堤未果『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 健康保険証の廃止とマイナンバーカードへの統合の話が急に出てきて,国民からは戸惑いや不安,反対の声が多く上がっている。こういう拙速というか強引なデジタル改革,DX化によって,私たちの社会全体はどう変わっていくのか,私たちは一体どこに向かって進んでいるのか,という将来的な全体像を描いておくことが今,必要なのではないかと思う。掲題の堤未果さんの本を読むと,このまま日本でデジタル改革が進めば,どういう未来が待っているかがよくわかる。デジタル日本は凄いことになる。すなわち,デジタル・ファシズムだ!

 

 日本的デジタル・ファシズムで司令塔の役割を果たすのが,昨年発足したデジタル庁である。この行政機関に途轍もない大きな権限と,莫大な予算と,国民のデータが集中することについて,どれだけの国民が危機感を持っているだろうか。

 

 特に未果さんが注意を促すのは,この政府機関で働くIT技術者・管理者などの人材の大部分を民間企業から迎え入れるという点である。しかも企業に籍を残したまま,非常勤公務員として働かせる。そうなれば政府機関と企業との間で利益相反が生まれてくるだろう。すなわち大手IT企業から出向してくる技術者たちが政策決定の場に入れば,自社やその業界に都合の良い政策を誘導するに違いない。彼ら彼女らは,本来の公務員,つまり憲法が定める「全体の奉仕者」ではないからだ。彼ら彼女らは,IT企業という「一部」の奉仕者にすぎないのである。こうした企業側に有利な仕組みによって,巨額の税金が企業に流れていく。

 どれだけ華々しく打ち上げても,デジタル化は方法論にすぎない。そこに,私たちがこの間嫌と言うほど見せられてきた,税金を私物化する「官民癒着の構造」が見えるだろうか。

 まさに今世紀最大級の巨大な権力と利権の館,それがデジタル庁だ。

(堤未果『デジタル・ファシズム』NHK出版新書p.32)

 

 

 

 しかも,デジタル政府において最優先事項とされるべきセキュリティ対策を,日本政府は外国資本に丸投げしようとしている。マイナンバーに統合される日本国民の戸籍・年金・税金・健康保険といった個人情報や,防衛・外交といった国家機密情報が,米中の巨大テック企業を通して米中政府に筒抜けになる。例えば,2020年1月に発効した「日米デジタル貿易協定」によって,外国企業に対し個人情報を管理するサーバー(データ設備)を日本に置けという要求はできなくなった。つまり,この協定は

デジタルを通して私たち日本人の資産をアメリカのグローバル企業に際限なく売り渡す協定

なのだ。すでにアメリカでは「クラウド法」という法律によって,アメリカ政府は米国内に本拠地を置く企業に対し,国外に保存されているデータであっても開示要求ができるようになっている。また中国では,いかなる人民も組織も政府が要求すればすべてのデータを提出しなければならないという「国家情報法」がある。

 

 国家を超えた権力を持つに至った米中ビッグテック企業(米系GAFAMと中国系BATH)が,急いでデジタル化を進めようとしている日本を付け狙っている。新設のデジタル庁に集中するデータは,これらの企業にとっては宝の山に見えるわけである。未果さんは,日本の危ういセキュリティ体制の実態を踏まえて,拙速にデジタル化を進めるべきではないと言っているが,まったくもって同感だ。

今,各国政府が独自のデジタルシステムを構築することに注力する理由がわかるだろうか。焦って外国資本に投げるより,日本では今,安全第一で国産のシステムや,セキュリティ体制の整備が求められている。

(同書p.38)

 

 日本政府がこのように拙速にデジタル化を進める背景には,街を丸ごとデジタル化する「スーパーシティ構想」がある。

スーパーシティ構想」は,大手銀行,石油会社,保険会社にコンサルティング会社,巨大製薬企業群に,GAFAのような米系巨大テック企業群,中国のテクノロジー大手ファーウェイなどがパートナーとなり,投資家たちが熱い期待を寄せる,世界規模のデジタル化プロジェクトだ。

(同書p.39)

 

