肩が痛くて眠れない夜に考えた~れいわの金融政策は間違い~ | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 肩が痛くて集中できないので,とりあえず言いたいことを書き殴っていきます。

 

 

 日銀のマイナス金利解除を受けて,れいわ新選組が上のような声明を出したわけだけど,私はこれには反対意見を持つ。私は積極財政をはじめ,基本的にれいわの政策を支持しているが,れいわがアベノミクスの大規模緩和を支持していることには反対してきた。「ひも理論」を持ち出すまでもなく,金融緩和には景気を引き上げる効果はないし,むしろ経済格差を拡大させるだけだからだ。アベノミクス=黒田バズーカ以降,この十年余りの経済社会状況を見れば,そのことははっきりした。金融緩和で景気は良くならない,大規模緩和は全く意味がなかった,副作用が大きすぎた――これが結論。

 

 そういう金融緩和をれいわが支持しているのがよくわからないわけである。おそらく金融緩和を積極財政の一手段と見て,ケインズ政策と勘違いしているのだろう。だが,経済思想史的に見れば,量的緩和政策というのは,ケインズ主義とは対立するマネタリズムの発想なのだ。貨幣を単なる交換手段と見なす貨幣数量説に立って,社会に流通するお金を増やせば景気が良くなると能天気に考える。そんなに単純にうまく行くはずがない。お金は社会に均等には渡らず,特定の経済組織や社会階層に集中する。その結果として大企業に内部留保と好業績をもたらし,株価上昇で投資家・富裕層を潤した。その一方で,物価高と賃金低迷で庶民の生活はますます苦しくなった。賃上げ率5%超は大企業労働者だけの話。労働者の間でも格差と分断はますます深まっている。

 

 前にも書いたように,これがアベノミクス=異次元緩和の終着駅なのである。生活保護申請は過去最多となり,各地でNPOが主催する炊き出しには多くの人が列をなす。ジャーナリストの田中龍作さんの記事によると,賞味期限切れの食品を売っている激安スーパーが盛況なのだという。貧乏人は「残飯を食え」という社会的要請なのだろう。こんな状況で物価と賃金の好循環とかデフレ脱却など実現できるわけがないだろう。経済の実態を知るには,表に現れるデータの背後に隠れた事実をとらえることが重要だ。

 

 田中さんは,このように貧困に苦しむ人たちを「自民党政治の犠牲者」と書いていたが,私はそれと同時に「アベノミクス=黒田バズーカの犠牲者」ではないかと思う。この十余年の壮大な社会実験はあまりにも弊害と犠牲が大きかった。ウクライナ戦争による資源高以外には物価上昇は起こらず,「トリクルダウン」なる甘言に乗せられて庶民は残飯を食わされるまでに窮乏した。

 

 経済を資本のなすがままに任せれば,貧富の差は拡大し,労働者は窮乏化するというのは資本主義経済の鉄則だ。この資本主義の暴走にブレーキをかけるのが国家の役割のはずだが,日本の国家はその役割を放棄し,むしろ資本と結託して労働者の搾取に加勢している。今日のようにグローバルに金融化した資本主義の中で金融緩和を行えば,資本主義は加速度を早め,資本はますます強欲化していく。そうなれば,格差や貧困が絶望的に広がるのは自然の成り行きだ。こういう異形の加速主義的な金融政策は一刻も早く修正し,終わりにしなければならない。れいわが日銀のマイナス金利解除に反対し,金融緩和の継続を主張しているのが私には納得がいかないのである。

 

 異次元緩和によって経済格差は異次元に拡大し,社会は底が抜けつつある。この経済社会状況を修正し,立て直していくためには,金融緩和を迂回しない積極財政で行くしかないと私は考えている。その点では消費税廃止,ガソリン税ゼロ,社会保険料軽減,現金給付,減税,最低賃金1500円,平和外交・軍事費削減,教育無償化・奨学金チャラといった れいわの政策は圧倒的に正しい。日本の「空気」に抗う姿勢も良い。私も近所の空気に抗って,玄関にポスターを貼っておいた…