和賀正樹『熊野・被差別ブルース――田畑稔と中上健次のいた路地よ』(現代書館) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 長谷川豊がまたとんでもない差別発言をして,日本維新の会は公認を停止するとか言っているようだが,最終的には公認するのだろう。だって,維新という政党自体が長谷川的な差別体質をもともと持っていて,それを「売り」に伸してきた政党であるわけだから,とんだ茶番である。丸山穂高や長谷川豊を除名したり公認停止したりするだけでは何の解決にもならず,維新が存続している限り,第二,第三の丸山,長谷川,杉田水脈がゾロゾロ出てくるだろう。だから,日本の差別問題を解決していくためには,差別と憎悪を政党の原動力にしている維新を解党・解散するしかないわけである。

 長谷川の今回の発言は言語道断で,部落差別を煽り助長するものでしかないのだが,一方で,「同和利権」に群がるのが被差別部落の真の姿であるかのようにネットでさかんに触れ回っている連中も,部落に対する差別や偏見を助長するという点では長谷川と同じ穴の狢であろう。

 差別を「無きもの」にしょうと戦後始まった,同和対策事業という名の「部落解体」。かつては部落問題に触れること自体が御法度であったが,戦後,部落が解体・消滅していく中で,そういった同和利権や反社会的勢力とのつながりなどが囁かれるようになり,それを部落の正体だと受け取った一部の人たちが,まことしやかにその部落イメージを語るようになった。ネット時代にはそれが広く拡散され,それを本気で信じる人たちが増えてきたように見える。利権を生んだ同和事業に反発して,部落の内部から野中広務や橋下徹などの政治家も現れた。

 戦後こうして部落のイメージが実像からますます遠ざかり,部落に対するさらなる偏見や憎悪,恐怖感がネット上に根づいてしまったように思える。その点では,「同和利権」をことさら強調して部落のイメージ操作をする連中も,部落民を犯罪集団だと発言した長谷川と同罪であろう。

 同和対策事業が被差別部落にどういう意味,影響を持ったのかについては,掲題の本を読めばわかる。この本で取り上げられている田畑稔という人物こそ,まさに同和利権の「生き字引」的な存在であろう。同和事業で成功もし失敗もした波瀾万丈の半生を生きた人物である。この田畑稔の半生をたどれば,同和利権だけではない,部落の全体的な像が見えてくるのではないか。そして,田畑の義理のいとこに当たる中上健次の愛した「路地」とは何かがわかるのではないか,と思う。

 だから,同和利権がどうのこうのとか同和の恨みは恐いとか,もっと酷いのは安倍が部落出身で云々…といったネット上のデマは相手にせず,本書のような良書を読むのが被差別部落の理解には一番良い方法であろう。本書はあまり知られていないけれども,「隠れた名著」だと私は思っている。ちなみに,藤原書店の社長が「ベストセラーというのは出版ではない」と言っていたが,まさしくその通りで,ベストセラーを何冊も出すよりも,こういう本を一冊出すことの方が,出版にとっては意義のあることだと思う。

 被差別部落は,愉楽と苦の渦巻く民衆史の織りなされる空間でもある。
 ――被差別部落は,いやがる仕事を押しつけられたのではなく,世の中に必要不可欠な仕事に誇りをもち,重要な社会的役割を果たしてきたのではないか。

 (本書p.2)

 中上は,ふるさとの部落を「路地」と呼んだ。かれの造語といってもいい。生活の匂いが漂い,叙情的で,たぶんに非政治的であり,中性的ですらある。緩衝材のような言葉だ。中上は「部落」がもつ旧弊な語感から美質を汲み取ったのであろう。(本書p.5)

 〈部落のある町村は,ダイヤモンドを抱えている〉
 〈部落差別がないと,文学は成り立たない〉
 中上は,かくなる発言をして「よう解放同盟とこすっていたの」。「こする」とは衝突,対立の意だ。

 (本書p.28)


 田畑稔は1941年に,中上健次はその5年後に,紀州熊野の被差別部落=新宮に生まれたが,この地区でも戦後,同和事業が動き出す。そして総額20億円もの費用が投じられて部落が解体された。1977年のことである。

 彼らが育った新宮市春日地区は,臥龍山という里山に抱かれて存在したが,その解体工事で里山は更地になった。山そのものを「無かったもの」とするために,尾根沿いに幹線道路が敷かれ,その沿道には立派な新宮市役所が建った。「路地」の淀みや哀しみは,車の往来によって消滅していった。部落を解体するとは,そういうことであった。

 中上健次は路地の消滅を惜しみ,折を見ては帰省して写真や16フィルムで路地を記録に残したが,一方の田畑稔は同和事業をいわば逆手にとって,たくましく生きた。焼肉屋に始まり,砂利採取・墓地分譲・ハム製造・屎尿処理・産廃処理など,次から次へあざとく自分の商売に転化した。大儲けしたものもあれば,莫大な借金を背負ったものもあり,オマケに2度の逮捕歴もある。さらには,部落解放同盟新宮支部の支部長も務めた解放運動のリーダーでもあった。その旺盛なエネルギー,萎えることのない開拓者精神には恐れ入るが,それも被差別部落という辺境で生きてきたがゆえに育まれたものだろう。

 そんな田畑は,逸話に事欠かない。――知人の葬祭業者からもらった霊柩車を自家用車にする,国指定の史跡の門標「新宮城跡」の看板を自腹で作る,元受刑者やヤクザ者を率先して雇う,ハム工場が倒産して3億円の借金を抱えても意気揚々,等々。

 確かに「親戚にいたら,困ったおじさんかもしれない」。だが,ある意味,この男を知ることが被差別部落が何かを知ることかもしれないとも思う。筆者・和賀正樹さんは,田畑のさまざまな遍歴をたどることで,近代日本の民衆史の一端が見えてくるかもしれない,と言っている。

