塚原久美『日本の中絶』(ちくま新書) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 米国では中絶問題が先日行われた中間選挙を左右する争点となり,国論を二分するほどの政治イシューになっている。一方,日本では米国のように大きな政治問題とはなっていないが,中絶をめぐって日本の女性たちは米国よりもずっと酷い状況に置かれているように思える。これは掲題の本を読んでの感想なのだが,私は日本の中絶をめぐる問題についてあまりにも知らなさすぎた。そのことを率直に反省している。

 

 本書では安全な中絶を選択する権利を人権ととらえ,世界各国と比べて日本ではそうした女性の人権が踏みにじられていると訴える。日本でも中絶問題を女性差別の文脈でとらえ、批判の声を上げていかなければならないと痛切に感じたわけである。

 

 本書で明らかにされているように,中絶をめぐる世界の動向や歴史的な経緯を踏まえて考えると,日本の取り組みがいかに後れていて,女性がいかに酷い人権侵害的状況に置かれているかがわかる。各種調査でも日本人の人権意識の低さについてはよく指摘されることだが,例えばジェンダー・ギャップ指数では日本は156カ国中120位で,先進諸国では最下位,アセアン諸国の中で見ても最低ランクであった(2021年)。中絶をめぐる日本の状況を知れば,そういう調査結果にも納得がいく。

 

 まさに中絶問題というのは人権問題なのだ。そうであれば,女性だけでなく,誰もが関心を持って向き合うべき課題であろう。私は,中絶をめぐる女性の苦しみや痛みを本当の意味で共有することはできないかもしれない。しかし,それを前提にしても,できること,すべきことはあるはずだ。中絶問題をめぐる人権侵害や女性差別というのは,私のように無関心だった男性を中心とする人々が問題を放置してきた結果である。その意味で私たちの方が当事者なのだ。男性であっても中絶問題に関心を持ち,女性が置かれている非人権的な状況を改善していくために声を上げていくことはできるはずだ。日本での真の女性解放,男女同権のためにも,安全な中絶の権利を人権として勝ち取らなければならないと強く思った。

 

 特に刑法の堕胎罪は,日本における女性差別の最たるものであろう。家父長制時代の遺物である堕胎罪は140年以上にわたって維持され厳罰化されることによって,今に至っている。日本では今も中絶が犯罪とされているのだ。こういう女性のみに刑罰を科す法律の条文(刑法212条)があるのは明らかに女性差別である。

 

 日本で中絶の罪悪視が強いのは,欧米諸国のようにキリスト教的な倫理観ではなく,女性差別的なイデオロギーに基づいていると筆者は指摘する。すなわち,「胎児の生命・身体」を女性の人生よりも重視するイデオロギーが強く働いているのだという。1970年代に起こった水子供養ブームも,中絶に対するタブー視を強め,中絶は女性の罪だとして女性差別を煽った。また2000年代には安倍晋三と山谷えり子が旗振り役となって「性教育バッシング」「ジェンダーフリー・バッシング」が起こり,女性の権利は大きな揺り戻しを余儀なくされた。こうして日本では中絶の権利という概念が定着しにくい状況が続いてきた。

 

 だが女性差別撤廃条約では女性だけを罰する法を禁じており,すでに堕胎罪の撤廃は世界の主流になっている。アイルランドなどの厳格なカトリック教国でさえ中絶は合法化されている。今や世界では女性の中絶の権利は確立しているのである。

 

中絶の権利は,もはや揺るぎない「人権」なのです。…二〇一七年の国連人権理事会において,これまでも,そしてこれからも「人権」とは「生まれたあとの人間」のみが有するということも確認されました。そうなると,「胎児生命」の保護を理由に女性の人権を制限する日本の刑法堕胎罪は,女性に対する差別であり権利侵害にほかならないことになります。

(塚原久美『日本の中絶』ちくま新書p.142~p.143)

 

 

 

 また,中絶医療に必要な要件として配偶者の同意を今も求めていることも,女性個人による中絶へのアクセスを阻む要因になっている。これも女性差別の表れであり,女性の権利と自立を妨げるもので,世界から大きく後れをとっている。本当に日本という国は,女性の人権を侵害し,女性を犠牲にして成り立ってきた国なのだなと痛感する。

 

 法制度面だけではない。医療面でも女性の身体のことを本当に考えた中絶医療になっているのか疑わしい。今だに日本では中絶手術の過半が,搔爬法という旧式の手術方法で行われているという。すでに世界では第二次中絶革命によって,より安全な吸引法に置き換わっているのに,日本ではなぜか吸引法は広まらず,国際機関も推奨していない搔爬法がいまだに主流となっている。そこには産婦人科医の利害が絡んでいるのではないかと推測される。女性の身体や人生よりも産婦人科医の金銭利益や経営資源が優先されている実態が浮かび上がる。そして今や第三次中絶革命として,経口薬による中絶が全世界で広がりつつある。だが,日本はと言えば,経口中絶薬が未だに承認されていない現状である(現在,承認申請中)。日本ではいまだに「赤ちゃんを搔き出している」というイメージの強い搔爬法に拘り,「中絶は母の罪」という古びた中絶観が広く行き渡っているのである。

