「アイヌと短歌」 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 『現代短歌』5月号で「アイヌと短歌」という特集を組んでいるというので買って読んでみたのだが,それが凄い内容で圧倒された。何といってもアイヌの歌人バチェラー八重子の歌集『若き同族(ウタリ)に』が全編収録されていることが,最大の注目点であろう。これだけでも永久保存版としての価値がある。また,八重子の歌やアイヌの伝統・文化を理解するのに助けになる論考もいくつか収められていて,多くを学んだ。この特集を読んだときに感じた,身体を衝き上げてくるような衝動や共鳴をここに書き留めておこうと思う。

 

 例えば『若き同族に』に収められた次の八重子の歌は鮮烈だった。

 

  ふみにじられ ふみひしがれし ウタリの名

  誰しか これを 取り返すべき

 

 

 過酷な同化政策によってアイヌの尊厳をふみにじり,自分たちの言葉や存在までも奪おうとする権力への憤りが,最初の「ふみにじられ ふみひしがれて」からは伝わってくる。そして,これは必ず取り返すべきもの,取り返さなければならないのだ,と呼びかける八重子の強さもまた感じる一首であった。これは本歌集を代表する歌の1つであろう。

 

 歌集『若き同族に』は,こうした略奪された言葉と同胞たちへの思いに溢れているが,本歌集の序文を書いた新村出・佐佐木信綱・金田一京助といった当時の碩学は,こういう八重子の意図や思いを皇国思想によって大きく歪めて伝え,その意味では統治権力者と同じ差別的な態度でアイヌを扱っている。

 

 天草季紅さんは,本誌に寄せた論考の中で,この3人の序文を痛烈に批判している。

 

 このように三者三様ではあるが,共通するのは「敷島のやまと言葉に表現し」(新村),「わがやまと歌をよくする」(佐佐木),「我が敷島の道の上に(金田一)」というように,八重子の短歌を日本の和歌に連なるものとして歓迎していることである。しかし,八重子はただ,日本語に不得手な自分が,アイヌ語のわからなくなったアイヌの若者たちに,思いを伝えやすい詩型として短歌を選んだのである。(中略)そして,まさに短歌ゆえに,その歌集は皇国の欲望をまとって世に出ることを許された歌集になったのである。

(天草季紅「歴史の闇をこえて生きつづける民族のうた バチラー八重子論」)

 

 国語学の大家たちは,当時の八紘一宇や大東亜共栄圏などの帝国主義的思想によって,八重子の短歌を大きく歪めて解釈し,紹介してしまっているわけである。だが,上の引用にあるように,八重子の本意は,アイヌ語のわからなくなった若き同胞たちに,日本語の不得手な自分の思いを何とか伝えることだった。そのための手段が短歌だったのである。そのことは,皇国史観や民族差別の影響下にある和人の国語学者には理解されなかった。

 

 もうちょっと踏み込んで言えば,八重子の意図は,和人の伝統的な詩型である短歌をアイヌ語で乗っ取ることにあったのだ。この八重子の歌集上梓は,いわば民族の存亡をかけた戦い,必死の抵抗戦略であったのだ。それを国語学の権威は,いとも簡単に皇国史観的に読み換え,アイヌを亡びゆく民族と捉え,アイヌ語とアイヌ文学を斜陽の栄光として葬ろうとした。統治権力の側からだけでなく,学問・文化の権威の側からも亡びを強いてくる力に対して,八重子が詠んだアイヌ語の短歌は「否」を唱えるのである。

 

 権力・権威との戦いという点では次の短歌があまりにも衝撃的だ。

 

  亡びゆき 一人となるも ウタリ子よ

  こころ落とさで 生きて戦へ

 

 

 この歌もまた,国語学の権威にかかれば,たちまち皇軍兵士の玉砕を賛美する歌として読み換えられてしまうのだろう。だが,言うまでもなく八重子は若き同族に向けて訴えているのだ。同化政策によって,もしかすると一人になってしまうかもしれないが,それでも落ち込まずに生きて抗えと,同族に呼びかけ,勇気づける八重子の言葉と態度に,私は圧倒され,そして限りない共感を覚える。アイヌにとって,生きることは戦いなのだ。

