島ごとクラスターになるリスク/宮古島からのSOS② | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 昨年の5月に宮古島が島ごとクラスターになるリスクについて書いたのだが(「島ごとクラスターになるリスク/宮古島からのSOS」),残念ながらそのリスクが現実のものになってしまったと言わざるを得ない。その最大の原因は自衛隊であろう。その点については,宮古島在住の清水さんが昨年3月頃からすでに訴えていたわけだけど,防衛省・自衛隊や沖縄防衛局はそういった声には一切耳を貸さず,訓練や新基地工事をやめなかった。国民には経済活動の自粛や移動の制限が求められる中で,自衛隊の活動だけは治外法権のような野放し状態で,宮古島にも自衛隊関係者や工事関係者など人の出入りが頻繁にあったという。つまりPCR検査拡充や「マスク着用」「社会的距離」「外出自粛」といったコロナ感染防止対策よりも,南西諸島への自衛隊配備計画の方が優先されているわけで,ここに日本政府が何を重視し,どこを向いているかが明らかになっている。

 

 感染対策を二の次,三の次にしている点で,現政権や防衛省は,「コロナはたいしたことない」とか「マスクなどは着けなくていい」と言って新型コロナ感染症を舐めている極右の小林よしのりらと何ら変わらない。換言するなら,日本政府も完全に「トランプ化」,「Qアノン化」してしまったと言っていいのかもしれない。

 

 一方,玉城デニー沖縄県知事は,今回の宮古島での感染拡大を宮古島市長選の影響だと一方的に断定して,自衛隊が感染の温床であることを隠蔽する。マスコミも同じ論調だ。今回の感染爆発について,確かに直接のきっかけは選挙だったかもしれないが,すでに宮古島の此処彼処で火種はくすぶっていたはずで,そこに油を注いだのが選挙だったということだろう。その火種となり感染源となったのが,自衛隊関係者の活発な訓練活動・移動・接触であった可能性は高いと私は思う。

 

 新型コロナウイルスの感染力が高いことは前から知られているわけで,それを抑え込むには,原理的には人の接触を極力減らすしかない。それ以外にいくら感染対策をとっても限界があるだろう。十分に訓練されている自衛隊だから大丈夫なんてことはあり得ない。実際に自衛隊は北海道の離島・奥尻島でクラスターを発生させているし,自衛隊員の単発的な感染は各地で起きている。治外法権で動いている自衛隊はむしろ感染リスクが高いと言わざるを得ない。

 

 宮古島の医療が限界に達する中で,玉城知事は宮古島への自衛隊災害派遣による医療支援を要請した。陸上自衛隊の軍事訓練や新ミサイル基地建設で宮古島に次々と感染源を作っておきながら,その一方で知事からの要請を受けて自衛隊が医療支援をするとは,何という自作自演なのか。とんだ茶番だ。しかも,そこに知事も客演で参加しているのだから救いようがない。住民を置き去りにしているというか,完全にバカにした政治が行われているわけである。

 

 

 

 先日は,「辺野古に陸上自衛隊常駐 日米極秘合意」という報道があったが,これも琉球孤の島々への自衛隊配備=軍事要塞化という流れの中でとらえるべきだろう。今や辺野古新基地と南西諸島自衛隊配備計画は一体のものだ。米軍と自衛隊の一体化は既定路線である。だとすれば,玉城知事の辺野古新基地反対という立場も,何だかいかがわしいものに思えてくる。玉城知事や「オール沖縄」は(今回当選した宮古島市長も)自衛隊配備については容認している。これでは結局,辺野古移設反対も反故にされてしまうだろう。だから玉城知事は,辺野古移設に反対するなら南西諸島の自衛隊配備・前線基地化にも反対しなければいけない。ダブルスタンダードはいずれ破綻する。県民・島民を犠牲にする形で。

 

 

 

 さて,宮古島など南西諸島に配備されている自衛隊は一体何を守ろうとしているのだろう。もちろん名目上は中国や北朝鮮などからの攻撃を想定した離島防衛だが,それは必ずしも住民の安全を担保することと等値ではない。むしろ相反するケースの方が多いだろう。過去の戦争体験の中で沖縄や離島の人々は「軍隊は住民を守らない」「離島は本土の捨て石にされる」という教訓を得てきた。それが軍隊,戦争の本質だと学んだ。そのことは今回のコロナ禍でも見て取れるのではないか。マスク着用や社会的距離などお構いなく傍若無人に振る舞い,感染リスクを拡散している自衛隊員を見れば,彼ら・彼女らが住民の立場に立って安全を守る存在でないことは明らかであろう。感染対策よりも軍事防衛を優先する自衛隊は,やはり軍隊なのだと思うわけである。

 

 「コロナとの戦い」とか「有事」とか「コロナに打ち勝った証し」といった,新型コロナ対策を戦争・戦闘にたとえる威勢のいい言葉が目につくが,もしこれが本当に特定の敵から国民を守るための戦争・戦闘なのであれば,自衛隊はその最前線で戦わなければならないだろう。だが少なくとも宮古島の事例を見る限り,自衛隊はコロナという敵と戦って住民を守ろうとはしていない。むしろ敵からの攻撃に住民をさらしていると言えよう。その意味では,自衛隊はあくまで軍事的防衛のための組織であって,感染防御のプロ組織とは言い難い。そういうアマちゃんたちに感染対策や医療を任せてしまっていいはずがない。むしろ住民を感染リスクにさらすことになるだろう。自演乙として自衛隊の活動を賞賛している場合ではない。自衛隊の本来の目的や本質といったものを見誤ってはいけないと思う・・・

 

 その島には不可思議な疫病が流行し,人々は扉を閉め,家に閉じ籠り,町は孤独に包まれている。客足が途絶えたキャバレーの主人は,客を呼び込む為に音楽を流して疫病を祓う。そこに現れる一人の女が語る。

 「あたしの名前は軍隊です」

(寺山修司「疫病流行記」改作)

新装版 寺山修司幻想劇集 (平凡社ライブラリー)