12月8日だけに注目させるのは印象操作だという,あるブロガーさんの記事を読んで,私も似たようなことを感じた。昨日のマスコミ報道を見ていて私が抱いた違和感は,「真珠湾」一色だったという点である。もちろん昨日が太平洋戦争開戦からちょうど80年という日に当たることから,マスコミ各社が真珠湾攻撃に関わる特集を組んで,その加害と悲劇を大々的に回顧したわけだが,そのことは,
《12月8日=真珠湾攻撃=太平洋戦争開戦》
という公式主義的な見方が未だに日本では支配的であることを示している。これはアメリカ至上主義というかアメリカ中心史観といっていい歴史観だが,こういう見方では,先の戦争の全体像を見誤ることになる。そして,また同じ戦争・ファシズムへ道を歩むことになるのではないか,という危機感も持つ。
80年前の12月8日,アジア・太平洋戦争は,ハワイ真珠湾攻撃よりも約1時間早く,マレー半島北部コタバルへの上陸作戦で始まった。日本軍はそれと並行してシンガポールを空爆し,翌1942年2月15日,シンガポールを占領。その数日後,司令官の山下奉文は,「抗日」中国人の掃討作戦を命じる。当時のシンガポールの人口70~80万人のうち,中国系住民は20~30万人いたとされる。18~50歳の華僑の男子が集められて検問を受け,「反日」的と見なされた人たちはトラックで海岸や沼地などに連れて行かれて,機関銃で射殺された。こうして虐殺された人は4~5万人いるといわれている。なお,現在シンガポール市街地の中心にそびえ立つ白い塔には,日本軍に虐殺された人たちの遺骨が眠る(「血債の塔」)。
この華僑粛清は,いうまでもなく1937年の南京大虐殺からの地続きである。真珠湾攻撃だけにスポットを当てることは,こういう虐殺事件を含む,日本のアジア・太平洋侵略を視野から捨象してしまう。そもそも日本が石油などの資源を求めて,「大東亜共栄圏」の名の下に南方進出を企てなければ,米欧の対日経済封鎖の強化(ABCD包囲網)もなかったはずだし,その後の日米交渉決裂→開戦という流れもなかっただろう。1941年12月8日の真珠湾攻撃は,そういうアジア・太平洋戦争全体の文脈の中で位置づけられなければならない。
その意味では,昨日のNHKをはじめとしたマスコミの「真珠湾」オンパレードは,あの戦争に対する人々の認識を大きく歪めるものと言わざるを得ない。つまり,「真珠湾」=対米戦争という面だけがことさら意識化されることで,「大東亜共栄圏」という問題意識が埋没し,昭和の戦争はアメリカへの加害と謝罪という問題に矮小化される。日本人は真珠湾攻撃だけを真剣に反省し,アメリカさんに謝罪しとけばいいだろう,という感覚になる。そして,本土空襲や原爆投下の人道的な罪や責任をアメリカに問えなくなる。こういう対米従属的な偏った戦争観の背景には,近隣諸国との和解なしに結ばれたアメリカ一辺倒のサンフランシスコ平和条約があるが,その点は今日は深掘りしない。
戦後日本のマスコミは,いわゆるアメリカニズムの宣伝機関としての役割を果たしてきたといっていいだろう。昨日の真珠湾攻撃80周年の大々的な喧伝を見ると,開戦から80年たった今もアメリカ的価値観のすり込みは強まりこそすれ,一向に弱まる気配はないように思える。実体的にも心理的にも日本人の対米依存あるいは対米従属は,私たちが意識している以上に根深い。昨日の「真珠湾」一辺倒は,対米従属史観の典型的な表出である。
戦中の日本人は,中国大陸や東南アジア,南洋群島の戦争については事実を知らされず,米英との戦闘での華々しい戦果ばかりが大本営によって伝えられた。戦後も似たようなものだろう。アジア・太平洋地域での虐殺・加害よりも,アメリカへの奇襲攻撃・加害が,戦争の記憶として教訓的に語られた。その結果,アジア・太平洋戦争の背骨をなした「大東亜共栄圏」構想は断罪されることなく,生き延びた。
こういう対米従属的な歴史認識が広がることで私が一番恐れるのは,アジアに対する加害意識の忘却なのである。アジアの解放を掲げた大東亜共栄圏の建設が,実はジェノサイドを必然的に生んだという事実が忘却される。真珠湾攻撃の裏で日本軍はマレー半島に上陸。半島を縦断してシンガポールを占領した。そこでの華僑粛清は,日本軍が計画的に実行した大量殺人であり,その犠牲者は何の罪もない無抵抗の住民であった。この事実に向き合うことなく,真珠湾の米軍事施設への攻撃ばかりに目を向けるならば,あの戦争の全体像はとらえられないし,他民族虐殺を本質とする大東亜共栄圏の新たな装いでの復活を許すことになるだろう…
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