クラスター追跡と強制隔離という昭和の古びた方法に縛られている厚労省・感染研が保健所を手懐けて検査を抑制・妨害し,医療危機を引き起こしている元凶であることははっきりしているのに,なんでこのウイルス・コンツェルン体制を放置しておくのだろう。どこより「営業休止要請」を出すべき対象は感染研ではないかと思うのだ。感染研による検査規制を解除して,検査を拡大し,基礎データを集めてはじめて有効な対策・戦略が立てられるはず。なのに,結局はクラスター対策班がもう追い切れなくなったから,緊急事態宣言で封鎖だ,という流れになっている。
この国のトップもエリート官僚も,そして国民も,そもそも科学的な思考やデータが嫌いなのかもしれない。というか,特に安倍政権やその支持者にはそういう知的・論理的態度に対する憎しみすら感じられる。ちょっと前に「反知性主義」という言い方が流行ったが,安倍政権を一言で特徴づけるとすれば,反知性というよりは,知性に対する根深い
ルサンチマン
であろう。だから公文書や検査データを平気で改ざんしたり,黒塗りしたり,シュレッダーにかけたりできてしまう。
その点では韓国の方が合理的なやり方でコロナ対策を実行している。韓国は緊急事態宣言など出していないが,検査を大量に実施し,遺伝子解析を行い,そのビッグデータを情報工学で処理・分析して,ウイルスを何とかコントロールしているように見える。別に韓国を真似する必要はないが,韓国と比較すると,あまりにも日本の非科学的で場当たり的な対応が目立ってしまうわけである。

最近,専門家会議のメンバー・西浦博氏(北海道大学教授)の示した試算が,東京のニューヨーク化を根拠づけるものとして話題を集めている。下の図がそれだが,これにしてもかなり怪しい仮定や条件に基づいている。どうもこの人物が東京や大阪などの感染者数の試算もしていたようだ。下の試算グラフにしても,緊急事態宣言→ロックダウンをやりたいという思いが強すぎて,何かデータを恣意的に使って試算しているように思える。この怪しい試算を根拠に,みんな緊急事態宣言に納得してしまったのだろうか。まあ,私の思い過ごしならいいのだが,そもそも基本再生産数を2.5で計算している根拠がよくわからない。ドイツを参考にしているらしいが,どうしてドイツなのか。確か専門家会議自身が,東京は1.7だと発表していたような記憶がある。どうして1.7で計算しないの?また,下の図では感染者総数の推移しかわからないが,重症者・中等症者・軽症者の内訳はどうなっているのだろう。重症者の割合が大きければ医療崩壊の可能性もあるが,8割以上が軽症者なら,軽症者専用施設の建設やホテル利用・自宅待機などで対応できるだろう。

(「『欧米に近い外出制限を』 北大教授、感染者試算で提言」)
要するにこの試算を根拠にこの人が言いたいのは,「8割の接触減」で感染爆発を防げるということである。「8割減」がどれほどの生活困窮者を生み,どれだけの自殺者を出すかといった経済的・社会的な打撃については,この人の眼中にないことは言うまでもないが,私が根本的に疑問なのは,この大きな犠牲を伴う8割減が出口になるのか,という点なのである。ロックダウンで8割減を実現し,感染者数の爆発的増加を抑えたとして,それで終わりなのか。いつ封鎖を解除すればいいのか。だって何年も続けるわけにはいかないだろう。無理やり抑え込んでいたものを解けば,反作用=第二波が倍返しで襲ってくるだろう。犠牲は何の意味もなくなってしまう。こういう緊急事態宣言→ロックダウンという場当たり的な対策からは,出口戦略が全く見えてこないのである。私は集団免疫戦略に立って,こうした封鎖や隔離政策をピークカットのために戦術的に実施していくべきだと考えるが,そのことは何度も書いたので,今日は割愛する。
こういう政府の息のかかった御用学者の提言には,専門家に限らず幅広い市民によるチェックや批判が必要だ。その点について,先日放送されたETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~」は示唆に富む議論をしていた。イスラエルの歴史学者・ユヴァン・ノア・ハラリ氏によれば,この危機の時代に私たちに迫られている選択として,次のようなものがあるという,すなわち,
・全体主義的に国家が市民を監視するべきか,
・情報公開を徹底して市民の自己決定権を高めるべきか。
あるいは
・国家主義による孤立主義か
・グローバル主義による連帯か
このような問題提起を受けて,山本太郎氏(感染症学・長崎大学教授)が
「全体主義国家で生きるのではなく,どんな対策を採るにしても,市民一人ひとりが自分の頭で考え,選び取るべきだ。上から与えられたものに無批判に従うのはダメ。上からドカンでは長続きしない」
というようなことを仰っていた。そのためには「正確な知識や情報の普及が必要だ」とも。イタリアの事情に詳しいヤマザキマリさんも「イタリアでは今,市民は自主的に考えて行動している」と言っていた。
今夜のETV特集は「パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶのか」大きなチャレンジをつきつけられた人類。感染症の歴史から現在と未来を考える。3月27日に緊急収録しました。4/4(土)Eテレ23時。#磯田道史 #ヤマザキマリ #山本太郎 #河岡義裕 pic.twitter.com/0QEAklIgw3
— nhk_Etoku (@nhk_Etoku) April 3, 2020
私も,ハラリの示した選択肢のうちの後者,すなわち市民の自己決定権(エンパワーメント)やグローバルな連帯こそが人類の進むべき方向だと思う。だが,出口戦略もなく緊急事態宣言で事実上の都市封鎖をしようとしている今の日本は,どこに向かおうとしているのか。前者であることは歴然としている。全体主義国家への道であり,国際的孤立の道である。山本氏は,歴史上,感染症は極めて政治的に扱われてきたとも言っていた。「上からドカン」が感染拡大防止に一時的に奏功したとしても,そんな短期的な効果と引き換えに,私たちは全体主義国家や監視社会を受け入れてしまっていいのだろうか。山本氏が言うように,こういう危機の時こそ,
ウイルス便乗型全体主義
に屈することなく,市民一人ひとりがエンパワーメントや知性を磨くときだろう。
ところで,イギリスのジョンソン首相が病状悪化で集中治療室に入ったという心配なニュースが今朝,入ってきた。前回記事の最後で,ジョンソンが新自由主義とは決別し,「社会というものは確かに存在する」と述べてソーシャルな方向へ新たな一歩を踏み出したことを喜んだばかりだった。今,彼は英国にとって必要なリーダーだ。ジョンソン頑張ってほしい!
今朝、ボリス・ジョンソン首相から封書が届いた。全国民に一斉に送ったもよう。この国に長く住んでいるけれどこんなの初めて。「家から出てはいけません」「多くの人が金銭的な影響を心配していること、私は理解しています。イギリス政府はかならず助け舟を出します。」→ pic.twitter.com/0Q0l7knRD2
— イセキ アヤコ (@isekiayako) April 6, 2020