の命を奉じ、国のためだ」として、むごたらしく死んでいった。その「真実」を直視するならば、戦後、天覧試合でサヨナラホームランを打って活躍したからといって、その選手を英雄視することなどできないはずだ。こうして「真実」から目を逸らし続けた戦後日本社会は、N氏を天皇に代わる国民的ヒーローと位置づけることで天皇の戦争責任を隠蔽し、「新たに過去のわだちの上へとはしりつづけようと」した。

 

 天皇家が沖縄「慰霊の旅」をしようと、N氏を「昭和の象徴」として神格化しようと、昭和は終わらない。昭和天皇の戦争責任は問い続けなければならない…