本橋信宏『東京の異界 渋谷円山町』(新潮文庫) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 渋谷の円山町は若いころによく遊んだ思い出があって,ただそれだけの理由から軽い気持で手にした文庫本だったのだが,それが意外とショッキングな内容を含んでいて,読んだ後もいまだに重たい気分を引きずっている。本来なら新型コロナの関連本などの書評を書くべきなのだろうが,なかなかそういう気持ちにもなれないので,その円山町の本についての所感をここに書き留めておこうと思った。

 

 現役の円山芸者や風俗店主へのインタビュー,あるいは円山町にゆかりのある映画監督の森田芳光や歌手の三善英史の話なども大変興味深かったのだが,なんといっても私が衝撃を受けたのは,1997年に円山町で起こった

◆「東電OL殺人事件

について書かれた部分だった。筆者の本橋信宏さんは,円山町の取材に自分を突き動かしたのはこの事件だったと述べている。おそらく本書の中で最も多くのページを割いているのは,この事件に関する記述であろう。本橋さんは当初からこの事件に関心を持ち,取材を重ね,雑誌などに記事を書いていたようだ。

 

 この事件については,すでに多くのことが語られてきたと思うが,私はそんなに関心がなくて,本書で初めて知ることが多かった。実は,被害者が殺され放置されていたアパートが神泉駅近くにあることも本書で初めて知った。神泉駅の近くであれば,私もよく歩いたところなので,そのアパートがどのあたりにあるかは大体見当がついた。なお,そのアパートは今も現存し住人もいるという。

 

 被害者の女性が,昼は東京電力のエリート社員,夜は円山町に立って体を売る,いわゆるたちんぼ(フリーランスの街娼)という,あまりにも落差の大きい2つの顔を持っていたことで,世間の注目を集めたわけだが,そのことについて今さら何かを言いたいわけではない。また,事件直後に逮捕されたネパール人男性が15年後に冤罪とわかり釈放されたのだが,この冤罪事件について警察・検察の外国人差別や不当な差別判決を断罪しようというわけでもない。

 

 私が刮目したのは,被害者の女性が東電の研究職に就いていて,経済や国際問題に関する研究をしていたという点である。昼と夜の顔のギャップに世間は注目するのだが,その二つはいったん分けて考えた方がいいんじゃないかと思うわけである。

 

 彼女は慶応大学経済学部を卒業し,東電に幹部候補として入社するわけだが,入社直後の1980年(彼女が18歳の時),朝日新聞の読者投稿欄「声」に原稿を送り掲載されている。「理性を失った米国民の判断」というタイトルで,その年の4月に起きたイランの米国大使館人質救出作戦について書いているのだが,私はこの文章を驚きをもって読んだ。ちょっと長いが,その文章を本書から引用する。

 

「理性を失った米国民の判断」

(朝日新聞「声」,1980年5月5日付)

 

 アメリカの無謀な人質救出作戦に,全世界があぜんとする中,当のアメリカ国民の中には,この強行策を是認している人が多いという。そこには,国際法上から,また,成功の可能性から,作戦自体は愚挙とはみなさないとうい考え方があるともいわれる。

 だが,行為の原因の正当性を主張することは,今回のように,その影響が極めて重要な場合,妥当であるとは考えられない。少なくとも,今世紀のプラグマティズムの母体であるアメリカで,こうした議論がなされているということは,判断が,いまや感情的なものになっていることを示すものではないだろうか。

 効果の有用性のみをもって,真理の価値を判断するという,プラグマティズムの思想的基礎が,正しいか否かは議論の余地がある。だが,抽象的論議をする場合は別としても,効果の有用性が価値として評価されるなら,それは,アメリカが最もよく理解しているはずである。

 それにもかかわらず,各国に対して,今回の作戦を批判する資格はないというアメリカ国民は,もはや,いらだちから理性的判断を失っている,としかいえないのではないか。

 日本や西欧諸国が,これを戦争行為と決めつけるのは避けるとしても,軽々しく,「人道的見地から,心情的には理解できる」という態度をとってよいかどうかは疑問である。

(『東京の異界 渋谷円山町』新潮文庫p.212~p.213)

 

 

 

 まずはイラン米大使館人質事件を取り上げていること自体に私は驚いた。左翼運動が退潮し,ニューアカデミズムが持てはやされ始めた当時,若い人がどれだけこの事件に関心を持っていただろうか。わざわざ新聞に投稿するくらいだから,彼女がこの事件に並々ならぬ関心を持っていたことは間違いない。おそらくは世界や日本に重大な影響を及ぼす事件として認識していたのだろう。その認識の背後には,前年に起こったイラン革命の衝撃があったに違いない。彼女も,フーコーと同様に,イランでのイスラーム革命が国際社会に計り知れない影響をおよぼすであろうと考えていたのではないか。実際,この人質事件は,米国・イランの対立を決定づけた事件として歴史的に位置づけられる。彼女の鋭い国際感覚や分析力,先見性に驚かされるわけである。

 

 そして,アメリカ政府がとった無謀な人質救出作戦とそれを支持するアメリカ世論に対しても,彼女は理性的に批判している。今から見れば彼女の判断が妥当なのものであることは言うまでもないが,当時の日本で彼女の意見をどれだけの人が支持しただろうか。結局,この人質奪還作戦は米兵の犠牲者を数名出して,散々な失敗に終わった。彼女の意見の正しさが立証された形だが,興味深いのは,彼女がイランのイスラーム主義に肩入れすることによってではなく,アメリカが依って立つプラグマティズムに基づいてアメリカ自身の対外政策を批判していることである。イスラム教とキリスト教という宗教の違いを持ち出すのではなく,アメリカの対外政策という政治の問題として人質事件を極めて冷静かつ合理的に見ている。彼女が生きていれば,米国トランプの中東政策,特にイスラエルへの支援をどう考えるのか,是非聞いてみたくなる。

