「暴力と不公正に声をあげつづける」 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 前回記事では,蓮舫バッシングに「迫害群衆」的な動きを見て,日本には自律的に思考し行動する市民ではなく,こういった群衆しかいないことを改めて確認した。群衆的な動きがこの国を悪しき方向へ動かしていることは確かだが,私は日本社会のすべてに絶望しているわけではない。こうした思考停止の群衆の動きに呑み込まれず,暴力や不公正に批判の声を上げる若者が日本にもいることに,私は希望を見出している。今日はそういう若者たちの声を紹介したい。

 

松下 絶望したくなりますけど,絶望したらとんでもない社会になってしまう。

(『地平』p.158)

 

 「コトバの復興」を掲げて今年6月に創刊された雑誌『地平』に,掲題のタイトルで4人の座談会が収録されていた。一人は1960年代生まれの杉原浩司さんで,武器取引反対ネットワーク代表で有名な運動家だが,あとの三人は1990年代後半~2000年代初めの生まれの大学生・院生・作家だ。この若者たちは自分でちゃんと勉強し,思考し,判断して,行動に移している。彼ら・彼女らは迫害群衆には加勢しない。むしろ日本の群衆や空気に抗って,イスラエル軍によるガザ攻撃に反対するデモや集会,署名活動などを積極的に行っている。

 

 日本のマスコミは,アメリカの大学をはじめ海外での抗議行動についてはよく報道し,私たちも周知しているが,日本の大学やイスラエル大使館前での抗議運動についてはほとんど報じない。だから私たちも「日本の若者はおとなしい,動かない」と思い込んでしまう。だが決してそんなことはなくて,この座談会の若者たちのように「パレスチナを生きる人々を想う学生若者有志の会」を作ったり,イスラエルの軍需企業と武器取引をしている伊藤忠商事の本社前でのデモに参加したりして,日本の学生や若者たちもイスラエルへの抗議活動を積極的に行っている。そのことを報じているのは,日本のマスメディアではなく,むしろ海外メディアだったりするのである。

 

 では,彼ら・彼女ら若者は,どういう動機や志でこうした抗議活動に参加しているのだろうか。もちろん人それぞれだが,この座談会の若者のケースを紹介しておきたい。

 

松下 水俣病での石牟礼道子さんのように,いま起きていることを,一〇年でも,二〇年でも追いつづけて,ほんとうに自分の命を賭してでも書きつづけ,記録しなければならないと感じています。 (『地平』p.156)

古瀬 個人的なことですが,どうして自分がパレスチナのことで行動しようと思うようになったのかと考えたとき,私自身の関心として,植民地主義の問題がすごく大きかったです。いまパレスチナで起きている問題は植民地主義の問題だと気づいたとき,もともと私が関心を持ってきた日本軍性奴隷制の問題や沖縄の米軍基地問題などとも結びついて,私自身が動かないといけないと思いました。 (『地平』p.162)

 

 私もライフワークとして石牟礼道子さんの作品は読んできたし,若いころには「植民地主義と経済学」といった研究テーマに取り組んだこともあったので,この若者たちには共感するところが多く,彼ら・彼女らがパレスチナにこだわる気持ちもすごくわかる。彼ら・彼女らに共通しているのはパレスチナ・ガザの問題を自分自身の関心や問題意識と重ね合わせて,自分ごととして考え行動している点である。こういう彼ら・彼女らは,先ほども書いたように決して群衆に埋没しない。蓮舫バッシングに加勢するような迫害群衆にはなり得ない。こういう若者たちがいずれ社会の主流をなしていけば,現在の群衆社会を超えて,自律的な個人による市民社会を作っていけるのではないか,と微かな希望を持つ。

 

 彼ら・彼女らがこの座談会で異口同音に訴えているのは,パレスチナの問題で市民がもっとつながりを広げ,早く停戦を実現したいということだった。植民地主義も含めて,パレスチナは世界のあらゆる矛盾や不公正が集中的に噴き出した場所といえる。だからパレスチナ問題は,他の土地における抑圧や迫害,搾取とつながっている。そのことを可視化し,人々に周知させていくことが言論や運動の役割であろう。パレスチナ問題を世界の被抑圧者やマイノリティなどの市民・人民がまさに自分の問題であると気づき,自分ごととして認識したときはじめて,市民同士のつながりや連帯が社会を動かす力となるはずである。その意味で,若手作家の松下さんがこう述べているのは心強い。

松下 パレスチナに対する不正義を,別のさまざまな抑圧された土地の痛みと接続することが急務だと思います。わたしは人生をかけてそうした仕事をしたいと思っています。書くことによって。 (『地平』p.163)

 

 また,大学生の溝川さんは,イスラエルに抗議する若者たちの怒りの根源を次のような社会のあり様に求めている。つまり,私たちの社会が

占領や虐殺で利益を得られる社会になっている (『地平』p.164)

という点である。イスラエルとの武器取引で莫大な利益を得ている伊藤忠商事はその典型例であるし,さらに日本の防衛省は,パレスチナ住民を虐殺したイスラエルの攻撃型ドローンを「性能が良い」として購入しようとしている。日本の国家も企業も,パレスチナ・ガザでの虐殺に加担する行為に何の倫理的抵抗も感じていない。パレスチナ住民の命や生活よりも,企業利益や国益を優先するという倫理的に倒錯した社会になっているのである。

 

 若者たちはそうした社会に怒っている。その怒りを原動力として抗議行動を行っている。こうした若者たちの運動がもっと同世代の若者たちに広がり,また上の世代の市民運動にもつながっていくことで,この国を「虐殺に加担する国」から「虐殺に抵抗する国」へと変えることができるのではないかと期待する。座談会で杉原さんが強調しているように,伊藤忠商事のイスラエルからの撤退を実現するなど,市民の力は大きい。

 

 その意味では,日本の若者たちの運動はアメリカ各地の大学に広がるパレスチナ支持の運動とつながっている。アメリカの若者たち(Z世代)がパレスチナでのジェノサイドに強く抗議していることは,マスメディアを通じて広く知られている。彼ら・彼女らは自国アメリカが多くの他国民の命を奪い,それどころか自国民の命さえ守れない国であることを経験的に知っている。20年を超える「テロ戦争」と新自由主義政策によってアメリカ社会はズタズタに引き裂かれ,庶民の生活が著しく苦しくなったことを,彼ら・彼女らは骨身にしみてわかっている。こうしたZ世代の経験が,ジェノサイドへの激しい抗議活動につながっていることは容易に想像できよう。

 

 同じ『地平』に掲載されている三牧聖子さんの論考(「ジェノサイドを否定するアメリカ ジェノサイドに抗するアメリカ 」)によれば,アメリカのZ世代は,アメリカが「命を粗末にする国」ではなく,「命を大切にし,命を守る国」であることを求めている。三牧さんは,このようなアメリカの若者たちに期待を寄せる。

 

二〇二四年大統領選で,Z世代とその上のミレニアル世代(一九八〇~一九九〇年半ばくらいに生まれた世代)の有権者数を合計すると,その上の有権者の合計とほぼ匹敵する。命を守れと訴え,ジェノサイドに抗する新しい世代の台頭がアメリカをどう変えていくか。アメリカの変化への希望を捨ててはならない。 (『地平』p.154)

 

 

 雑誌『地平』の座談会を読んで,日本でもジェノサイドに抗議する新しい世代が芽吹いていることを確かに感じた。そこに微かだが変化への希望がある・・・