現在は新型コロナウイルスの感染拡大の中で,経済危機の拡大,国家緊急権の強化,感染者へのバッシングといった大変憂慮すべき事態が広がっている。そして,このような困窮・強権・排除の状況を,まさに「ディストピア」として悲観的に見る向きも少なくない。だが,敗戦前後の混乱期に日本当局やGHQの場当たり的な政策に翻弄され,家族からも地域からも病院からも追放された結核患者たちが「コロニー」という生活と生産の場をつくり上げていった軌跡をたどると,そこには現下のパンデミックを生きる私たちにとって,とても大切な示唆があるように思える。
『現代思想』5月号に載った標記の論説は,戦後日本でコロニー運動の先駆けとなった「福岡コロニー」の歴史や関係者の声を紹介したものだが,それを読むと,まず病者・障害者たちの連帯や相互扶助の実態を知って感動を覚えるとともに,そこには世界を変える可能性いうか希望のようなものがあるのを感じるのである。これがユートピアなのだろうとも思った。なお,今月の『現代思想』は,前回紹介したチョハン・ジニさんのエッセイと並んで,有薗真代さんのこの論説が最も印象に残るものだった。
病によってすべてを失った人々は,貨物列車の廃棄車両や海辺の廃墟を住処として,近隣の病院や療養所の残飯を日々の労働の糧として生き延びた。このような場所が敗戦後,日本各地で同時多発的に拓かれていく。その場所は,開拓者たちの持病である結核にちなんで「コロニー」と名づけられた(もともと「コロニー」は「結核菌の集団」という意味)。彼ら・彼女ら自身はここで,かつての惨めな自己を捨て,力に満ちた新たな生を獲得した。だから,ほかでもない彼ら・彼女ら自身が何の迷いもなく,この地を「ユートピア」と呼ぶのである。
長い入院期間中に,妻とは離婚しました。俺が家に帰っても,この体では家族を養うことができんし,子供に病気うつしてしまう。コロニーに入ったのは,はじめは野次馬みたいな気持ちで,それが引っ込みつかんようになった。死んでも構わん,とみんな無茶ばかりやりよったが病気は治った。思い返せば,いまでも望めんようなユートピアだった。 (『現代思想』5月号p.236)
コロニー開拓者たちは自ら病者が生きる場をつくり上げただけでなく,さらには驚異的なエネルギーでもって,現在まで続く社会福祉制度の礎を築いた。有薗さんは,このようなコロニー開拓者たちの生産活動や運動を,ドゥルーズ=ガタリにならって「再領土化」と評価しているが,要はコロニーという場が病者たちの自律した生を守る砦のような聖域(アジール)となったということである。
かれらは各療養所の自治会や日本患者同盟と協働し,入退所基準反対運動(一九五四年),健康保険改悪運動(一九五六年)などを支援した。なかでも「人間裁判」と呼ばれた朝日訴訟(一九五七年)は,生存権の内実を問い直す世論を喚起し,その後の社会保障体制の改革を促す契機となった。(同誌p.238)
その後,結核患者の減少に伴い,各地のコロニーは病者・障害者どんな人でも受け入れる懐の深い生活=就労の場へと再編成されていった。設立当初は養豚と農業が主な仕事だったが,現在では,福祉工場や重度障害者授産施設,グループホームなど幅広い事業を手がけ,日本各地に定着している。
結核,身体障害,国籍,その人の過去などについて,全く偏見を持たないのがコロニーの特徴だと思います (同誌p.235)
今,パンデミックという異常事態の中で,いくつもの協働や連帯の形が模索されつつあるように見える。元ハンセン病患者たちが示したように,隔離されて「動けない」という収容所的な条件を,自ら「動かない」という能動的な手段へと切り返すことによって,さまざまな文化・芸術活動や社会運動の可能性が見えてくるように思う。500万件に及ぶ「#検察庁法改正案に抗議します」というツイッターデモもその一つの形であろう。おそらく私たちは,もうパンデミック前の世界には戻れない。心地よいものではないがウイルスや病が身近に同居する世界に生きざるをえなくなるだろう。だが,戦後の日本各地で繰り広げられたコロニー運動は,心地の悪いコロナ後の世界でもユートピアをつくり上げる可能性があることを示唆しているように思えるのだ。。。