NGT山口真帆はとても大切なことを言っていると思った!上野千鶴子の祝辞よりもずっと… | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

NGT48山口真帆、卒業発表「このグループに変わってほしかった」【コメント全文】

 NGT48を卒業するという山口真帆さんのコメントをたまたま読んだのだが,東大入学式での上野千鶴子さんの祝辞よりも重要なことを言っていると思い,ここで所感を述べてみることにした。上野さんは「頑張っても報われない環境がある」と確かに重要なことを指摘したが,NGT山口さんは「被害者が加害者にされてしまう」というさらに深刻な問題を告発している。

 事件のことを発信した際、社長には「不起訴になったことで事件じゃないということだ」と言われ、そして今は会社を攻撃する加害者だとまで言われています・・・。
 目をそらしてはいけない問題に対して、「そらさないなら辞めろ。新生NGT48を始められない」というのが、このグループの答えでした。
 (中略)
 私には人の命より大切なものがなにか分かりません。


 暴行を受け,それを告発した被害者がいつの間にか加害者扱いされ,しかも芸能人生命(=仕事)までも奪われようとしている。私はこの山口さんの問題というのは,単なる芸能ネタというよりは日本の社会や組織の矛盾が顕れた極めて深刻な事件だと見ている。すなわち国家や権力組織のどんなに理不尽なやり方でも,それに従わない者は攻撃され排除され,最終的には社会的に抹殺されるということを,山口さんの事件は典型的に示しているのではないかと思うのである。このケースでは,山口さんがNGT48の運営会社の方針に従わないがために抹殺されようとしている。下のリテラ記事は,秋元康が事実上の最高責任者であることを指摘しているが,にもかかわらず秋元は説明責任を果たそうとしない。

NGT事件の秋元康批判にホリエモンがイチャモン! 一方、NHK新潟は“秋元の指揮監督”がガバナンスの問題点と本質を指摘

 秋元康がやっているAKBビジネスがキャバクラの手法と基本的に同じであることは明らかである。そのことは,このグループがやらされている「選抜総選挙」というイベントを見ればはっきりするだろう。メンバー(女性たち)に,ファン(客)を獲得するための競争を過度に煽り,スポ根ドラマさながらの根性主義を植え付けて,秋元AKBグループ全体の利益拡大に結びつける。彼女たちも競争に勝つために遮二無二努力するが,その中で勝ち上がってセンターを取れるのはほんの一握りだ。そうやって秋元康は女性たちから利益を搾り取って,グループを拡大してきた。要するに女性たちの競争心や自助努力を金儲けやビジネス拡大にうまく利用しているわけで,基本的にキャバクラ方式と同じなのである。

 また,多くの未成年を抱えていることも問題である。その点では,いわゆるJKビジネスの先駆けと言っていい。そこには子どもたちに対する教育的配慮も人権意識もない。あるのは,金儲けのコマとして少女性を利用できるかどうかだ。こういう体質が,おニャン子クラブの頃から秋元プロデュースの組織には育まれてきたことは否定できないだろう。キャバクラでは未成年を雇えば罪に問われるが,秋元の美少女ビジネスは,夜の仕事ではないというだけで無罪放免だ。キャバクラよりももっと過酷なノルマや条件を課しているにもかかわらず。。こういうビジネスをやっている秋元康は批判されて然るべきだが,その秋元批判にイチャモンをつけ,秋元を擁護するような発言をしているホリエモンは人間のクズとして相手にする必要はないだろう。

 こういうブラック企業のような非人間的で過酷な仕事環境が,まだ若い彼女たちの精神を蝕み,メンバー間の対立や軋轢を生み出す原因になったことは容易に想像できる。また,メンバー一人一人の人権を一切顧みないキャバクラ的体質が,彼女たちを危険にさらす事件を繰り返し招いたとも言える。そういう組織のずさんな危機管理や人権問題があったにもかかわらず,そのことを内部からは誰も言えなかった。暴行事件に遭った被害者である山口真帆さんが仲間に自分と同じ危険な目を遭わせたくないという思いで,勇気を出して初めて内部告発したわけである。至極当然のことを言っているだけなのに,攻撃され,追放され,終いには加害者扱いされる。一番真面目でまともなことを言っている人間が報われないというか,逆に犯罪者扱いされて排撃される。これは,大学で真面目に研究している研究者を「反日」だと見なして攻撃し,科研費を奪って大学から追放しようとする国会議員・杉田水脈のやり口と同じ構図だ。

 上にも引用したように、運営会社の社長は山口さんに「今は会社を攻撃する加害者だ」と烙印を押したが,まさにここにAKBビジネスの最も危険な先端がある。被害者であろうが弱者であろうが,組織・会社を攻撃する者はすべて加害者としての烙印を押され,犯罪者にでっち上げられる。被害者個人の権利とか言い分などより,組織の論理がすべてに優先する。組織に反抗し,ビジネスとしては使い物にならなくなった者は切り捨てられていく。いみじくも前田敦子の卒業公演での「私のことは嫌いになってもAKBのことは嫌いにならないで下さい」という叫びは,残念ながらそのような価値観をすり込まれて血となり肉となった者から自然に出た言葉なのだろう。組織の背後でそういう新自由主義的な価値観をすり込み,絶対的な権力を振るっているのが秋元康である。