 この国家プロジェクトを実現するために「改正国家戦略特区法(スーパーシティ法)」という法律が2020年5月,ほんの短い審議であっさり成立した。そのベースには,安倍政権下で制定された「国家戦略特区法」があり,そこにデジタル技術を加えてスーパーシティ法が成立した。この一連の流れを主導したのが,パソナグループ会長でウルトラ新自由主義者の竹中平蔵である。また,同じくウルトラ規制緩和論者の片山さつきも,中国と手を結んでスーパーシティ計画を推進した。片山はスーパーシティに関してこう言っている。

 

「構想実現の一番の障害は『規制』です。日本が大胆な規制緩和さえすれば,世界に先行してスーパーシティを実現できるはずです」

(同書p.41)

 

 このスーパーシティ計画には,さまざまな懸念が指摘されているのだが,その最大の問題は日本の各地から「公共」が消えてなくなってしまうことであろう。片山が言うように,スーパーシティとは,大胆に規制を取っ払って「公共サービス」を極力減らし,企業がデジタル技術を使って自由にビジネスができる「企業天国」を日本各地に作っていくことにほかならない。効率と利潤を闇雲に追求する新自由主義経済と,デジタル技術は実に相性がいい。日本各地に作られていくであろう,市場とデジタルが支配するスーパーシティは,大規模な新自由主義の実験場となる。そこにはもはや「公共」の概念はない。

 そう,スーパーシティは企業天国になる

 どれだけ「市民目線の」などというキャッチフレーズを掲げても,公共サービスでない限り,企業には非常時の最終責任はない。

 だから住民を守るための規制が存在するのだ。

 手続きや縛りが煩わしいからと,デジタルに明るくない自治体首長と国内外のIT企業およびその出向社員に決定権を持たせれば,当然サクサク事は進み,利益も拡大するだろう。

 ビッグデータや5Gなどの新しいデジタル技術は,このプロセスをさらに高速化し,専門外の住民は蚊帳の外になっていく

 (中略)

 利便性とスピードを重視しすぎた先にあるのは,「公共」の概念が消滅する世界だからだ。

(同書p.47~p,48)

 

 本書の中で未果さんは,「公共」が消えた実例として,米ジョージア州フルトン郡から住民投票で独立したサンディ・スプリング市を挙げている。ここは行政サービスを全て民営化した。こういう完全民営自治体に住めるのは年収が平均よりも高い富裕層だけだ。公務員は全て民間企業から派遣され,いわゆる公共サービスも民間企業が効率重視でスピーディに運営される。すべてがビジネスで進められるため,市民にとっては快適この上ない。

 

 だが,である。一度自分が事故で障害者になったり重病になったりして,これまでと同様に働けなくなったらどうなるか。これまでと同じ高収入が得られなくなるわけだから,もうここには住めなくなるだろう。同時に,その街に住む富裕層が少なくなれば,税収も減って,その自治体の運営が苦しくなり,自治体は「倒産」のリスクに晒される。金の切れ目が縁の切れ目。カネが全ての世界――それが行政民営化の本質だ。

 行政が効率とスピード,経済性を重視しすぎた結果,民営化によって公共サービスが崩壊していった

 デジタル政府とはすなわち「民営化の」ハイスピード版」なのだ。

 (中略)

 行政とは,そこに住む人々が幸福に暮らせるよう市民が設置した公権力だ。

 (中略)

 今だけ金だけ自分だけ,とばかりに同じ地域で困っている人を無駄だと切り捨てるサンディ・スプリング市には,明日は我が身だと他者に心を寄せる想像力と,お互い様の精神で手を差し伸べ合う「公共」の概念が抜け落ちている

 スーパーシティがもたらすデジタル生活は魅力的だ。

 だが主役は技術ではなく,あくまでそこに暮らす人々であることを,私たちは思い出さなければならない。

(同書p.50~p.51)

 

 このサンディ・スプリング市の例は,私たちの自治体にとって決して他人事ではないと未果さんは警鐘を鳴らす。自治体の解体,公共部門の民間企業へのアウトソーシング,公務員の削減と非正規化,住民の個人情報保護法の規制緩和,等が,日本各地で進んでいる。スーパーシティも次々と作られていく。竹中平蔵が大好きな,こうした新自由主義政策は,デジタル化の進展によってますます加速していくだろう。