 

 さらに私がショックを受けたのは,「自由診療」とはいえ,日本における中絶の料金が世界各国と比べて法外に高くなっている実態である。いわば「中絶ビジネス」とも言うべき現象が起きており,それも女性や少女の中絶へのアクセスを阻む壁となっている。中絶だけでなく,女性の妊娠に関わるすべての医療(出産も月経も避妊も)が,日本では「傷病ではない」という理由づけで保険が効かないために法外な料金になっている。産婦人科医はボロ儲けなのに対して,苦しむのは女性ばかりである。

 

 最近は女性の産婦人科医が増えているようだが,現状で日本の産婦人科医療を牛耳っているのが50代以上の男性であるという事実を踏まえるなら,産婦人科医療には日本の女性差別の典型的な構図が埋め込まれていると言えよう。その証拠に産婦人科医会の会長は,将来認可されるであろう経口中絶薬について,その料金は「従来の中絶手術同様の10万円程度」になると発言している。卸価格700円台の薬が,である。この中絶薬が承認されても,あくまで産婦人科医は女性の人権を蹂躙して暴利を貪ろうとしているのだ。これでは日本で中絶薬が承認されたとしても,女性や少女が中絶にアクセスしにくい状況は変わらず,中絶の権利は保障されないであろう。こういう産婦人科医の好き勝手をさせないように,厚生労働省はもっと規制を強めるべきだ。また,この腐った男性中心の産婦人科の世界に,これからは女性がもっと進出していくことで,女性差別的な状況を変えていってほしいと思う。

 

 さて,本書で筆者が特に重視しているのが,「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利,RHR)」という視点である。日本ではまだあまり馴染みのない言葉だが,中絶の権利を考える上でも非常に重要な概念といえる。この「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」という概念が初めて国際文書に書き込まれたのは,1994年にカイロで開かれた国際人口会議においてだという。これが画期的であったのは,国家管理による人口政策を拒み,個々人の人権の文脈で女性の健康や権利を提唱した点である。カイロ会議で定義されたリプロダクティブ・ライツには次の3つの権利が示されている。

 

① 子どもを産むか産まないか,産むとしたらいつ,どのような間隔で産むかを決定する権利

② ①の決定を実行するための情報と手段を得る権利

③ 性と生殖に関する健康を最大限享受する権利

 

 ①の自由権的な権利と②の社会権的な権利が保障されることで,個人は③の最大限の健康を享受できるようになる。ざっくり言えば,これがリプロダクティブ・ヘルス&ライツの中身である。つまり,この会議の成果文書はリプロダクティブ・ヘルス&ライツが基本的人権として国際的に認められたことを示した国際文書と言えよう。

 

 こういうリプロダクティブ・ヘルス&ライツの観点から,国連レベルでは2010年代後半には自由権規約と社会権規約の双方に「中絶の権利」が書き込まれるようになった。人権規約の中に,リプロダクティブ・ヘルス&ライツという大枠だけでなく,具体的に「中絶の権利」が明記されたことは画期的な意味を持っていると言えよう。安全な中絶へのアクセスは,性と生殖の健康を達成するためにも不可欠だと認識されたのだから。

 

 国際社会に見られるこういうリベラルな姿勢と比べて,日本の女性をめぐる現状はあまりにも前近代的というか,家父長制の時代と思わせるような状況である。女性差別撤廃委員会から,堕胎罪の撤廃や人工妊娠中絶の合法化,配偶者の同意要件を除外することなどを勧告されても,日本政府は言うことを聞こうとしない。また厚生労働省もリプロダクティブ・ヘルス&ライツについてほとんど言及しないし,ましてや中絶の権利については黙殺である。これではリプロダクティブ・ヘルス&ライツの考え方や取り組みが広がるはずもない。本当にこの国では近代国家として恥ずかしい状態が21世紀になっても続いているわけである。

 

 岸田首相は3日に東京で開かれた国際女性会議「WAW!」の開会式で,女性の視点を反映させた政策を推進すると表明し,「産後パパ育休」などの取り組みを紹介したという。女性の視点と言うなら,そういうバカバカしい取り組みよりも前に,もっと日本の女性差別の本質的課題に取り組めよ👊と言いたい。すなわち,女性差別の最たるものと言える,人工妊娠中絶を犯罪とする堕胎罪の撤廃を表明すべきだろう。また搔爬法を前提にした指定医師制度も解体すべきだ!それから,安倍政権時代にバッククラッシュしてしまったリプロダクティブ・ヘルス&ライツの活動に大きな補助をあたえよ。まあ、こうした政策を進めるためには,その前提として、女性を子産み機械か孵化器としか見ていない総務大臣政務官の杉田水脈を即刻更迭する必要がある…

 

世界の趨勢は,妊娠する人自身の価値観と好みに基づいて,本人が求める限り,安全な中絶医療を提供できるように法と医療を整備する方向に向かっています。安全な中絶を選択できることは人権です。国が道を誤ることはあっても,人権は普遍的なものです。アメリカでも,ポーランドでも,日本でも人権は尊重されるべきなのです。

(本書p.232)