 被害者が加害者にされて攻撃されるケースとしては,レイプ事件の被害者である詩織さんがレイプ犯の山口敬之に逆提訴され,1億円を請求された事件がある。この山口という男は人間として腐っているとしか言いようがないわけだが,こういう逆提訴が可能になった背景,あるいは,そもそも裁判所から逮捕状が出されたのに直前になって逮捕が取りやめになった事情を突き止める必要がある。逮捕見送りを指示した人物などを国会で証人喚問するレベルの事件だと思うのだが,それができないのは,私たちの知り得ない大きな力,ブラックボックスと化した権力組織が背後で蠢いているからなのだろう。



 こういった何の非もない被害者に非を押しつける権力や組織のあり方に,日本の市民はもっと敏感に反応した方がいい。それから,山口真帆さんが社長に言われた「不起訴になったから事件じゃない」という認識を多くの日本人が持っているとしたら,それも改めた方がいいだろう。検察も警察も司法もブラックボックスだからだ。レイプ犯の山口敬之やJKビジネスの秋元康が,逮捕も責任追及も社会的制裁もされないのは,ブラックボックスとしての巨大な国家権力とつながっているからだ。山口真帆さんが「グループに変わってほしかった」と言っているのは,上記のような腐った権力組織や社会のあり方を根本的に変えたいという指向とも重なり,とても共感できる。

 それに対して,私が上野千鶴子さんの「弱者は弱者のままで尊重されるべきだ」という言葉に強い違和感を覚えるのは,そういう変革への指向,闘う姿勢が全く見られないからなのである。上野さんは,今回の山口真帆さんのようなケースでも「弱者は弱者のままで」と言うのだろうか。それは,被害者は被害を受けたまま大人しくしていなさい,と言うのと同じではないか。被害者は被害者同士で傷を舐め合っていればいいと言うのか。そういう被害者の消極的態度に付け入るのが強者や権力者の常套手段である。何の非もない被害者であるにもかかわらず,実は悪いのは自分なのではないかと誘導され,思い込まされ,最悪の場合は加害者にさえ仕立てられてしまう。だから私は,上野さんの言う「弱者は弱者のまま尊重される」というフェミニズムは強者の論理,悪魔の論理だと思うのである。

 上野さんの,そういう被害者の弱みにつけ込む強者性=悪魔性が典型的に現れているのが,慰安婦問題である。上野さんは被害者すなわち元慰安婦たちの「赦(ゆる)し」につけ込んで問題解決を図ったのだ!元慰安婦被害者から名誉棄損で訴えられた『帝国の慰安婦』の著者=朴裕河の歴史修正主義的な見解を,上野さんは終始一貫支持してきたのであって,例えば朴の『和解のために』という本について,上野さんは次のような推薦文を書いている。

 朴さんは,和解があるとすれば,それは被害者の側の赦しから始まる,という。それを言える特権は「被害者」の側にしかない。わたしたち日本の読者はそれにつけこんではならない。彼女の次の言葉をメッセ-ジとして受け取る,日本の読者の責任は重いだろう。 「被害者の示すべき度量と,加害者の身につけるべき慎みが出会うとき,はじめて和解は可能になるはずである。」


 朴が言う「被害者の側の赦し」とは一体どういう意味か。そして,それに同意する上野千鶴子の意図はどこにあるのか。――私には,そういう被害者側の「赦し」や「度量」が和解に本当に必要なのか,加害者は「慎み」を身につければそれでいいのか,はなはだ疑問に思う。そういう態度は,過去を否定し修正したい加害者を喜ばせ。歴史修正主義を拡散するだけであろう。「日本の読者はそれにつけこんではならない」と言いながら,被害者の赦しに真っ先につけ込んでいるのは上野自身なのである。上野さんは「被害者の側の赦し」や「被害者の示すべき度量」から和解が始まるという朴裕河の言葉に飛びつき,韓国の反日ナショナリズム批判という形をとって告発者(韓国人慰安婦)に責任をなすりつけ,日本政府の加害者責任についてはこれを曖昧にした。すなわち,補償や謝罪はすでに済んでいるかのような日本政府=自民党の見解に沿って「和解」劇を演出したのである。フェミニズムか何だか知らないが,こういう学者がリベラルと言えるのか。弱者の立場を代弁していると言っていいのか。

 こういう「赦し」という情緒的発想が怖いのは,被害者の立場が容易に加害者に反転してしまうところだ。もし「赦し」を認めない元慰安婦(被害者)がいたら,逆に攻撃の対象にされ,加害者性を押しつけられる。NGTの山口さんのケースもそれと相似形であろう。口封じをしようとする運営側に対して山口さんはそういう「赦し」の態度を示さなかった。それは当然の態度である。なのに山口さんは会社を攻撃する加害者としてグループから排除され追放された。他方,秋元康や運営会社,そして加害者側は何の責任も問われない。本来,加害者からの真摯な謝罪や補償があってこそ,赦しの気持ちも生まれてくるはずである。和解を被害者側の赦しから始めようという朴や上野の態度に,私は悪辣で狡猾な強者や権力者の影を認めて,反吐が出る思いがする。

 性奴隷や暴行被害という傷を世にさらけ出した被害者の勇気ある告発を受けて,本来なら真に過去の被害を克服するために支援運動が広がって然るべきであろう。だが上野さんのような「被害者の側の赦し」とか「弱者は弱者のままで尊重される」というもっともらしい言説は,権力側や加害者側に加勢することによって,弱者や被害者当事者の声を打ち消してしまう。それどころか,無色透明な中立主義や相対主義によって加害者の責任を問わなくて済むような無責任体制を追認してしまう。そういう上野さんを賞賛する日本だから,慰安婦問題では韓日の溝が深まるばかりであるし,詩織さんも山口真帆さんも救われない...。

オープン・ザ・ブラックボックス 伊藤詩織さんの民事裁判を支える会