「治安維持法」思想としてのポストモダン~デモや選挙を否定する人たち~ | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 どうでもいいことなんだが,ホリエモンが年金デモの件で追い詰められて,とうとう本音を漏らしたようだ。なるほどね,結局はこういうことなのである。


 要は,こういうデモ自体が嫌なわけだ。一般の市民が政府に抗議したり権利を主張したりする行動自体が気に食わないということだろう。つまり,下々の庶民は政治に口を出すなというわけだ。政治は東大出のエリートに任せておけばいい。庶民は政治のことなど考えず,一生懸命汗水垂らして働いて,少しでも多く税金を納めろ,と言いたいのだろう。

 これって,東浩紀さんが毎回やってる選挙棄権キャンペーンと同じタイプのデマゴギーだよね。つけ上がった悪質なエリート主義だ。彼は今夏の参院選でもまたやるんだろう。市民の政治への関心を削いで,いかに非政治的な人間ばかりを作っていくか,という方向性で,ホリエモンも東さんも一致しているわけである。そしてそれは権力側の意向とも合致して,彼らは政権の強力な太鼓持ち,宣伝マンになっていくのである。

 日本のポストモダンも結局,このレベルということであろう。佐々木敦の『ニッポンの思想』によれば,「2000年代の日本の論壇は東浩紀の一人勝ち」ということらしいが,どうして日本の思想がこんなにも堕落した状態になってしまったのか。その点は,改めてちゃんとした分析と反省が必要だが,今日は本質的なことをひと言だけ述べておこうと思う。すなわち日本のポストモダンというのは,「近代以後」とか「超近代」と訳されるよりは,「近代」あるいは「左翼」と訳した方がその特徴がはっきりする思想潮流なのである。結局のところ「反共」の一潮流にすぎない。(ただし,『世界』の今月号で「丸山真男の永久革命」論を書いている柄谷行人や,故・今村仁司は別格である。)



 近代的な価値や理念にもとづいた戦後民主主義を脱構築するというのが,日本のポストモダンの建前だが,要は戦後民主主義の思想も運動も骨抜きにしてしまおうということである。だから東さんは,自分の主宰する雑誌で,何年か前に自民党改憲案と似通った憲法改正案を発表している(天皇元首化とか自衛隊明記とか)。日本国憲法から民主主義的な核をくり抜き,民主的な運動や言論を無効化する。これが「脱構築」の中身であり,東的なポストモダンの戦略なのである。かつて社会主義運動や自由主義的言説を弾圧した「治安維持法」のような役割を東さんたちは思想的に担っているわけで,日本版「赤狩り」(マッカーシズム)と言ってもいい。

 「左翼嫌い」というのは,東さんの言論活動を貫いている魂である。左翼的なものは,学説であれ運動であれ人物であれ,すべて否定するという点では一貫しているのである。それは彼の思想的出発点が,ソルジェニーツィンの『収容所群島』だったということも影響しているのかもしれない。あの頃のソ連の現実がマルクス・レーニン主義の本質だと思い込んでしまったのだろう。

 いずれにしても,左翼的なものすべてを否定する。この点に日本のポストモダンを理解する鍵があると思うわけである。だから,左翼がやってきたデモなどの運動スタイルも,権力に対する政治闘争も,マルクス主義的な理論も方法も,すべて拒絶する。これは,もはや「ポストモダン」とか「超近代」とかいう思想レベルではなくて,「反左翼」「反共」「反マルクス」であれば何でも良しとする,ものすごく感情的でイデオロギッシュな信念・「信仰」なのであり,そういう宗教的な似非ポストモダンの流れに現代日本の思想・言論は飲み込まれていると言っていい。

 マルクスは政治的にだけでなく,学問的にも全否定されている。全国の大学の経済系学部からマルクス経済学者はほとんどすべてパージされ,新古典派の市場原理主義だけが正統な経済学として認知されることになった。これも,ポストモダンが引っ張った「反左翼」運動の成果である。こんな風に制度化された官学,御用学問で批判的な精神や真理が身につくはずもない。

 ホリエモンはテレビ番組で,デモ参加者を「気持ち悪い」とか「絵面が嫌だ」とか口汚く罵っていたが,そういうホリエモンも「反左翼」という,ポストモダンが敷いた時代の流れにいるわけで,彼のフォロワーやシンパがかなりの数に上るというのも,今の日本の思想が「治安維持法」的状況にあることを反映している。政府批判をしたり,デモをしたり,9条護憲を訴えたり,そういう左翼的なことをすれば,犯罪者(「税金泥棒!」)扱いされるのだ。ネット右翼からは「反日」とか「非国民」呼ばわりされ,叩かれる。これは,「新たな戦前」とも言うべき時代状況ではないだろうか。

 東さんに代表される日本のポストモダニズムは,人々から政治性を剥奪し,権力者に従順な非政治的国民を作り上げるための権力装置と化している。東さんの『ゲンロン友の会』に集まる連中もみんな批判の牙を抜かれてしまっていて,ホリエモンも似たようなものである。政治的なセンスや見識のある人から見れば,こういう権力の犬みたいな連中こそ気持ち悪いし,デモで太鼓叩いている人たちよりも,安倍政権の太鼓持ちになってデモや選挙を貶めているホリエモンや東さんの方が,よっぽど醜い絵面に見えるはずである。


 ところで,昨日の中日新聞には望月衣塑子記者の良い記事が載っていた。宮古島では,防衛省が「弾薬庫」を「貯蔵庫」あるいは「保管庫」と呼称して住民を騙し,ミサイル基地建設を進めていたというわけである。今後は「火薬庫」と呼ぶことにするんだと,防衛省は懲りずに詭弁を弄している。こうやって住民を欺き,豊かな自然を壊し,古くからの人々の信仰や願いを奪い取って,基地建設を強行しているのである。こういう政府・防衛省に対して,怒り,反対しない方がおかしいだろう。それは人として自然な感情であり,住民の正当な権利であるし,他の地域の市民がそれを支援するためにデモやカンパをするのも自由だ。それが近代憲法が保障する民主主義であり,民の権利であるはずだ。それを全否定して,汚い言葉を投げつけているわけですよ,ホリエモンは!東さんに至っては,住民の意思表明の重要な手段である選挙を「棄権しろ」とまで言っている。例えば下に載せたような宮古島の反対運動に何も感じないのが,日本的なポストモダンの感性なんですよ。普通に政治的な感性や関心のある人なら,地元住民の怒りや反対を共有できるはずだ。ホリエモンのように,人の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取ろうとしない,そういう人間には絶対になりたくないと思う…










左弾薬庫、右ガソリンスタンド。
危ないものがまとめられて、より危ない‼️
撮している私の後ろには、民家あり。

琉球弧の軍事基地化に反対するネットワーク」より