 

 彼女は29歳の時には,経済論壇で権威のある高橋亀吉賞に応募し,佳作入選を果たしている。論文のタイトルは「国際協調はCI(カントリー・アイデンティフィケーション)で」というもの。その論文を探したが,ネット上には見当たらず,紙媒体でも発表されていないようだ。だから残念ながら私は読めていない。本橋さんの本書には,審査にあたった竹内宏の「女性の論客として評価したい」というコメントが紹介されているだけで,論文の内容については全く触れられていない。ちなみに,本橋さんは,

殺害されなければ,いまごろ浜矩子同志社大学教授とともに,女性エコノミストとして日本を代表する論客になっていたかもしれない」(同書p.215)

と言っている。たぶん本橋さんもその論文を読んでいないと思われるが,この過大な評価は,もしかするとそんなに大げさなものではないかもしれないな,と上の投稿を読む限りでは思う。

 

 ここからは私の全くの想像なのだが,事ほどさように優れた知性と直観の持主が東電という一私企業の枠に収まっていられるだろうかという疑問が湧く。とりわけ東電は当時,原発建設・増設へと邁進していた。1979年に起きたスリーマイル島の原発事故についても,当然彼女は知っていたはずである。彼女が国と東電の原発推進政策をどう考えていたのかを是非聞いてみたい。と言っても,今となっては聞く術もなく,本橋さんの本にも原発については何も書かれていないのだが,上の新聞投稿に見られる彼女の批判的理性からすれば,対米従属の立場で推進される原発政策に対して批判的立場をとっていたことは十分に考えられる。自分の考えや主義主張とは根本から相容れない企業や組織に居続けることは,苦痛以外の何物でもないだろう。それは,思想や学問の自由を大切なものと考える人たちにとって,安倍・菅政権の日本国に所属しているのが苦痛であるのと同じだ。

 

 彼女が二十歳のときに癌で亡くなった(自殺?とも伝えられる)父親も原発には批判的だったと言われる。敬愛していた父親を亡くしたことが,彼女にとって大きな衝撃であり,その後の彼女の人生において影を落としていたことは間違いない。父の死後,彼女は拒食症や精神的な病を患うことになる。

 

 東電という原発企業の幹部社員であったことと,尊敬する父親の死――その二つが彼女をコントロール不能の状態に追いやった原因として大きかったのではないか,と私は想像する。彼女がコントロール喪失の病であったことは,本橋さんが事件発生当時,月刊誌に書いている。それが本書にも再録されていたので,参考までに下に引用しておく。

 

 摂食障害は言い換えればコントロール喪失の病である。コントロール喪失は拒食症だけではなく,アルコール依存症やギャンブル依存症,あるいは買い物依存症といったものにまで及ぶ。自分の意思でコントロールできなくなったために,肉体や生活までもが破壊されていく。

 (中略)

彼女にとって父親は尊敬すべき対象であり,愛情を施してくれる存在であった。父が死んで彼女は途方に暮れたであろう。……高校・大学と勤勉ぶりを一番の価値として生きてきた彼女は,父親と同じ会社に入ることでその目的をある程度果たすことができた。

 しかし彼女はおんなである。みずからの性を抑圧して生きてきた彼女にとって,おんなであることを発揮する場面は極端に少なかった。

 コントロール喪失はときに違った世界に飛び火する。十円の電話代を倹約し,ダンピングまでして客をとろうとしていた彼女は,金銭依存症,つまり金を稼ぐこと,その行為自体に生き甲斐を見いだしていったのではないか。

 コントロール喪失はときにセックスにまで及ぶ。女を武器に稼ぐことを知った彼女にとって,たちんぼは金銭依存症とセックス依存症を満たす残された道ではなかったか。

(同書p.243~p.244)

 

 本橋さんの分析が正しいのかどうか,私にはよくわからない。だが,彼女がコントロール喪失の状態であったとすれば,その背景や原因を突き止め,それを変えていかねばならないだろう。私は原因の一つが東電の体制にあったのではないかと考えるわけである。とにかく今,何より私が残念に思うのは,3.11原発事故を引き起こした東電のことや,混迷する世界情勢,特に米国の中東政策について,彼女の意見が聞けないことだ。

 

 さて,本書全体を読んで思うのは,街は生き物だなということ。渋谷はまさに名前の通り「谷」だが,谷底の渋谷駅から道玄坂をしばらく上って右に折れた小高い丘の上に,円山町がある。本書を読むと,大正時代あたりからの円山町の変貌がよくわかるが,まさに街は生きていると感じる。多くの人が行き交い,欲望と夢と哀しみが交錯する円山町は,村上春樹風に言えば「死と再生」の街だ。常に何かが消え,何かが生まれる――。

 

 東電の女性社員が夜の円山町に立ち始めたのは1991年ごろというから,もしかすると私もすれ違っていたかもしれない。事件は今も未解決のままだ。彼女が夜ごとその傍らで客引きをしていたという道玄坂地蔵は,いまも同じ場所にたたずんでいる。。