飯山あかりの選挙ヘイト | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 

 前回記事の最後で取り上げた飯山あかりさんだが,その選挙ヘイトがあまりにも酷くて許し難いので,今回も取り上げることにした。

 

 2016年のヘイトスピーチ解消法の制定以降,露骨なヘイトデモやヘイト街宣は減少傾向にあるようだが,その分,批判を受けにくい狡猾なヘイトスピーチが増えているように見える。象徴的なのが,選挙活動を隠れ蓑にしてヘイトスピーチを拡散する手法だ(選挙ヘイト)。いわばヘイトの「政治化」とも呼べる現象で,「表現の自由」や選挙妨害との絡みでなかなか批判しにくい面がある。だが,「表現の自由」は《差別の自由》ではないことは大前提として認識し,断固抗議すべき事案だろう。

 

 たぶん飯山あかりは今回の衆院補選(東京15区)で当選することは二の次で,選挙活動を通じてヘイトスピーチをまき散らすことを第一の目的としているものと思われる。特に彼女の十八番はイスラモフォビア(イスラム憎悪・恐怖)であり,上の動画ではクルド人に対する差別煽動を,日本保守党の政治活動・選挙活動という建前で執拗に繰り返している。選挙活動であれば「表現の自由」が普段より一層尊重されることを逆手に取って,白昼堂々ヘイトスピーチをやっているわけである。

 

 『ヘイトクライムとは何か』(角川新書)には,在特会の桜井誠元会長が都知事選に出たときのことが詳しく書かれているが,今回の飯山あかりの立候補について考える上で参考になる。

 

 立候補者の発言への批判が選挙妨害とみなされれば,公職選挙法違反となるため,批判を受けにくいことを念頭に置いているとみられる。当選するためではなく,ヘイトスピーチを展開するための選挙戦という性質が強い。

 この都知事選で桜井は落選したものの,投票者の一・七%にあたる一一万票を超える票を獲得した。この結果に手応えを感じたのだろう。桜井は自身が党首となり,排外主義を主張する政治団体「日本第一党」を結成し,二〇一七年の東京都議選から活動を本格化させる。 (同書p.211)

 

 ヘイトスピーチを展開する候補がたとえ落選したとしても,それを支持する人の数が得票数で示されてしまう。それによって,マイノリティーの市民は,打撃を受け,社会に対する信頼感を失う。 (同書p.212)

 

 

 今回の飯山あかりも,まさにヘイトスピーチを展開するために立候補したといっていいだろう。特にクルド人をはじめムスリムを日本社会から排除・追放するための宣伝戦,思想戦を彼女は選挙を通じて私たちに仕掛けてきているのである。

 

 「この国は日本人のもの」であることを殊更強調したり,イスラームに対する憎しみや恐怖を煽ったりする演説は,聞く者の自己肯定感や優越感を刺激して,ウケはよいのかもしれない。だが,どんなに聞き心地はよくても,その根っこに差別と排除がある限り,多様性のある社会を築くことはできないだろう。飯山のような選挙ヘイトを黙認・放置するならば,群衆を巻き込んで排他的で暴力を容認する社会に向かっていくに違いない。差別の煽動は暴力の容認,さらには大量虐殺(ジェノサイド)へと連動していくからだ。

 

 選挙ヘイトについては,安田菜津紀さんが次のように述べている。実体験としてヘイトスピーチの被害を受けてきた人だけに,言葉に重みがある。

 

この社会はすでに多様であり,複数のルーツを持つ人や,日本国籍を有していないことによって,投票による意思表示ができない人々も共に生きている。ヘイトの矛先は執拗にそうした人々に向けられ,大音量でまき散らされる凶器のような言葉は,日ごろ利用する駅前や生活空間まで容赦なく追いかけてくる。何度でも言おう。「言論の自由」は「差別の自由」ではない。この国は選挙を「抜け道」扱いするヘイトを,いつまで放置するのか。

 

 飯山のヘイトスピーチを聞いていると,まさに言葉は凶器であることを実感するわけである。安田さんが問いかけるように,この国はこういう選挙を抜け道にしたヘイトスピーチをいつまで放置し続けるつもりなのか。直ちに規制してやめさせるべきだろう。選挙運動であろうが政治的意見であろうが,特定の属性の人々の尊厳を傷つけ,差別を煽動する演説はヘイトスピーチにほかならない。刑事規制できるように法改正すべきだ。先にも述べた通り,差別を黙認する社会は暴力を容認する社会と地続きだ。ヘイトスピーチは容易にヘイトクライムにつながり,その先には戦争とジェノサイドが待っている。そのことを私たちは歴史から痛いほど学んできたはずだ。だから,飯山あかりと日本保守党を野放しにしてはいけないのである。

 

 私は何年も前から飯山あかりのイスラモフォビアを批判してきたが,今回の立候補と選挙ヘイトを許してしまったことは,無名ゆえの力不足を思わざるを得ない。と同時に,この国の「対抗言論」の弱さも感じる。有力政治家や言論リーダーがもっとヘイトスピーチを「許さない」と発信することが,法律や条例の整備とともに必要であろう。

 

 安田さんにならって,私も何度でも言おう――

 「表現の自由」は「差別の自由」ではない!

 飯山あかりのイスラモフォビアを許すな!選挙ヘイトを許すな!