新型コロナウイルスがインフルエンザよりもはるかに恐ろしいウイルスだとして散々危機感を煽っていたリベラル系の人たちが,収束の兆しが見えてきた頃からあまりこの問題に触れなくなり,検察庁問題で安倍政権を批判する方向へシフトしていったわけだが,もちろん検察庁法改正は民主主義を揺るがす大問題であることはその通りである。しかし,「今日は何人感染した。何人死んだ」と盛んに世論を煽っていたあの勢いは何だったのかということになる。それは,本当のところで感染症やウイルスの怖さをよくわかっていなかったということかもしれない。歴史的に見れば,これだけ感染性の高いウイルスでは,必ず大きな第二波が来るし,しかも強毒化して戻ってくる可能性が高い。
高い流行速度は,毒性の高いウイルスへの選択圧として働き,その結果,第一波より第二波で,より大きな被害をもたらしたと考えることもできる。
(山本太郎『感染症と文明――共生への道』岩波新書p.123~p.124)
新型コロナをめぐる対応で世界から賞賛されていると勘違いして,日本政府が「日本モデル」などと自画自賛している件についても,リベラル・左派系の論客が「アジアで見れば日本の致死率は高い,だから日本政府は成功していない」としか反証できないのを見ていると,なんだか自己正当化をしているだけという感じもする。まあ,目まぐるしく移り変わる感染状況に振り回されている人たちには,ここは一つ落ち着いて掲題の本を読んでもらいたいなと思う。そして,今回の新型コロナの流行を歴史的・文明史的な視点から考えてみてほしい。そうすることで,本当の収束の展望も見えてくるのではないだろうか。
感染症学者の山本太郎氏が書いた本書は,感染症が人類社会に決定的な影響を及ぼしたと考える疫病史観に立って書かれている。すなわち,天然痘やコレラ,マラリア,インフルエンザなど,さまざまな感染症を文明の興亡の中に位置づけ,それぞれに評価している。「文明は感染症の”ゆりかご”」という至言が伝えるように,人類の文明というのは,その始まりから現代に至るまで感染症とともに歩み続け,言わば感染症が発生し伝播していく受け皿の役割を果たしてきたわけである。
本書を読むと,おそらくは政治や経済,文化などから歴史を見るポピュラーな歴史観は修正を迫られるに違いない。私も昔,イギリスとインドの関係史について論文を書いたことがあったのだが,その時は恥ずかしながら感染症という観点は全くなかった。インド植民地統治の司令塔であったイギリス東インド会社・通信審査部が出した書簡を読み解いて,インド統治の実態を追跡したのだが,感染症対策について何か書かれていたとは全く記憶がない。おそらく見落としていたのだろう。本書を読むと,感染症と植民地主義の関係は相即不離の根深いものであることがわかる。
本書は,「帝国医療・植民地医学」という一つの医療・医学体系について解説している。
帝国医療とは,植民地全体の健康向上を目指した医療や衛生事業をいい,植民地医学は,西洋近代医学が植民地体制のなかで蓄積し確立した医学体系ということになる。(略)
そうして発展した帝国医療・植民地医学は,ヨーロッパ諸国に,植民地主義を正当化する論拠を提供した。(略)
近代医学は,熱帯地域の医療実践から多くの発見と知見を得た。(略)植民地医学は近代医学の発展に大きく貢献した。
(同書p.107~p.108)
植民地主義の歴史を考える場合にも,感染症の衝撃という観点が不可欠であることがわかる。植民地主義は現地の環境を大きく変えることによって感染症の流行を促したが,同時に植民地政府は感染症対策を通じて,現地社会に介入して感染症の制圧に努力した。感染症というファクターを入れると,植民地主義の実態や本質がよりクリアーに見えてくる気がする。そういう疫病史観的な歴史の見方が全く欠けていた私の歴史観や思考方法は,まだまだ未熟であるということであろう。
ポルトガル,スペイン,オランダ,フランス,イギリス,そしてアメリカという世界史におけるヘゲモニー国家の興亡にも,天然痘やコレラ,インフルエンザなどの感染症が大きな影響を及ぼしてきた。例えば天然痘は,シルクロードを通じてユーラシア大陸を疫学的に統一した(日本も含めて)。その天然痘が大西洋を越えてアメリカ大陸に持ち込まれると先住民の人口は激減し,それがほかならぬヨーロッパによる植民地化の最も重要な要因になった。感染症の伝播というものが,人類の文明や世界史を左右するほど巨大なインパクトを持っていたのである。
このような感染症史観的な見方で今回のパンデミックを俯瞰してみると,何が見えてくるだろうか。この数十年で中国は途上国から「世界の工場」になるまでに一気に経済発展を果たし,それと同時に自然環境や生態系の破壊も進んだ。中国が進める「一帯一路」路線は,世界における中国の経済的・政治的・軍事的プレゼンスを高め,世界のヘゲモニーがアメリカから中国へと移りつつあることを示しているようにも見える。今は中国の政治・経済・文化が「感染症のゆりかご」の役割を中心的に担っていると言ってよいであろう。
したがって,トランプのように「Chinese Virus」と呼んで中国を攻撃したり,中国寄りだとしてWHOを脱退するなどしても何の解決にもならない。あのような敵対的な態度は,むしろ感染症と人類の関係を矮小化することで新型コロナその他の感染症への戦略を誤らせる恐れがある。問題にすべきは中国の経済発展や世界戦略のあり方であって,改めて「感染症のゆりかご」という視点から,ここ数十年の中国の発展をとらえ直すことが必要であろう。また,黒人暴行死事件を受けてアメリカで拡大し続けるデモにしても,その背景には新型コロナの感染拡大があったわけで,問われているのは,そのような感染拡大を促進したアメリカ格差社会であり国家のあり方である。つまりはアメリカ現代文明が丸ごと問われているのだ。
「感染症のゆりかご」という観点からすると,「新冷戦」ともなりそうな現在の米中対立は,大変憂慮すべき事態と言わざるを得ない。人類が感染症を乗り越えていくために国際協力が欠かせないことは,歴史が教えてくれているはずである。
天然痘は唯一,人類がその根絶に成功した感染症といわれる。その天然痘の根絶は,東西冷戦の真っ只中でソ連とアメリカが手を組んだからこそ成功したのだった。私たちは,天然痘の根絶という歴史から何を学べばよいのだろう…
天然痘の根絶計画は,そうした政治状況下(東西冷戦下)での米ソ共同事業となった。・・・開発途上国の大半は計画に賛意を示したが,先進国の多くは反対した。天然痘根絶集中計画は,わずか二票差で承認された。
・・・現場で患者の発見やワクチン接種に当たった者は,ジャングルや砂漠,高地に分け入り,あるいは内戦の傷跡も生々しい国において計画達成に邁進した。東西冷戦下にもかかわらず,計画が米ソ両大国の共同提案として承認された利点が最大限に発揮された。
(同書p.133~p.134)