 中上と同様に,熊野の被差別部落に生まれ育った男は,同調圧力に屈しない。個を貫き,ときに摩擦を起こし,足並みを乱す。偽悪的なトリックスターでもある。(本書p.1)

 歴史は,永田町の政治家や霞ヶ関の官僚だけがつくるわけではない。田畑さんの軌跡こそ,近代日本の民衆史そのものだ。正史から抜け落ち,無視される部分にこそ,真実が宿る。辺土・熊野の被差別部落に生をうけた男が,どんな生業につき,誰と格闘し,なにを願い,たくらみ,いかに生き抜いたか。(本書p.6)


 部落にはそれぞれ固有の歴史・文化があり,特有の人物=「異人」を生み出してきた。しかし,部落が解体・消滅し,社会が均質化・平準化していく中で,人びとは漂白・脱臭・家畜化され,個性はどんどん消されていく。そうした意味でも,田畑稔は〈クマノ的〉なるものを背負った,傑出した「異人」と言っていいだろう。

 中上が指摘したように,差別・抑圧されながらも自由で,生の愉楽と誇りに満ち,とくとくと血が脈打つ土地を〈クマノ〉とするならば,〈クマノ的〉なるものは,見渡せば沖縄,奄美,筑豊,東北とこの列島のあちらこちらに噴出している。・・・
 世界が均質化・画一化していくなかで,熊野は闇の帝国,敗者の還る土地として屹立をつづけてきた。

 (本書p.5)


 中上は熊野全体を被差別部落ととらえ,「半島は発展しない宿命を帯びている」とも語っていた。そのことに関して,田畑は言う。――

 「半島の宿命やね。〈中央〉から遠く離れて,絶対的な繁栄とは無縁の土地や。南北が分断された朝鮮半島,火薬庫と呼ばれたバルカン半島,核のゴミ捨て場となった下北半島……。みんな冷や飯を食わされて場所やろ」

 「熊野は,海の果てにある浄土に一番近い場所として,庶民の崇拝を集めていたわけや。不便さは熊野信仰の基盤のひとつやろ。しかし,近代に入ったら,そうはいかん。産業化,近代化から置き去りにされ,ずっと冷や飯を食わされつづけてきた。しかし,もともと熊野の人間は反権力,アウトサイダー。甘い飴玉をしゃぶらされても,知らず知らずのうちに権力者に歯向かう気性なんや。日本がおかしいときは,いつも熊野が震源地。・・・」
 
(本書p.35)


 そんな熊野の土地を,筆者は沖縄と相似形だと指摘する。――

 田畑に学ぶべきは,くじけない心であろう。生命力と言い換えてもいい。バイアスがかかるほど,反発のバネが働く。
 熊野と沖縄は相似形に映る。田畑の起伏に富む軌跡は,アララガマ精神そのものではないか。
 アララガマとは,宮古島の方言で「なにくそ」の意だ。熊野は,廃藩置県により本来ひとつであるべき牟婁四郡が和歌山県と三重県に分断された。廃仏毀釈で多くの寺院・修験道の堂宇が破却され,大逆事件では郷土の誉れ高い人々が国家によって惨殺された。中央政府によって,理不尽な扱いをされてきた点では同類だ。熊野も沖縄も,明治維新以来,良い目にあったことに乏しい土地である。
 (中略)
 その沖縄にも深い差別の構造がある。ウチナンチュウ(沖縄人)は,ヤマト(本土)でヤマトンチュウ(日本人)に差別され,沖縄本島の人間は,離島である宮古島や石垣島の人びとを「化外の民」として低く見る傾向が長くつづいた。首里の王権から僻遠の地であるからだ。その宮古本島の人びとは,さらに属島の伊良部島佐良浜の人びとを,さらに低く見てきた。なぜなのか。同じ宮古諸島の池間島から次男以下が琉球王朝の命により,佐良浜に移住させられた。新住民の集住地区だからだ。

 (本書p.225)


 実に差別の問題は複雑で難しい。筆者が言うように,「ひとより優越した存在でありたい」という意識が,人間の根源的な〈生存の本能〉に根ざしているのであれば,いったい私たちは差別という闇から逃れることができるのだろうか。

 天皇制もまた,この本能に根ざすものかもしれない。天皇という貴がある限り,その対極に部落民という賤が置かれる。その宿命的構図を見つめずしては,天皇制も被差別部落も語ることはできないだろう。

 中上は,〈両極に位置し,社会をブックバインドのようにはさみ込む天皇と被差別部落は,さながら,日本社会の二つの外部のような形をとる〉(『全集』十五巻)と表現している。(本書p.97)


 差別は難しくて手に負えないからと言って,逃げてばかりもいられない。でも,どうしたらいいのか。そんなことを考えるとき,日本の民俗学や部落問題の第一人者,沖浦和光さんの言葉が身にしみる。

 沖浦と言葉を交わすうちに,人びとに灯がともる。そんな瞬間を幾度となく見てきた。
 沖浦は慰撫し,力づける。「おじちゃん,それはえらかったなあ。おばあちゃん,しんどかったやろ。苦労しはったなあ。部落こそ,日本文化そのものやで。歌舞伎,能,狂言はもちろん,石庭,城,茶道……。みんな部落のひとが生み出したもんや。日本文化の大半は,部落の人びとなくしては,成立してへんで」と。

 (本書p.3)


 路地は,「ひたむきに生きてきた無告の人びとの呻吟」=ブルースが静かにこだまするパサージュ(通路)だ。被差別部落を理解するとは,そのブルースを聴くことなのであろう。本書で紹介されている田畑稔の語りは,まさにブルースなのである...。