 

 このように同族に語りかけ,呼びかける八重子の歌を読んでいると,ロシアの圧政に抵抗し分離・独立を訴えたウクライナの文学的英雄シェフチェンコの詩が思い浮かんでくる。ウクライナでロシアと地主の支配に苦しむ農奴や孤児,囚人などをテーマに,ウクライナ語で書く彼の詩は,民族的な覚醒をウクライナに促すものであった。ウクライナ固有の伝統や文化への愛着とともに,独立を勝ち取るまで戦い続けよという檄にも似た呼びかけが随所に現れる。

 

  わたしを埋めたら

  くさりを切って 立ち上がれ

  暴虐な 敵の血潮と ひきかえに

  ウクライナの自由を

  かちとってくれ

     (タラス・シェフチェンコ「遺言」より,渋谷・村井訳)

 

 

 まさに八重子の「一人になっても 生きて戦え」という呼びかけに重なってくる。だが,ロシア帝国の加害性を見ようとしない人はシェフチェンコの詩を理解できないであろう。同じく大日本帝国の加害と罪に向き合おうとしない連中にとっては,八重子のうたは理解不能,というか神の国・日本を祝福する歌と映るのだろう。

 

 例えば和田春樹のようなオールド左翼が訴えるロシア免罪の喧嘩両成敗的な無条件停戦論や,あるいは一部のリベラル派が第二次大戦末期の日本と重ね合わせてウクライナに無条件降伏を求める論は,ウクライナのアイデンティティや民族意識を全く無視した見当外れの提案というほかない。そのことは,シェフチェンコの詩や八重子のうたを通して見れば明らかであろう。無条件停戦論や降伏論を説く論者の頭の構造は,八重子のうたを曲解してアイヌを亡びの民と規定した著名な国語学者と同じだ。

 

 ロシアの圧政に抵抗し,独立を勝ち取ってきたウクライナの人々と,アイヌの尊厳と存在を否定し皇国臣民に同化させようとした敷島の和人とを同列に見て,降伏論を説いていいはずがない。ウクライナの人たちと重ねるべきは,同じく民族としての尊厳を踏みにじられてきたアイヌの人たちであろう。シェフチェンコの詩と八重子のうたが響き合うように,ウクライナの民とアイヌ民族は,生きることが戦いである点で歴史的に共鳴し合う。

 

 さて,戦争をめぐる情報戦,プロパガンダ合戦が激しさを増す現在の状況では,一体,何が事実で,何が偽情報か,正直わからなくなる。現在の状況をどう捉えたらいいのか。いろいろな情報や報道の奥に潜む本質的な問題や真実を探り当てるためには,ちょっと面倒だが文学や文化に立ち返って考え直すべきではないかと思う。

 

 私は本誌の特集「アイヌと短歌」を読んで,和人によるアイヌ差別と同化政策がいかに過酷で絶滅政策的なものであるかを,身体的な感覚で受け止めた。実は短歌もまた,広い意味で同化政策の一端を担うものであったのだ。あの与謝野晶子でさえ,アイヌを排除する視点や「日本人」中心の認識枠組から免れていなかったことは,本当にショックであった(松村正直「異民族への『興味・関心』と『蔑視・差別』」,参照)。

 

 八重子のラディカルさは,そのような同化政策の手段であった短歌をいわば逆手にとり,短歌の形を借りてアイヌ文学の新しい形式を模索していた点であろう。短歌の中にアイヌ語の技法を盛ることで,日本語では表現しづらかった自分の気持ちも若い同胞に伝えやすくなった。八重子にとっては短歌もまた,民族の伝統を生き継ぐための戦いであったのだ。

 

 こうした八重子の戦略的意図が当時,どこまで理解されていたか。著名な国語学者を筆頭に和人,内地人にはほとんど理解されなかったであろう。短歌に込めた八重子の悲しみや希望を共有できるかどうかに,私たちの未来はかかっている・・・