 

 先にも書いたように,拙速な行政のデジタル化は「公共」を消滅させる。「公共」の消滅は,個人の尊厳や権利が守られないことでもある。公共と個人はコインの裏表なのだ。本書は,まさに公共と個人の大切さを説いている。市場原理主義や緊縮財政論が蔓延る現在の日本では,この点はいくら強調してもしすぎることはないだろう。

 そう,福祉や教育や医療など,政府による公共サービスには,デジタル技術や民間業者にはカバーしきれない,人間の力を必要とする領域が確かに存在する。

 なぜならそこには,相手の痛みに心を寄せる想像力や,声をあげたくてもあげられない人々の声をすくい取る,データだけではなく「共感」に動かされる手が必要だからだ。

 アメリカで起きたこれらの例は,「公共サービス」において,業務を合理化する最新テクノロジー以上に大切なことが何であるかを気づかせてくれる。

 デジタル化を,福祉切り捨てに利用することのリスクと,どんなに便利になろうとも,行政に人間を育てる予算を決して削らせてはならないことを。

(同書p.63)

 デジタル・ガバメント,などと洒落た横文字を使っても,政府が政府である限り,その本質はビジネスではなく,国民を幸福にするための「公共サービス」だ。

 技術者でない人間には細かいことはわからない。だが立ち止まり想像力を使って,公共の意味を再考することはできるはずだ。

(同書p.81)

 

 さらにデジタル化のより本質的な問題点として,本書は人間の分断という点を指摘している。「デジタル化が進めば進むほど,人間は分断されていく(同書p.65)と言うのだ。つまり,時間や空間の制限を超えるデジタル技術の中では,私たちは個々の仮想空間に分けられて,団結とか連帯といった行動が起こりにくくなっている。その意味ではデジタルというのは,為政者にとっては大変都合の良いツールとなる。さらに言えば,ファシズムにとってこの技術は不可欠で,この上なく有効なツールとなる。

デジタルは「ファシズム」と組み合わさった時,最もその獰猛さを発揮する。

(同書p.6)

 

 未果さんは,この「デジタル・ファシズム」は,教育の分野で最も力を発揮すると指摘する。

 それは長期にわたって人間の思想を形成し,最も洗練された形で,国家と,そこに住む人間の力を削いでいく。

 テクノロジーは私たちに多様な考え方をさせる代わりに,自らの想像力の範囲を狭めてゆく

(同書p.270)

 

 だから,改めて公教育の価値を認識することが重要なのだ。本書で最も熱が入った記述も公教育に関わる部分である。ファシズム化を阻止するためにも,公教育を立て直さなければならないという筆者の強い意志が感じられる。

 アメリカや中国に後れをとるなと,デジタル技術だけ拙速に導入して,大切なことを見落とせば本末転倒だ。・・・私たち大人ができることは「公教育」という公共空間の価値を認識すること,そこに入る私企業が子供たちの未来や人権を脅かさないよう,法の力でしっかり線引きをすることだ。

 (中略)

 GAFAがトップに君臨するこの世界は,これからますます快適になり,よりスマート化していくだろう。その中で私たちが子供たちに教えられることがあるとしたら,いかにGAFAの中で快適に生きるかではなく,GAFAの外にも世界があるという真実だ。

 GAFAの外にも世界は存在する。

 GAFAの中で評価されない人が評価される世界がある。

 未来の選択肢は無限にあるということを,子供たちに教えなければならない。

(同書p.268~p.270)

 

 私はこれまで未果さんの書いた本は大体読んできたが,その中でも本書が一番良かった。公共の精神を重視する未果さん自身の考えや価値観が最もよく表れていて,それに共感したからだ。特に教育に関して,自身の体験に基づいて「問うこと」や「待つこと」の大切さを説いている最終章は多くの読者の共感を呼んだのではないか。とにかく本書から学んだ重要なことは,「公共」を解体する恐れのあるデジタル化を拙速に進めてはいけないということ。デジタル化からこぼれ落ち,切り捨てられる情報弱者やデジタル貧困層への想像力をもって,「公共」の意味をこれからも考え続けたいと思う・・・